43 旅立ち
「ベルナルド!」
飛竜から墜落するように降ってきたのは、勇者パーティ「天翔ける翼」のリーダー、「古豪」のベルナルドだった。
俺の倍以上体重があるんじゃないかと思える巨漢は、油断なく女魔族を睨みながら、
「おう、こっちはうまくやれてたみたいだな」
「そうでもないぞ。レベル上限を超えたゴブリンキングが現れて、増援にはゴブリンジェネラルがさらに二体も出てきたからな」
「なんだと!? ゴブリンキングはどこだ!?」
「俺がなんとか倒したよ」
「はぁ!? ゴブリンキングを、か!?」
ベルナルドは肩越しにギリアムを一瞥した。
ギリアムは小さくうなずくと、
「事実だ。ゴブリンキングはゼオン君が単騎で倒してしまったよ」
「マジか。とんでもねえな。あれは俺らでもそれなりに手こずる相手なんだが……」
「実際、手こずるなんてレベルじゃなかったからな。それより、その女魔族を知ってるのか?」
「ああ。その界隈では有名な魔族だよ。『蠱惑』のネゲイラ……と本人は名乗っているな」
「あら、本名を偽ったりはしていないわよ。人間と違って、そんなことをする意味がないもの」
と女魔族――ネゲイラが認めた。
「その割には暗躍するのが趣味のようだがな」
「それは魔族の習い性のようなものね」
「……で、これはどういう状況だよ? なんでその坊主が檻ん中に捕まってんだ?」
「ネゲイラに捕まったみたいだな」
「人質のつもりか?」
「いえ、人質なんて人聞きの悪い。ただ私は、彼に見せてあげたかっただけよ。自分のものになるはずだった街が、自分のしでかしたことのせいで滅んでいく光景を、特等席でね」
「あいかわらず悪趣味なこった」
吐き捨てるように、ベルナルドが言った。
上空を旋回した飛竜が高度を落とし、その上からベルナルドのパーティメンバーが臨戦態勢で地面に降り立つ。
弓を持った一人だけは飛竜に残り、上空からネゲイラを射抜く構えを見せている。
「面倒な人たちが来てしまったわね。まあ、いいわ。今回はここまでにしてあげる」
「逃がすと思うか?」
「逆に、どうやったらあなたに捕まるというの、のろまさん。私があなたたちを見逃してあげるのよ」
「ふざけるな。今日をおまえの命日にしてやる……!」
「できないことは言わないほうがいいわね。勇者としての信用に関わるわよ」
と言って、ネゲイラは右手の指をぱちんと鳴らした。
「待てっ!」
颶風と化したベルナルドが、竜巻のごとき一撃を放つ。
比喩ではなく、おそらくは風系統の魔法を使って加速し、ハルバードに旋風の刃を纏わせて突いたのだ。
ベルナルドの一撃は、地面を、森をえぐり、扇状に広がる深い
が、ネゲイラはその一撃が命中する前に消えていた。
どこからか、ネゲイラの声だけが聞こえてくる。
「あら、怖い。まぁた腕を上げてるわねえ……。よくも懲りないこと。格上相手にも臆さず突っ込んでくるんだから、あなたたち勇者は面倒よね。まあ、面倒なだけで、末路はみんな一緒なのだけれど……。そういえば、なんて言ったかしら? あなたの恋人だった女の子の名前……あなたの手で黄泉に送られた、とぉぉぉっても可哀想な女の子の名前は……? うふふふふ!」
「き、さまあああああっ!!!」
ベルナルドがハルバードを振り回し、四方八方に旋風を飛ばす。
「もう死んじゃった子のことなんて忘れて、新しい恋を探したらあ? そうしたら、私がまたその子を誘惑して、あなたの脇腹をナイフで抉らせてあげるから。うふふふ、やみつきになったでしょう? 愛する人をその手にかける禁断の快楽は……!」
「黙れ、黙れ、黙れええええええっ!!!」
「ベルナルド、挑発に乗るな!」
落ち着きを失い、暴れるベルナルドに、後ろから細身で長身のローブの男がしがみつく。
「放せ、ザハナン! 俺はあいつを……!」
「すまない、用意していた拘束の術式は破られた。奴をこの場で仕留める方法はなくなった」
「くそがああああ!」
ベルナルドがハルバードを地面に叩きつける。
あまりの力に、ハルバードがへし折れた。
アイテムである武器は、物理的な力ではそう簡単には壊れない。
それをいともたやすくへし折ったベルナルドのSTRを驚異的と思うべきか、それとも、ベルナルドの怒りがそれだけ激しいと見るべきか。
「残念だけど、シオン君は置いていくことにするわ」
ベルナルドの怒りなどなかったかのように、森のどこかから声が聞こえた。
探してみても、ネゲイラの姿は見つからない。
「考えてみると、その方がおもしろそうだものね。今この場で追い込んでもいいのだけれど、それではあまりにも芸がないわ。私の干渉なんて何もないところで、勝手にそのシオン君が追い詰められて、私に救いを求めるようになる――。シオンくんが堕ちるのは、魔族の誘惑のせいじゃない。人間同士の、心を押しひしがれるような軋轢のせい。うふふ、そんな展開も愉しそうね」
最後まで勝手なことばかり言い散らかして、ネゲイラの声は聞こえなくなった。
いつのまにか生じていた「圧」のようなものも消えてるな。
ネゲイラは本当に去ったんだろう。
†
――それから、二週間が経った。
超越せしゴブリンキングを頂点とするスタンピードが片付いた後、領都クルゼオンは案外早く、元の賑わいを取り戻していた。
俺にとっては大変な事件だったが、結果的に人的な被害は最小限で済んだ。
ギリアムが言ってたように、負傷者こそ出たものの、犠牲者が出なかったのはさいわいだ。
シオンの買い占めによるポーション不足も、徐々にだが解消に向かっている。
シオンが伯爵家の金で買い占めたポーションを放出すれば話は早いんだが、買い占めたポーションは伯爵家の財産であるという理由によって、結局シオンや伯爵家による放出はされなかった。
それでも、さすがに買い占めをこれ以上続ける気はなくなったらしい。
外から徐々に入ってくるポーションによって、ポーションの価格は元の相場に落ち着きつつある。
今以上の高騰を見込んでポーションを売り渋っていた一部の商人が頭を抱えてるらしいが、投機に走ったのは自分自身の判断だからな。
もちろん、そうなる前に適当なところで売り捌いて利益を確定させていた抜け目のない商人もいるわけだが。
俺は、領都クルゼオンの城門の前で、火炎魔法の煤が残る城壁を見上げていた。
あれだけいたモンスターも、倒せば粒子となって消えてしまう。
あの激戦の名残を残すのは、城壁のそこここにある魔法の跡と、城壁外の荒れ地に回収されずに残った折れた矢くらいだな。
まあ、ちょっと先に行って森の入口あたりを見れば、俺が爆裂石を投げまくって作った倒木の束と、焼け焦げた地面があるんだが。
「本当に、行ってしまわれるのですか?」
見送りに来ていたトマスが、俺に言う。
「今回ゼオン様が成し遂げられたことは、いずれも驚嘆すべきことばかりでした。いくら伯爵閣下が頑迷であっても、その功績をいつまでも無視することはできますまい」
「別に俺は、親父に認められたくてやったわけじゃないよ」
「さようでございましょう。しかし、もし伯爵閣下に対するご反発があるのでございましたら――」
「認められたいわけでもないけど、反発して突っ張ってるわけでもないさ」
たしかに、他人からはそう見られることもあるかもしれない。
でも、俺はべつに、冒険者として活躍することで親父の鼻を明かしてやりたいと思ってるわけじゃない。
成人の儀以降の仕打ちについて思うことはあるが、それにこだわって自分自身の生き方を狭くしたいとは思わないからな。
「……ゼオン様のご下命があれば、われわれは武器を取り――」
「やめておけ、トマス。俺はそんなことをしてまで領主になりたいとは思わない」
家族である父や弟を政治的に排除して――あるいは、物理的に排除してまで、権力がほしいとは思えない。
そんなふうにして手に入れた権力は、俺を自由にしてくれることはないだろう。
家族すら排して領主となった俺は、他人を信じることも、他人から信じられることも難しくなっているはずだ。
そんな時に、クルゼオン伯爵という強大な権力は、俺を孤独と猜疑の中に閉じ込めてしまうにちがいない。
もちろん、父が暴政を敷いて領民が苦しんでいる、ということであれば、父を排するのは伯爵家に生まれた者としての義務かもしれない。
だが、父は領主として特に横暴というわけではない。
良くも悪くも、平均的な領主。
それが、俺の父に対する評価だし、トマスも、市井の人々も、大体同じような評価をしているはずだ。
俺なら父よりうまくやれるというほど思い上がってはいないつもりだ。
「シオン様は今回のスタンピードの引き金を引いてしまわれたのでしょう? むろん、神より授かるギフトは、神秘のヴェールに包まれておりまする。ギフトを扱いきれずに暴走させてしまうのは、やむをえぬ面もございましょう。しかしそれは、責任を認めずに
そう。トマスの言う通りだ。
シオンは結局、スタンピードについて、自分の責任を認めなかった。
もちろん、シオンがスタンピードのきっかけになったという確かな証拠はない。
あるのは、俺やギリアム、ミラ、レオたちが聞いた、あの女魔族――「蠱惑」のネゲイラの証言だけだ。
それだって、「証言」というには怪しいものだ。
そもそも、あの愉快犯の魔族の言うことを真に受けていいのかと訊かれれば、とてもじゃないがそうとは言えない。
ただ、あの場での会話を聞いた限りでは、あそこでネゲイラが嘘を言ったとは考えづらいんだよな。
シオンの反応も、それを裏付けるものだった。
あの場に居合わせた人間からすれば、心証的には真っ黒だ。
だが、シオンが「あれは魔族が僕を陥れてクルゼオンを混乱させるために吐いた嘘だ」と突っ張れば、それを否定するのは難しい。
で、シオンはまさにその通りに突っ張って、俺の親父――クルゼオン伯爵もそれを認めたというわけだ。
結果、シオンはクルゼオン伯爵家の嫡男――次期クルゼオン伯爵の地位に留まっている。
トマスはもちろん、今回のスタンピード戦に参加した騎士たちの中にも、シオンではなく俺を嫡男に戻すべきだという声があるらしい。
それをおおっぴらに言うやつはさすがにいないが、伯爵騎士団は狭い世界だからな。
公になっていない情報であっても、いつのまにか噂として広まってしまうこともある。
放っておけば、俺を担ぎ出そうという動きまで出るかもな。
もしそういう動きがなかったとしても――あるいは俺がきっぱり断ったとしても、俺は父やシオンから潜在的な政敵と見做され続けることになる。
そうなったら、実力で排されるのはむしろ俺のほうかもしれないよな。
「別に、シオン様に責任を取って勇退せよとまで求めるつもりはありませぬ。誤りを誤りと率直に認め、未来の
「ギリアムも同じようなことを言ってたな……」
地位のある良識的な大人が若者に求めるものはだいたい同じだってことなんだろう。
そのギリアムの「失言」もあって、シオンは強固な自分の殻に閉じこもるようになってしまった。
「あの魔族――ネゲイラは、こうなることがわかってて、あえてシオンを連れて行かなかったのか……」
そのもくろみ通りになってしまってるのは悔しいが、俺にはどうしようもないのも事実だ。
「ゼオン様がいらっしゃらないのでは、シオン様の抑えが効かなくなりませぬか?」
「俺がいても同じ――いや、俺がいたほうが悪いだろう。『天翔ける翼』が、当面のあいだはクルゼオンを拠点にして活動すると言ってくれてるからな。シオンが望むのであれば、一時的にパーティに加えて鍛えてもいいとまで言ってくれてる」
たぶん、俺が会議で「無責任だ」と詰め寄ったのが効いてるんだろうな。
正式なメンバー候補としてはもう見限ってるみたいだが、最低限の責任は果たすということだ。
「鍛える」っていうのは、レベルを上げるだけではなく、精神的な鍛錬を課すことも含んでるんだろう。
それに、ベルナルドのネゲイラへの執念には凄まじいものがあったからな。
理由はどうあれ、ネゲイラがシオンに目をつけてるのは間違いない。
当てもなく各地を探して回るより、シオンを見張ってたほうが早いという理由もありそうだ。
もしネゲイラが現れ、シオンを
「古豪」の二つ名を持つベルナルドは、パーティメンバーの育成についても豊富な経験を持ってるはずだ。
関係のこじれてしまった俺が余計なことをするよりも、彼らに任せてしまったほうがいいだろう。
だが、
「シオン様が今さらそれを望みますかな?」
「わからないな。あいつなりに力を付ける必要を感じてるんじゃないかとは思うんだが……」
あいつは昔から負けず嫌いだからな。
どこかで気持ちに折り合いをつけ、奮起してくれる可能性もなくはない。
「その時に、俺は近くにいないほうがいい」
「そのようなことは……」
「いいんだ。俺が父や弟を力づくで排除して権力を握って、それで人がついてくると思うか? 力で奪った地位は、力で守り続けることになりがちだ。そうなってしまったら、俺は今の親父と大して変わらない貴族になってるだろう」
「ゼオン様に限って、そのようなことはありますまい」
トマスとの話はどうしても堂々めぐりになってしまうな。
……あんまり心配ばかりさせるのも気の毒だ。
俺は声を明るくして、
「それに、結構気に入ってるんだよ。冒険者って仕事がな」
「……ゼオン様らしいですな。ふつう、貴族から平民となって冒険者になれば、不満ばかりの鬱屈した人生を送ることになりがちですが」
冒険者は、言うまでもなく、きつくて危険と隣合わせの仕事である。
一攫千金の夢はあるが、それを実現できるのは、全冒険者のうち千人に一人もいるかどうか。
トマスの言う通り、貴族としての生活に慣れた奴が急に冒険者に「身を落とす」ことになると、どうしても我が身の不幸を嘆くことになりがちだ。
「古代人は、冒険者をこの世界に欠かせないロマンだと思ってたらしいぞ。他のことはともかく、これに関しては古代人の気持ちもちょっとはわかる」
領主代行として親父の仕事の補佐をすることはあったが、それとは別のやりがいを感じるんだよな。
政治は政治で重要だけど、どうしても大所高所からの発想になりがちだ。
冒険者は、ふつうの人たちの困りごとを、自分一人の力で解決する。
うまくいけば、依頼人から感謝してもらえることもある。
そのことに、早くもやりがいを感じ始めてる俺がいた。
「考えてみると、生まれてからほとんどこの領地から出たことがなかったからな。もし冒険者にならなかったら、広い世界をほとんど見ずに人生を終えてたはずだ。そう考えると、これはこれで楽しみなんだ」
元々、伯爵家の蔵書を読んで、見知らぬ国々や古代人の伝承に想像を膨らませるのが趣味みたいなもんだったからな。
どうせこの領地を継ぐのだからと思ってあまり掘り下げたことはなかったが、俺の中にはそうしたロマンに惹かれてやまない部分もあったんだろう。
妖精だの魔族だのといった伝説と思われていた存在も目にし、世界は俺が思っていた以上に広いのだと、今回の一件を通じて思い知らされた。
逆に、今から領主になって、一生この土地で生きていけと言われても、それはそれで欲求不満になりそうだ。
「ゼオン様は前向きですな。たしかに、ゼオン様を後ろ向きな理由でお引き止めしては、大器と成る可能性をみすみす潰えさせるようなものでございましょう。クルゼオンの家名に縛られず、ゼオン様の望まれる人生を歩んでくださいませ」
「そんな立派なもんじゃないと思うけどな。でも、ありがとう」
父伯爵から廃嫡を言い渡された俺だったが、つい最近までその正式な手続きは済んでなかったらしい。
なんのかんのと理由をつけて、トマスが手続きを止めてたからだ。
それに業を煮やした父が、転生教会に直接出向き、俺の廃嫡を確定させたのは最近のことだ。
これにより、手続き的な意味で俺の廃嫡が確定したのみならず、俺のステータスから「クルゼオン」の家名がなくなった。
シオンじゃないが、今の俺は正真正銘ただの「ゼオンさん」なんだよな。
トマスと昔話に興じていると、
「ま、間に合いましたか!」
息を弾ませたミラが、城門の中から飛び出してきた。
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