42 凍りつく言葉(2)

「ど、どういう意味だ……?」


 シオンが女魔族に問い返す。


「どうもこうも、状況を考えてみなさいな。今のあなたはどんな立場に置かれているのか……考えればわかるでしょう?」


「そ、それは……」


「そうよ。今のあなたは、領主の嫡男でありながら、この街を――ひいてはこのクルゼオン領を危険に晒した大罪人。この街の中に居場所があると思うのかしら?」


「ぐ……」


 シオンが顔を強張らせる。


 魔族の言葉に反論したのは、俺の後ろにいるギリアムだ。


「今回のスタンピードは被害が小さかった。冒険者や騎士に負傷者はいても、犠牲者は出ずに済んだはずだ」


「あらあらそうなの? 本当につまらない結末ねえ」


「貴様の話を聞いた限りでも、シオン殿は自分のギフトの使い方がわからず、意図せずしてスタンピードを起こしてしまったとしか思えんな。伯爵閣下からお叱りは頂戴するかもしれないが、処罰まで受けることはないだろう。それも、貴様の話を信じるとしての話だ」


 ギリアムがシオンに殿を付けるのは、もちろんシオンが次期領主であるからだ。

 あえて殿を付けて呼ぶことで、立場を自覚させようとしたのかもしれないな。


 ギリアムの言ったことは間違ってない。

 神から授かるギフトについては、はっきり言ってわからないことだらけだからな。

 その使い方を誤って危険な事態を招いてしまったというだけなら、そんなに珍しい話でもない。

 

 もしそれで人的被害が生じていれば、伯爵家の跡取りとはいえ責任を問われる可能性もあったが、さいわいにして今回のスタンピードでは取り返しのつかない被害は出ていないらしい。

 自分の作戦でゴブリンキングを街に近づける結果になってしまった俺としては、胸を撫で下ろす話ではあるのだが……


「シオン殿。将来を悲観されることはない。人間誰しも失敗はある。その失敗を糧にし、前に進めばいいのだ。あなたはまだお若いのだから」


 ギリアムの説得は、積み重ねた経験の重みを感じさせるものだった。

 冒険者ギルドのギルドマスターとして、冒険者や職員などが失敗するのをたくさん見てきたに違いない。

 

 ギリアム自身だって、完全に失敗と無縁だったわけじゃないだろう。

 いつも謹厳なギリアムの声に苦味が混じってるような気がするのは、俺の錯覚ではないはずだ。


 だが同時に、


「ぼ、僕は……何も失敗なんて、していない……」


 ギリアムの言葉は、これまで失敗とは無縁だったシオンには響かない。


 俺みたいに領主の名代として仕事をしていれば、時に失敗することもある。

 人間が相手の仕事で、いつも自分の思い通りにことが運ぶはずはないからな。


 シオンには、そういう機会が限られていた。

 優秀なシオンは、剣や勉強で躓くことがあっても、才能と努力でそれを乗り越えることができていた。


 挫折を知らない温室育ち――と言う奴もいるかもしれないが、その評価は少し待ってほしい。


 シオンはシオンなりにその環境の中で自分を律し、自分なりに懸命に努力して課題を乗り越えてきたんだ。

 

 貴族の子どもの中には生まれの良さにあぐらをかいて遊び呆けてる奴がいくらでもいる。

 そうでない奴だって、成人前に積める経験なんてたかが知れている。


 シオンが特別甘やかされたわけではないし、シオンが特別に甘えているわけでもない。


 だが、現場からの叩き上げでギルドマスターにまでなったギリアムとは、温度差があるのは間違いない。


 ギリアムからすれば、シオンはやはり苦労知らずの貴族の少年であり、シオンからすれば、ギリアムは正論を振りかざすだけの無理解な大人だ。


 思ったよりも薄い反応に、ギリアムは焦ったんだろうな。

 口早に、シオンに説得の言葉を重ねようとする。


「無論、取り返しのつかない失敗も、世の中にはある。だが、今回のこれは、ぎりぎりのところでそうならずに済んだのだ。ゼオン君の・・・・・獅子奮迅の・・・・・活躍のおかげで・・・・・・、起きた現象の規模に比べれば、はるかに小さな被害で済んだ。むしろ、今回のスタンピードを乗り切ったことは、ギルドと騎士団を跨ぐ伯爵領全体の成果とすら言えるだろう。君にたとえ失敗が――いや、失敗とは言わん、多少の落ち度があったのだとしても、未来が閉ざされるようなことはないはずだ」


 ギリアムの言葉に、シオンがびくりと身を震わせた。


 言葉が響いた――わけじゃない。


 俺にだってわかる。


 ギリアムの言葉は、シオンの地雷を踏み抜いた。


「ち、ちょっと、ギリアムさん!」


 ミラが慌てた声でギリアムを制するが、遅かった。


「うふふふふ! ねええ、聞いた、シオン君? あなたのものになるはずだった街は、憎いお兄さんのおかげで一人の死者も出さずに済んだのそうよおおお? 優しいお兄さんがあなたの尻拭いをしてくれてよかったわねえええ?」


 満面の笑みを浮かべて、女魔族がシオンに言った。


「く、そ、が……ぁ!」


 シオンが奥歯を噛み締め、目を赤く血走らせる。

 握りしめた拳では、爪が手のひらに食い込んでいる。


「あなたの街が酷いことにならなくて本当によかったわねええ、シオン君。でも、だからと言って、シオン君に温かい居場所が用意されてるわけじゃないわよねえええ? これから何年もの間――いえ、何十年、ひょっとしたら一生の間、お兄さんが救ったこの街で、あなたは肩身の狭ぁぁぁぁい思いをしながら生きていく……。そんなことがあなたに耐えられるのかしらあ、シオン君?」


「ま、待つんだ、シオン殿! その女の言うことを聞いてはいけない!」


 自分の失言を悟ったギリアムが叫ぶが、その言葉はシオンの耳には届かない。


「くそっがぁ……! どうして、こんなことに……!」


「うふふふ! シオン君、あなたはこれから、『ああ、あの時馬鹿なことをしなければ!』 そう思いながら余生を過ごすの。こんなことをしでかしたあなたを、一体誰が領主として認めてくれると言うのおおお? あなた自身でもわかるでしょう? あなたは、他の誰かがこんな失態を見せたとして、その誰かを赦すことができるのかしらあああ? もし赦す気になれたところで、その誰かさんに責任ある立場を任せようと思えるのかしらあああ? あなたのお父様の立場になってみることねええ! かたや街を救った英雄の兄! かたや、街を危機に陥れた愚か者の弟! どちらがより後継者にふさわしいかなんて、火を見るよりも明らかよねえええ!?」


「う、がああああああ!!!」


 シオンが、檻の中で暴れる。

 檻に打ち付けられた拳から異音がした。

 骨が折れ、皮膚が破れた拳が青黒く変色する。


「シオン君。私たちは、あなたに居場所を用意してあげられるわ。『上限突破』は無限の可能性を秘めたギフトよ。無限の可能性を秘めたあなたが、こんなちっぽけな街に縛られるのは馬鹿らしい――そうは思わないかしら? うふふふふ!」


「僕は、僕は……!」


「……くっ」


 ……このままじゃマズいことはわかってる。


 でも、俺は動けないでいた。


 ひとつには、目の前の魔族の力がわからないこと。


 レミィの様子を見れば、俺の敵いそうな相手じゃないのはわかる。

 俺の「看破」は使えないが、レミィの「妖精の目」なら、俺から見たこの魔族の強さがわかってるはずだ。

 低く見積もっても、さっきのゴブリンキングよりは強いだろう。

 そのゴブリンキングですらレミィは「真っ赤っ赤」と言っていた。


 そのゴブリンキングを破れたのは、ゾンビポーションと「妖精の涙」を組み合わせることによる疑似無敵状態の力だ。


 だが、レミィの「妖精の涙」は、さっきの戦いの後に使ってしまった。

 あれがないと、自分をゾンビ状態にして疑似無敵状態で戦うことは不可能だ。

 戦うところまではできても、その後無事に生きていられる保障がない。


 残るは「下限突破」による無限の「詠唱加速」だが……これも厳しい。


 この女魔族は、さっきから瞬間移動をいとも無造作に使っている。

 この魔族にとって、距離や時間は大した障害にならないということだ。


 そして、俺が動けないもう一つの理由は、それ以前の問題だ。


 この魔族相手に戦うのが無謀である以上、シオンを言葉で説得するしかない。


 だが、俺の言葉がシオンに届くことはないだろう。


 この魔族はなぜか、シオンから同意を引き出すことに執着している。

 その気になれば力づくで連れ去ることもできるだろうに、シオンの心を弄んでまで、シオンが自分の意思でついていくと言い出す状況を作ろうとしている。


 その理由は不明だ。

 なんらかの隠された理由があるのか、それとも単にこの魔族の個人的な性癖の問題なのか。


 シオンを言葉で引き止められたとして、この魔族が大人しく引き下がるとも思えない。


 それでも、今の状況では他にできることがない。


 だが、俺がシオンに何か言葉をかけようとしても、その言葉は舌の動きに結びつく前に消えていく。


 俺が何を言ったところで、シオンは反発を深めるだけだろう。


 大事な弟だったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。


 嗜虐的な女魔族の内面よりも、シオンの心の中のほうが、今の俺には恐ろしい。


 俺が凍りついたように立ち尽くしていると、どこからか遠い羽ばたきの音が聴こえてきた。


 鳥の羽ばたきというには力強い。


 空気を力づくで掴まえ、それを手がかりにして空を掻き分け進んでいく――そんな強い意思の宿った羽ばたきだ。


「あら残念。時間切れみたいね」


 女魔族が北の空を見上げてそうつぶやく。


 そこに現れた鳥のような影は、近づくにつれて明瞭になっていく。


 飛竜だった。


 翼幅は五メテル以上はありそうだ。


 飛竜がさらに近づくと、その背に人間が何人か乗っているのがわかった。


 まだ高くを飛ぶ飛竜の上から、ひとつの影が飛び出した。


「魔女ぉぉぉぉぉっ!」


 飛び降りざまに振るわれたハルバードが、シオンの檻にぶつかって火花を散らす。

 

 「ひぃっ」と檻の中で腰を抜かすシオン。


 そこにいたはずの女魔族は、ハルバードの間合いの外に転移していた。


「私、暑苦しいのは嫌いなのよね」


「探したぞ、魔女ネゲイラっ!」


 叫んでハルバードの切っ先を魔族の女に突きつけたのは――「天翔ける翼」のリーダー、「古豪」の勇者ベルナルドだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る