45 自由

「ゼオンよ。やはり、『天翔ける翼』に入る気はないか?」


 と訊いてきたのは、当然ながらベルナルドだ。

 女魔族ネゲイラを前に怒り狂っていた面影は既になく、元の人懐っこい笑みを取り戻している。


「いや、俺が入っても噛み合わないさ。俺の戦い方は特殊すぎる」


「そのあたりのことは、やってみればなんとでもなろう」


「シオンを鍛えるんだろ? そこに俺はいないほうがいい」


「おまえに無責任と言われたからな。あの坊主をある程度見られるようにしたいとは思ってる。だが、あいつがそのまま勇者としてやっていけるとは正直思えん。勧誘しておいて無責任なと、また言われるかもしれんがな」


「そんなことはないさ。ちゃんとパーティに入れて育ててみて、それでもダメだったら、それ以上はお互いのためにならないだろ」


「シオンの根性を叩き直した後でも構わん。おまえには勇者としてやっていけるだけの素質がある」


「勇者ね……。そう言ってくれるのは光栄だが、俺はべつに、正義の味方になりたいわけじゃない」


「あれだけのことをやっておいて、何を言う」


「俺はやりたいことをやっただけだ。やるべきだと思ったことも含めて、俺はやりたいことしかやってない。俺はたぶん身勝手な人間なんだろう。大義名分に従って、使命を果たすための終わりなき旅に身を捧げる、なんてことはとてもじゃないができそうにない」


「……そうか。ならばこれ以上は言うまい」


 言葉に反して、ベルナルドはまだ何か言いたそうだったが、太い首を左右に振って瞑目する。


 その大きな身体の後ろから、痩せぎすのローブの男が前に出る。


 「天翔ける翼」所属の占星術師ザハナンだ。


「餞別になるかわからぬが、興味を持って貴殿の未来を占ってみた」


 背は高いが猫背で、ちゃんと食べてるのかと思うほど頬がこけ、鷲のような高い鼻が目立つ男だ。

 ぼそぼそと独り言のようにつぶやく声は小さいが、不思議と耳には入ってくる。


 今回のスタンピードでも、ポドル草原北でスタンピードが起こることを予言してたんだよな。


 ザハナンが長い裾に隠された腕を持ち上げる。

 指の先には、一枚のタロットカードが挟まれていた。


「『女教皇』の正位置、あるいは逆位置だ」


「……あるいは?」


 タロットカードは、古代人がこの世界に持ち込んだものだとされている。

 占い師にとってはメジャーな道具だが、もちろん、誰が使っても占いが当たるなんてことはない。

 カードそのものは占いの媒介にすぎず、占いの結果を左右するのはタロットを繰る者の占い師としての力量だ。

 スキル的な意味での力量のこともあれば、スキルがなくとも優れた霊感や人間洞察によることもある。


 あまり占いに縁がない俺でも、タロットが正位置と逆位置の時で意味が変わることくらいは知っている。


 だが、その場合は正位置か逆位置のいずれかになるはずで、「あるいは」ということはありえない。


「私の手からカードが零れた。『女教皇』は、正位置になることも、逆位置になることも拒んだ。あるいは、同時に正位置になろうとし、かつ逆位置にもなろうとした。拮抗した運命の反発力が働いていて、いずれにも決し難いということだろう」


「……それはよくあることなのか?」


「私にとっても初めての経験だ。初心の占い師ならば、不慣れからカードを操り損なうこともある。だが、私にとってカードは自らの身体の延長も同じ。私のミスではなく、カードを介した運命の意思によるものだ」


「どう解釈したらいいんだ?」


「正位置であれば、高い知性や清廉潔白さを表す。逆位置であれば、視野の狭さや潔癖だな」


「俺に当てはめるなら、自分の考えに固執した結果として何か大きな失敗をする……とかか?」


「それでは単なる逆位置だ。どちらともつかぬというのがポイントだな」


「……その占い結果をどう活かせばいい?」


「たとえば、一見すると優れた知性、優れた倫理的な判断と思われることが、他の側から見れば一面的で現実にそぐわぬものでしかない、といったことだな。しかも、そのいずれもが正しく、いずれもが間違っている。したがって、どちらか正しいほうを選べばよいという問題ではない。知性によっては判断がつかぬということだろう。しかしながら、カードが『女教皇』である以上、これは知的、あるいは倫理的に高度な判断を含む問題のはずだ。もっとも、これはあくまでも私の解釈にすぎんがな」


「頭で考えるしかない問題なのに、頭で考えても解決しないってことか?」


 そんなのどうしろってんだよ。


 俺の困惑混じりの質問に対し、ザハナンは落ち着いた声でこう答えた。


「困った時は、心の声に従うことだ」


「心の声……?」


「ああ。先程、ベルナルドの勧誘を断っただろう。勇者は自分には合わぬ――そう言って」


「それが心の声ってことか?」


「そうだ。心の声は、知性とは違う。心の声の命ずることが、合理的か否かはどうでもよい。ただ己に従うということだ」


「でも、いくら自分がそう『思った』からって、それだけで正しいわけじゃないだろ。人間、間違った思い込みをすることなんてしょっちゅうある」


「本当の意味での心の声は、頑迷な思い込みとは異なるものだ。己を疑うのは構わない。疑って疑って、なお残るものがある。どうしようもなく不合理で、どうしようもなく動かしがたい、始末に困るものとしての己が、な」


「……よくわからないな」


「シオン・フィン・クルゼオンは、ある意味ではその境地に達していた」


「シオンが?」


「自分の能力への不信、自分は他人から重要と思われていないという不安、己を疑った果てに、『実の兄への嫉妬』という、どうしようもなく不合理で、しかし本人にはいかんともしがたい、始末に困る己の本質へと行き着いた。嫉妬を暴走させているあいだ、あの者は泥のようにへばりつく自己不信や不安から解放され、己の本質とひとつになっていられたのだ。だから断固たる行動ができる――できてしまう、というべきか」


「とてもいいことには聞こえないんだが……」


「いいこととは限らぬよ。心の声を聞いたばかりに破滅した者は数え知れぬ。本当の意味で己の望んでいることを知ってしまった者は、もはやそれ以前の段階には戻れない。だが、本来の己を自覚し、一体化することで、とてつもなく大きなことを成し遂げる者もいる。英雄、賢王、偉人、聖者……そう呼ばれる者の大半は偽物だが、中には本物もいなくはない」


「人を英雄に祀り上げようとしないでくれるか? 俺はそんなものにはなりたくない」


「だが、ゼオンよ。貴殿の運命は、既にその方向へと動き始めた。本来であれば、貴殿は有能で民想いの地方領主として一生を終えたであろう。すばらしい一生だ。だが、その一生の中に、本来の貴殿を満足させるものはない」


「……俺は心の底では領主になりたくないと思ってたって言うのか?」


「そこまでは言わぬ。くりかえすが、それはそれですばらしい一生だ。しかし、与えられた役割を果たすばかりの人生では、己の心の声を聞く機会は得られまい。だが、幸か不幸か、貴殿はその『すばらしい一生』から外れることになった。貴殿は、人生という航海の行先を示す羅針盤を失ったとも言える。あるいは、羅針盤を失ったことで、己の望む新たな羅針盤を手にする機会を得たとも言える」


「まあ、それはそうか」


 たしかに、ずっとクルゼオン伯爵になるものだと思ってた俺は、この先のことについてはっきりした方針があるわけじゃない。

 いきなり広い海原に放り出され、どっちに向かえばいいのかもわからない。


 だが、逆に言えば、自分の望む方に舵を切ってもよくなったってことでもある。


 一見最悪に思える出発点が、後になってみれば最良の出来事につながるきっかけだった――なんてこともあるだろうな。


「誰も指針を与えてくれぬのであれば、貴殿は己の心に向き合わざるをえぬ。おのれは何を為したいのか? これからの貴殿の旅は、自問自答と選択の連続だ。しかも、その行き先には矛盾した位置を取る『女教皇』がある」


「……要は、自分を見失うなってことか?」


「ふっ、そうだな。貴殿には改めて忠告するまでもなかったか」


「いや、参考になったよ」


 その後もしばし、道の外れで車座になって別れの会話を交わしてから、


「じゃあ、そろそろ行くよ」


 俺は立ち上がり、街道の奥へ目をやった。


「お気をつけて、ゼオンさん」


「いつかまた――私たちも力をつけたら、一緒に冒険してください」


「たまには顔を見せてくださいね。ふらりと訪ねてくる旧知の友人、というのも詩趣がありますから」


「おう、気をつけろよ。奴らの尻尾を掴んだら教えてくれ」


 この街で知り合った皆にうなずくと、俺は踵を返して足を踏み出す。


 乾いた街道をわずかばかり進むだけの一歩だが、その一歩には、重さと軽さが宿っていた。


 故郷を捨てて去る足取りの重さと、まだ見ぬ世界を求めて奮い立つ心の軽さだ。


 歩くにつれて重さは抜け落ち、俺の心は弾けそうなほどの期待で沸き立ってくる。


 堪えきれず、俺は叫んだ。


「よしっ、行くぞ!」


 近くを歩いていた旅人が驚いて俺を見るが、その視線も今は気にならない。


 俺は込み上げてくる感動と興奮を持て余し、街道を全力でダッシュし始める。


 走れば走るほどこみ上げる興奮に、我を忘れて走る俺。


『ちょっとマスターぁ! 大丈夫なんですかぁ~!?』


「知るか! 今はこうしてたいんだよ!」


 息を弾ませて走るうちに、興奮は徐々に激しさを失い、穏やかな喜びへと変わっていく。


「これが、自由ってやつか!」


 一瞬にして、こんなにも世界が鮮やかに見えるようになるなんてな。


『はしゃぎすぎですよぉ~!』


「しょうがないだろ、はしゃぐのも自由なんだから!」


『意味がわかりません~!』


 その後もレミィとそんなやりとりをしながら走り続けた。


 走り疲れて足が重くなり、膝が笑ってくる。


 そんな馬鹿をやったためか、街道沿いの小屋にたどり着いた時には、俺は疲労困憊になっていた。


『もぅ~! だから言ったじゃないですかぁ』


「悪い、悪い」


『これからは好きなように生きられるんですからぁ。ちゃんと身体を大事にしないとダメですよぉ?』


「あはは、そうだよな」


 レミィに説教を食らってしまい、笑う俺。


『で、結局どこを目指すんですかぁ?』


「そうだな。最初の目的地は――」


 俺はレミィに目的地を告げた。

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