13 語り

 ボス部屋の埃っぽい床に投げ出された、黒く禍々しい鳥籠――


 その中に囚われていたのは、


「妖精……本物なのか?」


 妖精。

 その言葉を聞いて思い浮かべるものは、人によって様々だろう。

 中にはエルフや獣人のことを妖精の一種と誤解してる人もいる。


 だが、ある程度の共通了解らしきものはある。

 着せ替え人形くらいの大きさの小人で、蝶や蜻蛉のような羽根があり、全身から燐光を振り撒く伝説の種族――といったイメージだな。


 ボス部屋に転がった鳥籠の中に囚われているのは、まさにそのイメージ通りの妖精だった。


 見た目の年齢は、十代前半くらいだろう。

 もしこれが人間の少女なら、の話だけどな。


 チューリップの花を逆さにしてそのままかぶったようなワンピースの服に、薄桃色のツインテール。

 人間に合わせて縮尺を調整したとしても、小柄な部類に入りそうだ。


『出ぁ~しぃ~なぁ~さぁ~いいいいいいっ!!!』


 キンキン声を上げ続ける妖精を無視して、黒ローブの男がボスゴブリンに語りかける。


 さっき妖精は、黒ローブのことを「陰険ムッツリ眼鏡野郎」とか言ってたか。


 注意して見ると、目深にかぶったフードの奥に、鈍く光るレンズがある。

 「陰険ムッツリ」かどうかは知らないが、眼鏡を掛けてることは事実だな。 


「虚しいとは思わんか?」


 黒ローブが言った。


 その言葉はなんと、妖精ではなくボスモンスターに向けられている。


 言うまでもないことだが、ほとんどすべてのモンスターは、人語を解さない。

 ボスに語りかけてるようでありながら、その実、相手が自分の話を聞いてるかどうかなんて気にしてないような感じだな。


「それだけの力を持ちながら、ボス部屋から出ることも叶わず、欲望に駆られた卑しき人間の冒険者どもが現れるのをただ待つだけ……おまえが生まれてきたことに、一体何の意味がある?」


「ググウ……」


 とボスゴブリンが唸るが、それはべつに「ぐう」の音を出したわけではないだろう。

 そもそもこのゴブリンに言葉が通じてるようには見えないな。


「人間どもの果てしなき欲望の餌食となる前に、おまえの方が先に、人間を己が欲望の餌食とするのだ。殻を喰い破れ。そのための道具はそこにある」


 と言って、男はちらりと鳥籠の中の妖精を一瞥する。


 意味ありげな視線に釣られ、ボスも妖精へと目を落とす。


 男の話を聞いてるかどうかはわからないが、このボスは今のところ黒ローブに襲いかかることはしていない。


 奇妙なことだ。

 ダンジョンボスは、ボス部屋への侵入者があれば、即座に攻撃を開始すると聞いている。

 一方通行の語りを聞いてくれるなんて話は聞いたことがない。


「この世界には二つの知的生命がいる。人間とモンスター――ではない。遊戯者プレイヤーたる資格を与えられたものと、そうでないものだ」


 ボスゴブリンの顔には「?」と書いてあるな。

 たぶん俺の顔もボスと似たような感じだろう。


「古代人の末裔には遊戯者プレイヤーとしての識別符号が与えられ、それ以外の者は等しくNPCとされる。NPC――プレイヤーであらざる者という意味の侮蔑語だ」


『ちょっと! 訳わかんないこと言ってないでここから出しなさいよっ! この独り善がり厄介根暗自分語りヤロー!』


 ……伝説の存在はだいぶ口が悪いみたいだな。


「この世界は古代人の夢だそうだ。だが、我々にとっては、古代人の旧世界こそが夢に等しい。古代人だと? フン、神の如き力を手に入れながら、生にみ果て滅んでいった負け犬どもではないか。そんな連中の定めた法則に何故縛られねばならぬのだ?」


「グ、グゴ……」


 ボスゴブリンが黒ローブの放つ威圧感にたじろいだ。

 聖域の中にいるのでなければ、俺もたぶん凍りついていただろう。


 いまだに黒ローブに俺の存在を察知されてないのは、おそらく俺が聖域内に留まってるからだ。


 話によれば、もしボス部屋の扉が開いていたとしても、ボス部屋の中から聖域を見ることはできないのだという。

 もしそれができるとすれば、ダンジョンボスは冒険者が聖域からボス部屋に侵入するのを待ち構えて攻撃できることになってしまう。

 聖域の安全性とボスとの戦いの公正さを担保するための仕組みだというのが、架空世界仮説信奉者たちの見解だ。


 その説明の当否はともかくとして。

 聖域からボス部屋の中を覗くことはできるが、その逆はできない、というのは事実らしい。

 これは学者の意見ではなく、冒険者たちによって確かめられてきた、動かしがたい事実である。


 さらに言えば、この一方通行は視線に限った話じゃない。

 聖域とボス部屋のあいだのあらゆる情報の伝達は、ボス部屋→聖域だけの一方通行になってるらしい。

 光や音をはじめ、黒ローブの放つ威圧感なんかも、聖域には筒抜けだ。

 妖精の「声」もそうなんだろう。


 架空世界仮説的には、ボスの脅威度を外から測れるように、という仕組みらしいが、そのおかげで俺はボス部屋の黒ローブたちに気づくことができた。


 逆に、聖域側の情報は、ボス部屋の中には伝わらない。

 俺がこうして息を潜めてるのも、本当は必要のない警戒なんだろう。


 でも、この黒ローブならあるいは……という怖さもあるよな。

 まあ、単に俺がこの「情報の一方通行」のことを今まで忘れてただけなんだが。


「何も知らぬ哀れなゴブリンよ、その妖精を取り込むがいい。古代人の同伴者コンパニオンとして生み出された妖精には、遊戯者に準じた識別符号が付与されている。その妖精を喰らうことで、貴様は識別符号を手に入れることができる……。ただのNPCではなくなるということだ」


「グ、グゴ……?」


「悔しくはないのか? 知性なき存在として生み出された貴様は、遊戯の無様なやられ役でしかないのだぞ? 野蛮なゴブリンとはいえ、貴様は上位の統率個体だ。将たる者がこのような侮蔑を受けて黙っているつもりか? さあ、早くその羽虫を喰らって、俺たち魔族の仲間となるがいい――!」


「グガァァ!」


 意味はわからないなりに、ボスは煽られたことがわかったらしい。

 憤怒の表情で地面に転がったケージに近づく。


『ち、ちょっとぉ!? なんでそんな奴の言うことを真に受けちゃってるんですかぁ!? やめなさい、あたしを食べたって美味しくなんかないんだからぁ!!!』


 くそ。これ以上の猶予はなさそうだ。


 取るべき行動を決めなくてはいけない。


 黒ローブの男は、見るからにヤバい。

 駆け出し冒険者の手に負えるような相手じゃないだろう。

 いや、黒ローブの男を抜きにしても、あのボスゴブリンだって十分すぎる強敵のはずだ。


 自分の安全だけを考えるなら、何も見なかったことにして来た道を引き返すべきだ。


 だが、気づけば俺は、「マジックアロー」の詠唱を始めていた。


 聖域とボス部屋のあいだには「情報の一方通行」がある。


 では、情報以外のもの――たとえば、矢や魔法や投擲されたアイテムはどうなるのか?


 その答えははっきりしてる。

 聖域からボス部屋内への攻撃はすべて無効化されるらしい。

 もしそれができてしまったら、安全な聖域からボスを一方的に攻撃することができてしまうからな。

 もしそれができるんなら、聖域からボス部屋に爆裂石をひたすら投げ込み続ければ、ノーリスクでほとんどのボスを封殺できることになってしまう。


 じゃあ、なぜ聖域で詠唱を始めたのかって?


 呪文の詠唱に関してだけは、ちょっとした抜け道があるんだよな。


 詠唱を聖域内で済ませておき、ボス部屋に足を踏み入れた瞬間に――


「『マジックアロー』!」


 俺の放った魔法の矢が、黒ローブの男に直撃した。

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