40 羞恥
一瞬前には、女はいなかった。
そのことは断言できる。
シオンの入った檻を俺は直視してたわけだからな。
だが、目を離したわけでもないのに、女はある瞬間からいきなりそこにいた。
俺、ギリアム、ミラ、レオのパーティが身構える。
女は、むせ返るほどに蠱惑的だった。
黒いフード付きのローブを羽織ってはいるが、その前はほとんど開いている。
ローブの下は、衣類と呼べないような扇情的なドレスが、青紫色の肌を申し訳程度に隠しているだけだ。
嫣然と微笑む唇は、それ自体が生きているかのように艶めかしい。
漆黒の白目の中に浮かぶ紅い瞳の中にあるのは、縦に裂けたような金の瞳孔だ。
その瞳孔には、男を引き込んで離さない奇妙な深みがあった。
男を、と言ったのは、その深みに濃厚な性的匂いを感じるからだ。
深みにはまりたくなければ、すぐに目をそらすしかない。
もし釣り込まれるようにその深みを覗き込んでしまえば、もう二度とその瞳から逃れることはできない。
一瞬でそう悟らされてしまうような、吐き気がするほど人を吸い込む瞳である。
「お、おまえは……!」
女の腰かけた檻の中で、シオンが叫ぶ。
「あら? 記憶操作のかかりが悪かったのかしら? 私のことは忘れるよう暗示をかけたはずなのだけれど」
「ぐっ、頭が痛い……」
シオンが頭を押さえてうずくまる。
「おまえがシオンをその檻に入れたのか?」
俺が訊くと、
「さあ、どうかしら?」
女は笑みを浮かべてはぐらかす。
「ふふ……正真正銘の英雄さん? 街を救った気分はどうかしら? それってどのくらい気持ちいいの? 私は街を滅ぼすほうがずっと素敵だと思うのだけれど……」
「……何を言ってるんだ?」
「ま、あなたにはわからない愉楽かもしれないわね。でも、あなたの弟君にはわかるかもしれないわ。ねえ、シオン? 自分が将来継ぐかもしれない街を、自分の落ち度で滅ぼすのってどんな気持ちだったの? 死んじゃうほど気持ちいいのかしら?」
「ふざ、けるな……」
と、頭を押さえたままでうめくシオン。
「まあ、今回は不発だったものねえ……。せっかくここまでお膳立てしてあげたのに、残念よ」
「黙、れ……」
「うふふ。我ながら傑作だったわ。ゴブリンキングの剣にあなたをくっつけて、『特等席』で街が滅ぶ様を見せつけてあげたらどうなるかしら?――そう思いついた時にはエクスタシーを感じたわ。とっても悲劇的なのに、とっても喜劇的。地獄を見せつけられながら、悲劇の主人公にすらなれないの。あなたには何もできず、ただ笑いものにされるだけ。シオン君にはそんな最高の気分を味あわせてあげられるはずだったんだけど。ごめんなさいね、失敗しちゃったわ」
「黙れと言っている!」
「……今回のスタンピードを引き起こしたのはおまえの仕業か」
俺が訊くと、女はゆっくりと首を振る。
「いいえ。スタンピードの引き金を引いたのは、私じゃないわ。たしかに、あのゴブリンキングにその剣をあげたのは私だけど、ね」
「だ、黙れと言っている!」
「……シオン?」
怒りで赤くなっていたシオンの顔が、蒼白に変わっている。
「スタンピードを引き起こしたのは、ここにいる次期領主様――シオン・フィン・クルゼオン君の仕業なのよねえええ。うふふふふふ!」
「黙れええええええっ!」
「シオン……おまえ……」
俺のみならず、ギリアムやミラ、レオンも厳しい視線をシオンに向けている。
「私、とおおおっても記憶力がいいのだけれど……。かわいそうなシオン君は、ダンジョンの中でこんなことを叫んでいたの。『ゼオンめ……! あいつはいつもそうだ! ほんの数秒この世に生まれたのが早かったというだけで、僕からすべてを奪っていく……。くそっ、もっとモンスターを殺させろ! このダンジョンは何を出し渋ってるんだ! 『上限突破』であるこの僕が直々に攻略に乗り出してきたんだぞ! 危機感を覚えて上限なしに強力なモンスターを生成するのが筋ってもんだろうがぁぁぁぁっ!!!』」
「やめろおおおおおおおっ!!!!」
細かな抑揚まで再現した女の言葉に、檻の中でシオンが暴れる。
檻の上に腰かけた女までは掴みかかれる距離のはずだが、レミィの捕まってた檻と同じく、内側から外側へは干渉できないようになってるんだろう。
それをわかった上で、女はシオンを挑発している。
女の言うことが事実かどうかは、確かめようのないことだ。
だが、シオンの反応からすれば――事実なんだろう。
「うふふ、うふふふふ! 『上限突破』、相当な可能性を秘めたギフトよねえ。なにせ、ダンジョンのモンスター生成上限を取っ払い、レベルの上限を超えたモンスターを生み出して、スタンピードまで引き起こしてしまうんだもの!」
「嘘だ、この女の言ってることは、みんな嘘だあああああ!!!」
「あははは! シオン君ってば必死ぃ。羞恥に悶えるプライドの高い男の子っていうのもいいわねえ……!」
「うるさい、誰が羞恥だ! 僕は名誉あるクルゼオン伯爵家の嫡男で――」
「あら、かわいい。ちっぽけな自我が崩壊してしまいそうだから、他人から与えられた地位に縋り付くことで、どうしようもなく弱い自分の心を守ろうとしているのねえええ? うふふ、本当にいい拾い物をしたわあ」
頬を紅潮させ、愉悦に浸ってるらしい女に、
「待てよ」
俺は剣を構えてそう言った。
「あら、何かしら、英雄君。こんな結果にはなってしまったけれど、あなたもいい仕事をしてくれたわ。ねえ、シオン? うとましくて追い出したはずのあなたのお兄さんは、今では街を救った英雄。かたや、次の領主になるはずだったあなたは、今やスタンピードの元凶。底辺から見上げる立派なお兄さんの姿はどうかしらあ? うふふふふふ……!」
「きっ、貴様ああああああっ!!!」
シオンの顔色は赤と青が入り混じってどす黒くすら見える。
……まあ、事情はだいたい呑み込めたな。
「俺の弟をなぶるのはそのくらいにしてもらおうか、魔族」
俺の言葉に、女がすぅっと目を細め、金色の瞳孔を俺へと向ける。
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