12 ボス部屋で待つものは

 俺の前方に、開けた空間が現れた。


 大きな鉄の扉の前の空間には古ぼけた女神像が立っている。


 実際に見るのは初めてだが、これが聖域なんだろう。

 なんとはなしの感覚で、ここが安全なんだということが実感できる。


「……ん?」


 ようやく休めると思い気が抜けかけた俺だったが、奥にある扉が薄っすら開いてることに気づいて警戒する。


 ボス部屋と聖域を区切る扉は、錆の浮いた観音開きの巨大な鉄扉てっぴだ。

 オーガでも余裕でくぐれそうなほどの高さがある。


 その「奥」から、いきなり声が飛んできた。



『ここから出しやがれって言ってるんですよぉー! 聞こえてるんですかぁー!』



「うぉっ!?」


 いきなり響いたキンキン声に、思わず耳を塞ぐ俺。


 だが、俺は耳栓(薬草)をしたままだ。

 即席の耳栓だから、すべての音を遮断できるようなものじゃないが、耳がキーンとするほどの音は聴こえないはずだ。

 なにせ、爆裂石の爆音すらそれなりに軽減してたんだからな。


「な、なんだ……!?」


 爆裂石をも凌駕するとんでもない大声――というわけではない。


 なんというか、鼓膜を振動させて伝わる声ではなく、「声」そのものが直接俺の脳裏に響いたような感じだ。


 脳裏に響くって意味では「天の声」と似てるかもしれないが、無愛想で事務的なあれと違い、実に生き生きとした少女の声だ。

 小さな子どもが急にキンキンした声を上げることがあるが、あれによく似た感じだな。


 「声」はさらに叫び続ける。


『出さないって言うんならこっちにも考えがありますよぉー! あたしがず~~~~っと叫び続けてもいいんですか、こらぁー⁉』


「……勘弁してくれ」


 とつぶやく俺。 

 「声」そのものはかわいらしいんだが、脳に直接響くからガードもできない。

 「声」の余韻で頭がずきりと痛むほどだ。


 俺は耳栓(薬草)を外してズボンのポケットに入れると、足音を殺して聖域に近づく。

 注意深く様子をうかがってみるが、聖域の中には誰もいない。

 やはり、あの「声」はボス部屋の中からみたいだな。


「……ようやく休めると思ったんだけどな」


 ボヤきたくなるが、聞こえてくる「声」は、助けを求めてるものとも取れるよな。


 その「声」の主が、モンスターであるはずはない。


 となれば、


「……冒険者同士のトラブルか?」


 俺はてっきり、このダンジョンに足を踏み入れるのは俺が初めてだと思っていた。

 だが、偶然ここを発見して、ギルドにも内緒で先行してる冒険者が、絶対にいないとは言い切れない。

 正式な調査が入る前においしいところを頂いてしまおう――そんな考えを起こしたのかもな。

 で、欲をかいた結果、内輪もめに至ったと?


「どうしたものかな……」


 ダンジョンという閉鎖空間でのトラブルは、しばしば非常に危険な結果に繋がると聞く。

 他人の目のないダンジョンの中で冒険者同士が揉め事になれば、いきおい力で解決するほうに流れがちだ。

 ただでさえ気性の荒い奴が多いからな。


 ダンジョン内では時間が経つと死体が自然消滅するということもあり、人を殺してもただの失踪として処理されてしまうことも多いという。

 どう考えてもあいつが殺したとわかるような状況であっても、確実な証拠がなければどうしようもない。


 領主である父(もう俺の父ではないらしいが)もそうした裁判にかかわることがあるが、率直に言って酷いものだ。

 被害者の遺族や仲間に向かって、「その者が犯人だという確実な証拠を提出するか、信頼できる身元の確かな証言者を連れてこい」などと、平気で無茶なことを要求するからな。


 とはいえ、俺が父の立場だったとして、父がやっていた以上のことができるのかと問われれば、難しいとしか言いようがない。

 そもそもが証拠のない話なんだからな。

 他の領主と比べて、父が領主として特別に無責任とは言えないだろう。


「どうする? トラブルだとしたら新米冒険者には荷が重いぞ」


 揉めているのが冒険者同士なのだとしたら、ほぼ間違いなく、どちらの側も俺より強い。

 まともに戦って勝つのは難しいし、どちらかに加勢しても役に立てるかどうか怪しいところだ。


 もちろん、爆裂石をボス部屋に投げ込めば、その場にいる冒険者をまとめてなぎ倒すことはできるだろう。

 だが、それでは助けを求めてる側まで一緒に吹き飛ばすことになってしまう。


「まあ、自衛のことだけ考えるなら、それがいちばん安全なのかもしれないが……」


 当然のことながら、「なんか怖そうだからとりあえず爆裂石を投げ込んで、何も見なかったことにしてしまおう」なんて真似をするつもりはない。


「しかたない。まずは様子を伺うか」


 俺は聖域の部屋の壁際に沿って扉に近づき、中の会話に耳を澄ませる。


 今まで聞こえたのは頭に響く「声」だけだが、その「声」の主だって、相手がいないのにこんなふうに騒いだりはしないだろう。


 ……もしそうだったとしたら、それはそれで怖いよな。


 そんな俺の不安に答えるように、


「……五月蝿うるさい羽虫だ」


 第二の声が聞こえてきた。


 この声は、さっきまでの「声」とは違い、物理的な音を伴う普通の声だ。


 しわがれた低い男の声だった。


 青年とも中年ともつかない声には、何か不穏な圧のようなものが宿ってる。

 「声」には子どものような明るさがあるのに対し、男の声はいかにも物騒だ。


「……冒険者同士のトラブルじゃない、のか?」


 この二つの声の主が、一緒にパーティを組んで冒険をしてるとは思いにくい。


「内輪もめじゃないとしたら……犯罪か?」


 俺は、薄く開いた扉の隙間から、慎重に中を覗き込む。


 そこに見えた光景は、解釈に困るものだった。


 まず、ボス部屋の中央にモンスターが一体。


 身長2メテル半ほどの体格のいいゴブリンだ。


 道中のゴブリンと異なり、それなりに状態のいい立派な鎧を着込んでる。

 オーガのようなモンスターと比べれば細身だが、それでも胸板の厚さや全身の筋肉量は俺を圧倒するには十分だ。

 片手には、人間の両手剣のようなサイズの鉈を下げ、もう片方の手には、人骨を組み合わせて作ったような不気味な大盾を持っている。


 あれが、このダンジョンのボスなんだろう。

 ゴブリンリーダーの上位互換なら、ゴブリンキャプテンあたりだろうか。


 もちろん、ボス部屋にボスがいるというだけなら、俺も戸惑うことはなかっただろう。

 冒険者の内輪もめならボスは倒した後なんだろうと思ってたが、まだという可能性もなくはない。


 そのボスの前に、黒いローブに身を包んだ謎の男が立っている。


 フードの中が見えないから絶対に男だという確証はないが、体格的には男に見える。

 さっきの声の主はこいつのはずだ。

 他に候補がいないからな。


 ローブは一見地味に見えるが、黒い布地の上にわずかに色味の違う別の黒で複雑な紋が描かれてるみたいだな。

 なんらかの効果があるのか、それとも単なる虚仮威しや装飾なのかはわからない。

 ただ、男の発する静かな威圧感から考えて、何かあると思っておいたほうがよさそうだ。


 こいつが犯罪者なんだと言われれば、十人中十人が納得してしまいそうな格好だよな。


 だが、ボス部屋にはもうひとつ、この場に似つかわしいとは言えないものが存在した。


 黒い金属で出来た不気味な鳥籠とりかご――のようなものが、黒ローブの男とボスゴブリンのあいだの地面に、横倒しになって転がっている。


 位置関係から考えて、黒ローブの男がそれを、ボスに向かって無造作に放り投げたんだろう。


 その、地面に転がった鳥籠の中に……


 いた。



『ちょぉぉぉっとぉっ! 少しはあたしの話を聞きなさいよ、この陰険ムッツリ眼鏡ヤローぉっ!』



 と、三度みたび頭に響く「声」。


 もちろん、地面に転がった鳥籠の中から、だ。


 その中に囚われてるものを見て、俺は思わず目を見開いた。


 一見すると、小さな女の子がほしがるような、着せ替え人形のように見えなくもない。


 だが、その「人形」は、実に生き生きと動いていた。

 背中から生えた羽根を羽ばたかせ、鳥籠の柵を両手で掴んで、全身の力を込めて揺さぶろうとしている。


 その言動にあまりに屈託がないために、絶体絶命の窮地にあるはずなのに、どこか賑やかで、コミカルにすら感じてしまう。


 まるで、生まれた時から負の感情を一切持ち合わせていないかのような――


 そんな存在ものは、伝説の中にしか存在しない。


 俺の口から、自然にその言葉が零れ出る。



「……妖、精?」


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