23 春望

 というわけで、俺はミラがしたためめてくれた紹介状を手に、領都クルゼオンのはずれにやってきた。


 曲がりくねった路地を迷いながら進んでいく。


「ええっと……こっちか?」


 事前に道は聞いてきたんだが、このあたりは道がぐちゃぐちゃなんだよな。


 中央の貴族街は碁盤の目のような整然とした区画整備がされてるのに対し、郊外はわりと野放図に道が引かれ、好き勝手に建物が建てられている。

 伯爵家の資料によると、もし敵軍が市内に侵入した際に郊外で迷ってくれれば好都合だということで、わざと道をわかりにくくした面もあるらしい。

 実際にそこで生活を送る人たちの都合なんて、貴族の身の安全のためには無視されるってことだよな。


 都市計画のない郊外の街並みは、乱雑と言えば乱雑だ。

 でも、計画通りに区切られた貴族街とは違って、人々が生活を営みながら作り上げた生身の街って感じもある。


 誰かの頭の中の計画に従って作られた貴族街は、整ってはいるが、どこか嘘っぽい。

 郊外の街はごちゃついていてお世辞にもきれいとは言えないが、住んでる人たちの生きる力に溢れてる。

 狭い路地の建物と建物のあいだにロープが張られ、洗濯物が鈴なりになってる下を進むのは、貴族街ではできない経験だ。


 とはいえ、


「地図があっても迷うんだよな……」


 ミラの手描きの地図に文句があるわけじゃない。

 むしろ、要点を抑えたわかりやすい地図だと思う。


 しかしそれ以上に、郊外の造りが複雑すぎた。

 行き止まりや裏路地の多い平面的な複雑さに加え、特に石造りのアーチが道の上に渡され、立体交差までできている。

 これなら下限突破ダンジョンのほうがよっぽど道がわかりやすい。


 小さな広場のようなところに出た俺は、そこにあった屋台で串焼きを買いつつ、


「おっちゃん。この地図の場所、わかるか?」


「お? ああ、あの眠り姫んとこか。それなら――」


 屋台のおっちゃんは身振り手振りで俺に道を教えてくれた。

 まっすぐ行って右に曲がって右に曲がって右に曲がってアーチを渡って左に曲がって右に曲がって右に曲がってY字路を右に。

 わかるか、こんなの。


 おっちゃんの説明どおりに進むと、


「急に寂れてきたな……」


 あばら家や崩れかけの建物が増え、石畳の剥げたところから樹木が伸び放題になってる一角に差し掛かった。


 住民が少ないのか、半ば廃墟になりかけており、樹木や雑草だけが生命力たくましく繁茂してる感じだな。


 街の管理って面では問題なのかもしれないが……


「案外、いい雰囲気かもな」


 盗賊が棲み着いてたりするならともかく、単に人が少ないだけなら、廃墟には独特の味がある。


 いや、廃墟というのは住んでる人に失礼か。

 自然に任せるままになってるところが目立つが、生活に必要な部分には人の手がちゃんと入ってるみたいだしな。


「たしか、この先の街道が行商人にあまり利用されなくなったんだったか」


 実家にいた時に聞きかじった知識では、昔は賑わいのある商店街だったらしい。

 行商人のルートの変遷の影響で大きな商店が移動し、それについていく形で中小の商店もなくなった。

 そのせいで寂れてしまったともいえるし、落ち着いたともいえそうだ。

 往時をしのばせる並木道と剥げかけた石畳がものがなしい。


 古代人の残した詩にも「国破れて山河あり」という言葉があった。


「『城春にして 草木深し』だっけか」


 俺がつぶやくと、


「――『時に感じて 花にも涙をそそぎ』」


 どこからか涼やかな声が聞こえてきた。


「ええと、『別れを恨んで 鳥にも心を驚かす』」


「『峰火ほうか 三月に連なり』」


「たしか……『家書 萬金にあたる』?」


「『白頭掻いて 更に短かし』」


 記憶の底から引っ張り出しながら答える俺に対し、あっちの声は一瞬だ。


「なんだっけな……。『べてしんに えざらんと欲す』……で合ってるか?」


「すごい……合ってます」


 声とともに、木陰で誰かが立ち上がる気配がした。


 見てみると、並木の陰に、街並みよりは新しいベンチがあり、声の主はそこに腰かけてたみたいだな。


「……このあたりでは見かけない方ですね」


 と言って、声の主が俺を見る。


 声の主は、大人しそうな印象の小柄な少女だった。


 年齢は、俺と同じか少し下に見えるだろうか。


 長い水色の髪は、ところどころが寝癖のように跳ねている。

 べっこう縁の眼鏡の奥には、眠たげに細められた群青色の瞳。

 紺色のローブは前開きでボタンで留めるワンピースみたいなデザインなんだが、大きめのボタンとボタン穴が明らかに一個ずれてるな。


 少女は、右手に分厚い本を抱えながら、左手でローブのフードを頭にかぶせる。

 フードにはなぜか猫の耳のような大きな三角のでっぱりがついてるが、猫系の獣人というわけではないようだ。


「なんで顔を隠すんだ?」


「ひ、人に見られるのは恥ずかしいから、です……」


 眼鏡がずり落ちそうなほどうつむきながら、少女が答えた。

 さっきまでは鈴の音のような声で古代人の詩を読んでたのに、対面すると恥ずかしいらしい。


「せっかく綺麗な顔なのに」


「な、なな、なんてことを言うんですか! わ、わたしなんて全然です、全然!」


「わ、悪かったよ」


 たしかに初対面の女性にいきなり口説くようなことを言ってしまった。


「ひょっとしてだけど、君が錬金術師のシャノンさん?」


「そ、そうですけど……ひ、ひょっとして、わたし何か悪いことでも……?」


「い、いや、そんなことは聞いてないぞ。優秀で信頼できる錬金術師だと聞いてきた」


「もう。そんなことを言うのはミラさんですね」


 俺はミラに書いてもらった紹介状を渡す。


「ふふっ、『家書』とは違いますが、お便りです」


 さっきの詩にあった「家書」は家人からの便りって意味だったか?


 古代人の言語は、複雑怪奇だ。

 学者たちによれば、複数の自然言語が混じり合ってできたために、意味や由来が解明できない語彙が多いのだとか。

 それが合理化され、簡略化されたのが今俺たちの使ってる言語らしい。


 でも、個人的には、古代人の言語は嫌いじゃない。


 ちょうど、さっき抜けてきた郊外と同じだ。

 人間の営みの中から自然に生まれてきたごちゃついた街並みを、乱雑と見る見方もある。

 だけど俺は、そこに人々のたくましさや生活の知恵を見るのが好きだ。


 古代人の言語も、それと同じだ。

 古代人というと、とかく神の如き超人のように思われがちだが、そのとっちらかった言語を見ると、ああ、古代人も人間だったんだなと思えるんだよな。


 あるいは、滅んでしまった古代人の詩は、それこそ「国破れて山河あり」の世界を体現している。

 それを歴史の皮肉と取るべきなのか、それとも、古代人は自らの栄枯盛衰をも詩の材料にするほど達観していたと取るべきなのか。


 まあ、俺はお世辞にも風流を解するとは言えないからな。

 さっきの古代人の詩だって、意味は半分もわかってないわけなんだが。


 俺がそんなことを考えてるあいだに、シャノンは手紙を読み終えた。


 シャノンはフードで目を半ば隠してうつむきがちに、


「錬金術師がご入用とのことですが……どういったご用件でしょう? あいにくポーションの注文は今は請けたくても請けられない状況なのですが……」


「ポーション絡みではあるんだけどな。俺が頼みたいのは、ポーションの作り方を教えてほしいってことなんだ」

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