48 理想の同伴者
――火山は、ひたすらに暑かった。
考えてみれば当たり前だよな。
火口で溶岩がぐつぐつ煮えてる現役バリバリの活火山なんだ。
ごつごつした地肌からは蒸し風呂のような熱気が放射され、登り坂の先は立ち昇る陽炎によって滲んでる。
「暑いんですかぁ、マスター?」
俺の肩のあたりを飛んでるレミィが訊いてくる。
レミィはいつも通りの花びらドレス――ではなく、花柄の水色のワンピースを着てる。
ミラが餞別にと言ってレミィにくれた衣装だな。
たしかに涼しげな格好ではあるが、汗一つかいてないのはどういうわけか。
ちなみに、周囲に人目がない今は、念話ではなく普通の声で話してる。
いくら出現モンスターが厄介とはいえ、冒険者をまったく見かけないのは不思議だな――と最初は思ったんだが、今ではその理由を痛感してる。
とにかく、暑いのだ。
そういえば、ギルドの資料にも高温エリアだという記載があった。
モンスターの強さやドロップ、「経験」の質ばかりに目が行って読み飛ばしてしまったんだよな。
何が「フィールドの人気度は三つの観点からの評価でわかる」だよ。
耳学問が無駄とは言わないが、やはり現地で体感しないとわからないこともあるんだな……。
「そういうレミィは暑くないのか?」
「妖精は『ここにいる』わけじゃないですからぁ~」
「……どういう意味だ?」
「えっとですねー、そもそも妖精は存在のあり方が違うんですぅ。人間やエルフ、あるいはモンスターが『ここにいる』ような形ではいないってことらしいですぅ~」
レミィの話が頭に入ってこないのは、暑さのせいなのか、レミィの説明のせいなのか、それとも元々わかりづらい話なせいなのか。
「たとえばですねー、妖精はモンスターに攻撃されません」
「えっ、そうだったのか?」
「ですよぉ~。モンスターに妖精が見えてないわけじゃないみたいなんですけど、なぜか攻撃の対象にならないんですよねー」
「……そういえば、スタンピードの時も狙われてなかったな」
下限突破ダンジョンで魔族ロドゥイエが妖精を「喰わせ」ようとしたことはあったが、それ以外では敵の積極的な攻撃を受けてはいなかった。
てっきり、ずっと俺のそばにいるから身体の大きい俺が優先して狙われてるのかと思ってんだけどな。
「好きなように姿を隠せるっていうのも、おんなじ理屈らしいですよぉ~。私はたしかにここにいるんですけどぉ、実体はあったりなかったりするらしいですぅ~」
「あるのかないのかどっちなんだよ……」
レミィの説明ではどうにも半わかりにしかならないな。
「そのおかげで暑さを感じないっていうのか?」
「感じないこともないんですが、汗がぶわーっとなったりはしないですぅ」
「……幽霊みたいな感じか」
「ちょっとぉ~、お化けと一緒にしないでくださいぃ~。せめて、精霊みたいとかあるじゃないですかぁ」
「精霊なんて見たことないし」
まあ、それを言ったら幽霊を見たこともないけどな。
考えてみれば、俺に「憑く」という表現をしてるんだからな。
背後霊や守護霊――そんなものがいるとして――みたいな感じだろうか。
「モンスターに狙われないなら、一方的に攻撃し放題ってことにならないか?」
「それはそうなんですけど、あんまり意味はないんですよぉ」
「……どうして?」
「妖精はレベルが上がらないからですぅ」
「えっ、そうなのか?」
「正確には、レベルという概念がないんですぅ~。そもそも妖精にはステータスがありませんからぁ」
「……マジか」
俺は試しにレミィに「看破」を使ってみる。
「看破」は手応えなしにすり抜けた。
「そういう大事なことは早く言ってくれよ」
「大事なことだったですかぁ? ないのが当たり前なので、いまいちわからないんですよねぇ~」
「ああ、それはそうか」
たしかに、元々ステータスがないのであれば、人間がステータスを気にする気持ちはわからないだろう。
妖精のあいだではステータスがないのが当たり前ってことになるんだろうしな。
レミィには敵の強さを推し量る「妖精の目」があるが、俺の「看破」のようにステータスそのものを見られるわけじゃない。
実物を見たこともないのに、「そういうものがあるらしい」という話だけで、その重要度を理解しろというのは酷だろう。
「逆に、ステータスなんて、あるほうがよっぽどおかしくないですかぁ~?」
「……何気に深いところを突いてくるな」
人間にとってはステータスがあるのが当たり前だから、どうしてもそのことを忘れがちになる。
忘れたところで日常生活を送るのに支障はないからなおさらだ。
りんごが木から落ちる理由がわからなかったとしても、手を離せばものが落ちるという「常識」さえあれば、生きていくのになんの問題もないのと同じだな。
ステータスなんてものがなぜあるのか? という問題を掘り下げて考えてるのは、架空世界仮説に取り憑かれた哲学者くらいだろう。
その哲学者たちの思索だって、成果があったとは言い難い。
千年以上ものあいだ、空想と大差ないような「理論」を立てるので精一杯。実証的な研究なんて望むべくもないからな。
もちろん、レミィにそんな哲学的な探究心があるわけはない。
幼い子どもがそうするように、素直な疑問を素直なままに発しただけなんだろうけどな。
「せっかくだから妖精の能力についても教えてくれよ」
登山口には今のところモンスターの影がない。
ロックゴーレムは岩に擬態してることもあるというから、油断していいわけではないんだが、レミィはモンスターの気配に敏感だ。
ゾンビポーションを飲んだ俺から「魔臭」とやらを嗅ぎ取ったように、レミィはモンスターの臭いを嗅ぎ取れる。
それが人間の嗅覚と同じものという保証はないけどな。
とにかくうんざりするほど暑いので、気を紛らわせる話題がほしいのだ。
「いいですよー。といっても、以前お話したこととかぶってると思いますけどぉ」
「構わないよ」
暑すぎて、新しい情報を頭に入れる余裕もないからな。
「じゃあ、まずは『妖精の目』ですね~」
「敵と俺との強さの差を色で『視る』ことができるんだったな」
「ですですぅ~。マスターより弱ければ青、同じくらいなら黄色、強いほど赤くなっていきます~」
「ゴブリンキングの時は『真っ赤っ赤』とか言ってたな」
「あれは酷かったですね~。よく生きてられたと思いますよぉ。さすが、あたしのマスターですぅ~」
「……笑えない話だな」
「最近のマスターなら、ポドル草原のモンスターは大体青になるはずですぅ~。薬草を摘みに行ってた時はまだ黄色かったですけどぉ」
「勝てる勝てないというより、単純にレベルで比較してるみたいだよな」
「まぁ、マスターは異常ですからね~。『普通は』勝てないってことなんだと思いますぅ~」
俺にはステータスを見られる「看破」のスキルがあるから、「妖精の目」の恩恵はさほど大きいわけではない。
でも、いちいちステータスを見るのは面倒だし、「看破」にはそれなりに集中力も必要だ。
ゴブリンキング戦では距離を取って対峙してたからまだよかったが、剣で切り結びながら「看破」を使うのは厳しいだろう。
対象が動くのもやりにくいし、ステータスに注意を奪われて相手の動きが見えなくなるのも危険だよな。
ごく単純な問題として、浮かび上がったステータスがシンプルに視界を塞いでしまうって問題もある。
一応ウインドウは半透明なんだが、うっすら青い色もついてることから、体色が青いモンスターや水属性の魔法なんかは見えづらそうだ。
もし敵が青ならステータスを見なくてもなんとかなるわけで、危険な敵だけレミィに警告してもらえばいいんだよな。
「次は……そうですねぇ~。『魔臭』の話はいいですよねぇ?」
「ああ」
さっき説明した、モンスターの臭いを嗅ぎ取れるって話だな。
「その応用で、強い力を秘めた素材やアイテムなんかもわかりますぅ」
「薬草採取では助かったよ」
薬草や魔草を探す時には、レミィの鼻が頼りになる。
ドロップアイテムの見落とし防止にもなるよな。
「あとは、ゴブリンキング戦で使った『妖精の涙』ですね~」
「一ヶ月に一度、あらゆる状態異常を解除するとともにHP・MPを全快にする」
アイテムで言うとエリクサーに相当する効果だな。
エリクサーは、売れば城が買えると言われるくらいの、超がいくつも付くようなレアアイテムだ。
「その通りですぅ~。妖精的には、状態異常とかHPとかMPとかは考えてなくて、ただ治れ~って感じなんですけどぉ。もっと言うと、元気な状態に戻れ~って感じかもしれないですぅ~」
回復というよりは、万全な状態へのリセット、といった効果なのかもしれないな。
だとすると、あくまでも回復薬であるエリクサーとは原理が異なる可能性もある。
その意味では、ゾンビポーションの効果とうまく噛み合った印象だ。
「ちなみに、まだ使える感じはしないですぅ~」
「あれからまだ二週間ちょっとだからな」
いざという時に「妖精の涙」に頼れないことになるが、今は「不屈」と「黄泉還り」もある。
「妖精の涙」の回復まで何もせずに待つのはもったいないという判断だ。
「『妖精の目』と、『魔臭』への嗅覚と、『妖精の涙』。これで全部か?」
俺が指折り数えてそう訊くと、
「あっ、もうひとつありましたぁ~!」
小さな手をパンと叩いて、レミィが言った。
「『ぽかぽか』と『ひやひや』ができますよぉ~!」
「ぽかぽかとひやひや……?」
「えーっと、ちゃんとした名前があるんですけどぉ~……。そう、『ウォーミングヴェール』と『クーリングヴェール』ですぅ!」
……名前を聞いただけで、なんとなく効果がわかるよな。
俺は嫌な予感を覚えながら、
「なあ、もしかしてそれって……」
「はい! なななんと、寒い時にはマスターの周囲をあったかかくして、暑い時には涼しくすることができるんですぅ~!」
「それを先に言ってくれよ!?」
……レミィに「クーリングヴェール」を使ってもらってから、蒸し暑い火山がただの山道に変わったのは言うまでもない。
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