28 (シオン視点)蠱惑

「食い足りない……食い足りない、食い足りない食い足りない食い足りないいいいいいっ!!!」


 「下限突破ダンジョン」――ああ、この名前を思い浮かべるたびにイライラする!――にやってきた僕は、ダンジョンをうろつくゴブリンどもと戦った。


 たまにゴブリンソルジャーが混じるが、たいていは通常のゴブリンだ。


 このダンジョンは既に踏破され、その後も偵察と称して兄貴――いや、ゼオンが入り浸ってると聞いた。


「くそっ、僕はいつもこうだ! いつもいつも、兄のお下がり、兄の食い残しばかりを押し付けられる!」


 最初はゴブリン相手に戦うのも安定しなかったが、「初級剣技」を覚えてからは一対一では負けなくなった。


 やがて「初級魔術」も習得し、戦闘は遠距離主体に切り替えた。

 元々僕の能力値は魔術師系だ。

 もしそうでなかったとしても、モンスターと剣で斬り合うなんて野蛮な戦い方はまっぴらごめんだ。


 本来なら、ギフトを授かりたての貴族が一人でダンジョンに潜ることはありえない。

 護衛とパーティを組んでレベルを上げるのが定跡とされている。


 しかし、あのいけすかない勇者は、そんな方法で強くなったとしても、僕のことを決して認めないだろう。


 いや、あんな野卑な男に認められるかどうかなんて二の次だ。


 ゼオンは、たった一人でこのダンジョンを踏破した。

 兄より優れた僕に同じことができないはずがない。


「『マジックアロー』!」


 ゴブリン一体倒すのに今のINTでは「マジックアロー」二発が必要だ。

 「マジックアロー」の消費MPは2だから、最大MPが12の僕は六発しか「マジックアロー」を撃てないことになる。


 だが、そこに僕の天才的な閃きが関わってくる。


 「上限突破」は、あらゆるパラメーターの上限を突破するギフトだ。


 これまではレベルの上限のことばかり考えてたが、突破できる上限は何もレベルばかりじゃない。


 HPとMP。

 この二つは、ポーション、マナポーションを使用することで回復できる。


 ここまでは、この世界の人間なら誰でも知ってるような常識だ。


 しかし、ここで僕は発想の転換へと辿り着く。


 HPやMPは通常、最大HP・最大MPを超えて回復することはない。


 つまり、最大HP・最大MPは、HP・MPの「上限」なのだ。


 この上限を「上限突破」できるかどうかを試すのは簡単だった。

 

 単にポーションを飲めばいいだけだからだ。

 

 ポーションを飲んだ上で、現在HPが最大HPを超えていれば成功だ。


 で――今の僕のステータスはこうなっている。



Status――――――――――

シオン・フィン・クルゼオン

age 15

LV 1/13

HP 3792/10

MP 1994/12

STR 9

PHY 9

INT 14

MND 11

DEX 9

LCK 8

GIFT 上限突破

SKILL 初級剣技 初級魔術

―――――――――――――



「ふははははっ! 僕は最強だ! 僕を殺せるモンスターなんていやしない!」


 近づいてくるゴブリンに「マジックアロー」。

 近づかれすぎたので剣で斬る。

 一丁上がり。


 たまに攻撃を喰らうことはあるが、四桁を超える現在HPがほんの少し減るだけだ。

 HPの減少が気になるなら、持ち物リストからポーションを取り出して飲めばいい。


 ポーションを買い占める過程で気づいたが、持ち物リストの「所持数」もまた、僕の「上限突破」の対象だ。

 

 持ち物リストの所持数の最大値は99。

 

 この99も上限であり、僕の「上限突破」の対象なのだ。


 このことに気づいた時には、さすがの僕も興奮した。



Item―――――

初級ポーション 792

初級マナポーション 233

中級ポーション 220

中級マナポーション 21

上級ポーション 43

毒消し草 10

爆裂石 3

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

―――――



 まさしく、神に愛されたギフトだ。


 僕ならば使いこなせると、神が僕を見込んでこのギフトを授けたのだろう。


「やれやれ……ポーションばかり飲むのも面倒だな」


 僕はぼやきながら、戦闘の合間にポーションを飲む。

 ポーションは通常の飲み物と違い、水分が体内に吸収されることがない。

 だからトイレが近くなることはないのだが、さすがにこれだけの数を飲んでいれば嫌にもなる。


「ゴブリンソルジャーの方が『経験』にはなるんだろうが……時間がかかるのが欠点だな」


 僕の現在の攻撃手段では、ゴブリンソルジャーを倒すのにはそれなりの時間がかかるはず。

 もちろん、僕の攻略法で倒せはするが、時間的な効率がよいとは限らない。

 その同じ時間で通常のゴブリンを狩った方が安定して「経験」を得られるだろう。

 

 それに、いくら現在HPが実質上限なしとはいえ、攻撃をくらえばちゃんと痛い。

 ゴブリンに錆びた剣で斬られたり、粗末な棍棒で殴られたりするだけでも、神経に響く。

 HPが上限を超えている状態なら怪我はしないが、混戦になって何度となく叩かれ斬られれば、さすがに精神的に参ってくる。

 それがゴブリンソルジャーの攻撃となればなおさらだろう。


「くそっ、ゼオンは一体どうやってこのダンジョンを攻略したというんだ……? 『下限突破』だぞ、あいつは」


 無限の体力と魔力に支えられた僕ですら、一人で進むのに難儀している。

 せめてレベルが上がればと思うのだが、このダンジョンの「資源」が減ってるという情報は正しいらしく、モンスターとの遭遇率が低いのだ。


「ゼオンめ……! あいつはいつもそうだ! ほんの数秒この世に生まれたのが早かったというだけで、僕からすべてを奪っていく……。くそっ、もっとモンスターを殺させろ! このダンジョンは何を出し渋ってるんだ! 『上限突破』であるこの僕が直々に攻略に乗り出してきたんだぞ! 危機感を覚えて強力なモンスターを生成するのが筋ってもんだろうがぁぁぁぁっ!!!」


 僕の魂の叫びがダンジョン内にこだました。


 そのこだまが消えきらないうちに、ダンジョン内に変化があった。


 その変化を最初に捉えたのは、僕の全身の毛穴だった。

 一瞬にして総毛立ち、身体が小刻みに震えてくる。


 恐怖だ。


 圧倒的な強さを誇るモンスター。

 あるいは、そこまで圧倒的ではないが、とにかく数が多いモンスター。

 ダンジョンの薄暗い通路の前後から、無数のモンスターの気配が漏れてきた。


 今このダンジョンは、おびただしい数のモンスターで溢れかえっている。


 そのことが感覚的に嫌というほどはっきりわかってしまった。


「なっ……⁉」


 何が起きたのか?


 この時の僕にはわからなかった。


 だが、異変はそれだけでは終わらない。


 呆然と立ち尽くす僕の前に、異様な風貌の女が現れる。


 露出過多な赤いドレスから青紫色の肌を惜しげもなく晒す美女。

 黒いフード付きのローブを羽織ってはいるが、自身の身体を隠すつもりはないらしく、その前は大きくはだけてローブはほとんど肩にかけてるだけの状態だ。

 漆黒の白目、紅い瞳、縦に裂けたような金の瞳孔――


「なかなかおもしろいギフトを持ってるわね、坊や」


 見た目通りの艶めかしい声で、女が言った。


「なぜ、僕のギフトのことを……」


「そんなの、どうだっていいじゃない」


「よくない!」


「いえ、どうでもいはずよ。あなたが引き起こしたこの現象に比べれば、ね」


 紅い瞳で決めつけられ、僕は返す言葉を失った。

 

 真紅の瞳は口紅のよう。

 それに彩られた金色の瞳孔は、ヴァギナそのものを連想させる。

 男を誘惑し、吸い寄せ、その持てるすべてのものを搾り取る。

 

 僕にそうした経験はないが、この女に見つめられること自体が、単なる隠喩を超えて性的な快楽を僕にもたらす。

 

 早い話が、僕は今性的に激しく興奮している。


「ぐっ、なんだ、これは……?」


「あら、抵抗できるの? 若いのになかなかね。普通ならもう暴発しちゃってるわよ。ふふっ、貴族のご令息には刺激が強すぎたかしら。ごめんなさいね」


「な、何者だ?」


「魔紋のロドゥイエが消息を絶ったと聞いてやってきたのだけれど……まさかあなたにやられたわけじゃあるまいし」


「まも……?」


「その反応、やっぱり無関係みたいね。でも、時間の無駄にはならなかったわ。あなたがとっても素敵なショーを見せてくれたから」


「ショーだと?」


「ええ。あなたはそのギフト『上限突破』を使って、このダンジョンにおけるモンスターの湧出上限を取り払った。一度に出現する数の上限もなくなったし、出現するモンスターの強さの上限もなくなったわ」


「なっ……!?」


「こんな無茶をすればこのダンジョンは遠からず萎れちゃうかもしれないけど……最後に一花咲かせてくれそうね。うふふ、見ものだわ」


「ど、どういうことだ?」


「そうね。あなたにもわかるように説明してあげるわ……シオン・フィン・クルゼオン君。あら? クルゼオンって、この近くにあるまあまあ・・・・大きな人間の街の名前よね? シオン君はその領主の関係者だったりするのかしら?」


「僕は……次期領主だ」


 金色の瞳孔に何かを搾り取られるかのように、僕の口から言葉が出る。

 

 そのたびに、僕は快楽で狂いそうになる。

 

 この女と会話を交わすことが――いや、この女の前に立ち、僕を見てもらえているという事実だけで、おそろしいほどの愉悦がこみ上げてくる。

 本来の僕にはあるはずのない、下賤極まりない欲動が、僕の理性を呑んでいく。

 

 この女は……魔性だ。


「あっははは! それは残念だったわねえ!」


「なんだと?」


「だって、あなたが継ぐはずだったクルゼオンの街は、あなたが引き起こしたスタンピードによってこれからぐっちゃぐちゃになっちゃうんだもの」


「な、に……?」


「うふふ。あなたには、自分の仕出かしたことの結果を特等席で見せてあげるわ。自分が継ぐはずだった豊かな領地が蹂躙されるさまを眺めながら、あなたは最高のエクスタシーを迎えるのよ。一生で一度の破滅的なカ・イ・ラ・ク。きっと病みつきになっちゃうわ、あはははははっ!」


 嗤う女の瞳孔が一瞬、僕から外れた。

 

 僕はその瞬間に女から遠ざかる方向に逃げようとした。

 

 だが、意に反して、僕は女に向かって・・・・全力で走っていた。

 

 僕は女に飛びかかる。

 

 女は抵抗しなかった。

 

 ダンジョンの固い地面に叩きつけられたにも関わらず、女は余裕の表情だ。


「あら嬉しい。お姉さんがそんなに魅力的だったの? ほら、好きにしていいのよ?」


「はぁっ、はぁっ!」


 僕は女の肩を地面に強く押し付ける。

 女の肩の存外やわらかい感触に戸惑う僕。

 その戸惑いで一瞬だけまともな意識を取り戻す。


 女を突き飛ばす――というより、自分を突き飛ばすようにして僕は逃げ出す。


 だが、


「残念。年上はそんなに好みじゃなかったみたいね?」


 僕の胸に後ろから二本の腕がからみつく。

 いつのまにか後ろから抱擁されてることに僕は恐怖を感じた。


「うふふ。大丈夫。まだ壊しはしないから。だって、もったいないもの。一生に一度きりの破滅的な快楽。お姉さんがたんと味あわせてあげるからね」


 女の腕が僕の首にからまり、もう片方の手が僕の口と鼻を塞ぐ。

 鼻腔を支配するあまりにも濃い女の香りに意識が遠のき――



「うっふ。思わぬ拾い物をしちゃったわ」



 その女の言葉を最後に、僕は完全に意識を失った。

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