04 窮地

「なっ――」


 足が接地すべき地面を失い、俺の身体が斜めに傾く。

 なんとか体勢を整えようともがくが、手も足も確かな何かを捉えることはできなかった。


 何が起きたのかって?

 わかってみれば単純なことだ。

 俺の足元に、草で隠された穴があった。

 俺はその落とし穴じみた空隙に足を踏み入れてしまったというわけだ。


「う、お、あああああ……っ!」


 穴の壁にあちこちをぶつけながら、俺は穴を転げるように落ちていく。

 穴は完全な縦穴ではなく、急斜面の斜めの穴だった。

 肩をぶつけ、膝を擦られ、丸めた背中にも何度となく強い衝撃が走った。

 だが、強烈な落下感の中では痛みを感じる余裕もない。


 しばし斜め穴を転がったかと思うと、バキッという音とともに、俺は何もない空中へと投げ出される。


「マジかよっ!?」


 高さは、二階建ての屋根の上から放り出されたくらいだろうか。

 薄暗い洞穴の中に投げ出された俺は、必死で受け身もどきの動作をして、墜落の衝撃を和らげる。

 といっても、見事に着地を決めたわけじゃない。

 どうにか腕や足を骨折しないよう身を丸めながら派手に横回転しただけだ。

 単に勢い余って転がっただけともいえるだろう。


「ぐあっ!」


 地面を転がった挙げ句、壁にぶつかってようやく止まる。

 その衝撃で、壁に掲げられた松明たいまつがぼろっ……とこぼれた。


「うおっ!?」


 俺は慌ててその場で転がり、落ちてきた松明をなんとかかわす。


「ふ、ふう……」


 これでようやく一段落か?


 俺は自分の身体を確かめながら周囲を見渡す。


 まず身体の方だが、多数の擦り傷と打撲があるくらいで、奇跡的にも大きな怪我はしていない。

 後になって痛み出す可能性は捨てきれないが、今のところはまともに動く。


 で、そんな俺が転げ込んだこの場所なんだが――


「洞穴……か? ゴブリンの巣穴に落ち込んだってことか?」


 さっき、見張りのゴブリンを遠目に見ながら回り込もうとしてた時、突如として背後にゴブリンが現れた。

 俺が斬り倒したゴブリンだな。

 あのゴブリンは、おそらくさっきの穴から這い出してきたとこだったんだろう。

 俺だって、周囲を警戒し、背後にゴブリンがいないことを確認した上で回り込んでたんだからな。

 

 で、そのゴブリンを倒して逃げ出した俺は、あのゴブリンが出てきた穴に見事に落ちてしまったというわけだ。

 悪知恵の回るゴブリンは、あの穴を草で隠してたんだろうな。


「落とし穴っていうより、単に出入り口を隠してただけなんだろうが……」


 それが結果的には落とし穴のように作用したということか。


「ここは……巣の中なのか?」


 洞穴には、数こそ少ないながらも壁に松明たいまつが設置されている。

 松明と言っても、そんなに出来のいいものじゃない。

 木にボロ布を撒いてよくわからない油のようなものを染み込ませただけの雑なものだ。

 冒険者のあいだで「ゴブリン松明」と呼ばれるゴブリンお手製の松明だな。

 嫌な臭いを撒き散らしながら長時間燃焼するその油の正体は、ゴブリンの分泌物とも言われてる。

 煙に毒性はないらしいが、ずっと嗅いでいたいとは思わない。

 臭いさえなければ、ランプの燃料としては優秀なのかもしれないが。


「それでも明かりがあるだけマシか……」


 洞穴には、ゴブリン松明の他にも人工物があった。

 壊れた梯子はしごだ。

 さっき俺がここに落ちてきた時に、バキって音がしてたよな。

 あれは、穴に立てかけられていたこの梯子を、俺が落下の勢いでへし折った音だったんだろう。

 梯子に一度ぶつかったおかげで落下の勢いが緩和された面はあるかもしれない。

 梯子がヤワな造りだったことに感謝すべきなんだろうか?

 兄さんは楽観的だね、とシオンに皮肉を言われそうだけどな。


「でも、梯子がないと天井までは昇れそうにないな……」


 急斜面の穴ではあったが、天井の穴に取り付くことができさえすれば、よじ登ることも可能だろう。

 実際、俺が倒したゴブリンはそうやってあの穴を上ってきたんだろうし。

 ゴブリン向けのあまり大きくない穴なので、手足を突っ張れば上れるはずだ。

 だが、それも天井の穴に手が届けばの話である。


「しかたない。巣穴を辿って他の場所から地上に出よう」


 この穴がゴブリンたちが掘ったものなのか、それとも自然にあったものを利用したのかはわからない。

 ゴブリンの群れが棲み着いたのは最近だから、時間的には元からあったものと考えるほうが自然だろう。

 元からあった天然の地下洞なのだとしたら、出口が用意されてる保証はない。

 

 でも、あのゴブリンが通用口として使ってたんだからな。

 少なくとも、ゴブリンの群れがいた岩山の近くに出るような穴はあるんじゃないか?

 もっとも、その場合には出口付近はゴブリンだらけという可能性もある。


「たしか、ゴブリンが松明を作り出すのは、群れの大きさがそれなりになってからなんだったよな」


 どういうわけか、ゴブリンは群れの規模が大きくなると、ちょっとした工作物を作り出す。

 ゴブリン松明やさっきの梯子なんかがその例だ。

 もちろん、人間が作るのに比べて造りが甘いから、ちょっとぶつかっただけで壊れてしまう程度のものなんだが。


 群れの数がさらに増えると、簡単なものながら小屋を作るようにもなるという。

 周囲の環境によっては地下に穴を掘って住居にすることもあるようだ。

 その数が増えれば、群れはその土地に定住する「集落」の様相を呈してくる。

 集落が大きくなると、ゴブリンはさらに知恵をつけ、防衛用の柵ややぐら、空堀なんかも作り出す。

 そうなってしまうと、集落の制圧には、高ランク冒険者か勇者パーティ、さもなくば騎士団の出動が必要になる。


 一体一体にはそんな知恵があるようには見えないのに、数が殖えるに従って知恵をつける――

 このことは、ゴブリンをはじめとする亜人型モンスターの謎のひとつとして、学者たちをずっと悩ませてきた問題らしい。


 ここに棲み着いたゴブリンどもが松明を造り、地下空間を巣として利用する知恵を持っているのだとすると、事態は俺が思ってたよりも悪いんだろう。

 さすがの俺も、「最悪の事態になる前に発見できてよかった」と前向きに考える気にはなれないな。

 俺自身が依頼文に書いたように、どんな情報も生きて持ち帰れなければ意味がないのだから。


「……もしゴブリンと出くわしたら逃げ場はない」


 俺の落ちた空間は行き止まりになっていて、空洞は一方向にしか続いてない。

 もし前方にゴブリンの群れが現れたら万事休すだ。


「そうだ、ミラがくれた爆裂石があったな」


 あれなら、ゴブリンの群れをまとめて吹き飛ばすこともできるだろう。

 ただ、地下洞の不安定な場所で使えば、ゴブリンごと生き埋めになるおそれもある。

 この地下洞は広いが、床や壁は剥き出しの土で、鍾乳洞のような安定した岩盤ではないようだ。

 崩れる時は一気に崩れるだろうし、一度崩れれば土を掘り返して外に出ることは不可能だろう。


「アイテムといえば……」


 当然の用心として、回復アイテムは持ってきた。

 だが、今の怪我の状態で使うのはもったいない。

 かといって、擦りむけた部分が痛くないわけじゃない。


「そうだ」


 俺はさっき地上で採取したばかりの薬草を取り出した。

 初級ポーションの原料となる薬草だが、単にすり潰して傷口に塗るだけでもそれなりの回復効果がある。


 俺は薬草を口に含んでよく噛むと、唾液の混じったそれを傷口に塗った。

 汚いと思われるかもしれないが、道具もなしに薬草を磨り潰すにはこれがいちばん手っ取り早い。


 薬草はほのかな燐光を発しながら傷口に染み込むようにして消えていく。

 ペースト状の薬草がなくなった後には、元通りになった皮膚がある。


「よし」


 こんな地味な怪我であっても、戦闘中に気を取られることもあるからな。

 思い切って地面に転がる必要がある時に、擦りむいた膝が気になって躊躇する、なんてのは最悪だ。

 ズボンの膝には革のパッドが縫い付けてあったんだが、穴を転がり落ちるあいだに取れてしまったみたいだな。


「こんな場所でゴブリンの群れと出会ったら……」


 いちかばちかの爆裂石は使いたくない。

 かといって、スキルも持ってない俺の剣技で複数のゴブリンと同時に戦うのは難しい。


「ギフトが戦闘向きならなんとかなったのかもしれないが……」


 頼みのギフトが「下限突破」じゃな。


「案外、シオンの言ってた通りなのかもな。俺の人生が下限を突き破って転げ落ちはじめたっていう……」


 暗さのせいもあって、つい自虐的なことを言ってしまい、首を振る。


 そんなことを考えても、落ち込むだけで意味はない。

 ピンチというのは、案外新しいチャンスでもある。

 実際にはそうそううまくいくことばかりじゃないが、少なくともそう考えてみるだけならどこでもできる。

 ダメでもともと、気付きがあれば大儲け、だ。


「そうだな。他に手段もないなら『下限突破』について考えてみるか」


 俺はステータスを開いて、「下限突破」の説明文を表示する。

 


Gift――――――――――――

下限突破

あらゆるパラメーターの下限を突破できる

――――――――――――――



「あいかわらずそっけない説明だな……」


 ちなみに、洞穴の暗さの中でも、ステータスウインドウを見るのに問題はない。

 ウインドウ自体が発光するからな。

 この光は使った本人にしか見えないものなので、この光をゴブリンに気づかれるおそれはない。


「使えないギフトでも松明の代わりにくらいはなるわけだ」


 おっと。そんなことを言うとミラに怒られてしまうな。


 「下限突破」について考察する前に、そもそもギフトとは何かについて、俺の知ってることをおさらいしよう。

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