20 執事と伯爵

「は? 新たなダンジョンが発見され、その日のうちに踏破された、だと?」


 クルゼオン伯爵は、行政官の報告に眉を跳ね上げた。


 左右の壁に歴代伯爵の肖像が飾られた伯爵邸の執務室には、現在三人の男がいる。


 執務机に座る伯爵当人と、重要事項の報告に現れた行政官、その行政官をここへと案内した執事のトマスの三人だ。


 精悍とは言えないが威厳のある伯爵の容貌に、気の弱そうな若い行政官がびくびくした様子で対面している。


 老執事のトマスは、壁際に控え、置物のように気配を消しながら、急な用命に備えて立っていた。


「ふん、運のいい冒険者もいたものだな。あるいは単に無謀なだけか?」


「は……それが、その……」


「なんだ。報告は簡潔にしろと言っているだろう」


「いえ、そのダンジョンを踏破した人物なのですが……閣下のご子息です」


「私の息子だと? ふははっ、そうか、シオンの所属する勇者パーティ『天翔ける翼』がダンジョン踏破を成し遂げたということか! これはめでたい! 祝賀パーティの準備をせよ! 近隣の貴族へも招待状を書かねばな!」


「い、いえ……その。ダンジョンを踏破したのは、シオン様ではない方のご子息でして……」


「シオンでない方の息子だと? ま、まさか……」


「は、はあ。ポドル草原に出現したダンジョンを踏破されたのは、ゼオン様で間違いないようです」


「馬鹿な! そのようなことがあるものか! 奴は『下限突破』のハズレなのだぞ!?」


「し、しかし、証拠もあるようでして……」


「証拠だと?」


「だ、ダンジョンの名前が『下限突破ダンジョン』に改名されていることを、冒険者ギルドの職員が確認しており…………ひぃっ!」


 言葉の途中でダン!と机を叩いた伯爵に、行政官が身をすくめる。


「下限突破……下限突破ダンジョンだと!? ふざけた名前をつけおって……! 伯爵家の一員としての自覚があるなら、家名を冠して『クルゼオンダンジョン』と名付けるべきであろうが!」


「恐れながら旦那様。ゼオン様は既にクルゼオン伯爵家から追放された身。もしゼオン様がダンジョンに『クルゼオン』の家名をお付けになっていたら、そちらの方が問題だったのでは?」


 壁際から老執事トマスが冷静に指摘する。


「ダンジョンに我が家名を冠せるならなんでもよいわ!」


 ……さすがにそれは無理がありましょう。

 と、トマスは内心で思ったが、もちろんそれを顔に出すようなことはしない。

 若い行政官の方は若干顔に出ていたが、怒り心頭の伯爵には気づかれなかった。


「ふん、あいつが踏破できる程度のダンジョンなのだ。どうせ大したダンジョンではあるまい」


 と、酸っぱい葡萄理論に飛びつく伯爵に、


「い、いえ、それが……ギルドによりますと、ダンジョンは広さこそさほどではないものの、ゴブリンソルジャー及びその統率個体が出現するかなり危険なダンジョンだということでして……」


「ゴブリンソルジャーだと!? 馬鹿馬鹿しい! あの出来損ないが話を盛っておるのであろう! 以前からあやつはギルドの下賤な職員どもと親しかったようだからな!」


 そういうところは見ていたのですな、とトマスは思う。

 だが同時に、昨日まで嫡男として褒めそやしてきた自分の子どもを人前で悪し様に罵るばかりか、名前すら呼ぼうとしないことに嫌悪を覚えた。

 伯爵はここまで身勝手な人間だったろうか?


「し、しかし、ギルドマスター自ら確認に赴いた、と……」


「ありえぬ。何かの間違いであろう。あやつはほんの数日前まで冒険者ではなく、ギフトすら授かっておらなかったのだぞ? それがどうして、生半なまなかな人間の兵士では敵わぬと言われるゴブリンソルジャーを倒せるというのだ? 高ランク冒険者の協力者でもいたというのか?」


「そ、そこまでは……ギルドには守秘義務がございますので」


「そのようなことはわかっておる! どうにかして探り出せ!」


「で、ですが、ギルドとのあいだには相互不可侵協定が……」


「あんなものは気にしなくてよい! 領民の保護のためとでも言っておけば向こうもそれ以上は言って来ぬ!」


「か、かしこまりました!」


 行政官は敬礼すると、部屋から転がり出るようにして去っていく。


「ふう……まったく。どいつもこいつも気の利かぬ無能ばかりだな!」


 奮然と吐き捨て、伯爵は元々やっていた作業に注意を戻す。


 王都の貴族へのご機嫌伺いの手紙である。

 伯爵は新たに嫡男となったシオンを有力貴族に売り込み、あわよくばその令嬢をシオンの婚約者にしたいのだ。


 なにせ、シオンのギフトは「上限突破」。

 しかも、有力な勇者パーティから勧誘を受けた。

 貴族のご令嬢にとって、これ以上の優良物件はそうはあるまい。


「……ゼオン様の追放を取り消されるべきではありませんかな?」


 トマスの言葉に、ペンを持つ伯爵の手が止まる。


「今ならまだなんとでも言い繕えましょう。ダンジョンを踏破したのです。『下限突破』には、何か予想もつかない使い道があったのかもしれません」


「……くどいぞ、トマス」


「しかし……」


「くどいと言った。この先一度でもあやつの名前を口にしてみろ。おまえとおまえの家族は露頭に迷うことになる」


「……失礼致しました。ご容赦を」


 トマスは、職業上の倫理観から、伯爵に頭を下げて引き下がる。


 実際には、今の仕事を解雇されたところで、トマスのような有能な執事が次の雇い先を見つけるのは難しくない。


 トマスは今の伯爵の前の代から務める最古参の使用人だ。

 先代への義理もあり、資質に問題のある今の伯爵にも腐ることなく仕えてきた。


 伯爵は、無能であるがゆえに己の無能さ加減を自覚することすらできず、有能すぎる自分の足を、他の無能な人間が引っ張っているのだと思いこんでいる。


 そして、王都の高位貴族に媚びを売ることで中央政界に進出したいと、身の丈に合わぬ野望を抱いているのだ。


 ……潮時、かもしれませんね。


 トマスは内心でつぶやいた。


 今代の伯爵は、正直言って微妙だ。


 腐敗しているわけでもなければ放蕩放題というわけでもない。

 職務を完全に疎かにしているわけでもない。


 ただ、先代があまりに出来すぎる人だったために己の力量を見つめる機会がなかったのだろう。


 そんな当主を持つクルゼオン伯爵家の希望は、他でもないゼオンであった。


 少なくとも、トマスはそう思っていた。


 だが、その希望は跡継ぎの資格を失ったばかりか、伯爵家から追放された。


「ああ、くそ! なぜこの私がくだらぬ追従の手紙ばかり書かねばならんのだ! 無能揃いのくせにどいつもこいつも威張り腐りおって……!」


 己の執事から醒めた目を向けられていることにも気づかずに。

 伯爵は、癖の強い読みづらい文字を、高価な便箋に書き殴り続けるのだった。

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