03 初めての戦闘

 クルゼオン伯爵領領都クルゼオンからポドル草原までは、徒歩で丸一日かかる微妙な距離だ。

 さいわい、街道を歩いてる途中で顔見知りの行商人に声をかけられ、馬車に乗せてもらえることになった。

 伯爵家に出入りしてた行商人の人なんだが、俺が伯爵家を追い出された経緯を話しても、「それはご災難でしたな」と慰めてくれ、俺への態度は変わらなかった。


 馬車に乗せてもらえたおかげで、その日の夕刻前にはポドル草原につくことができた。

 これなら日が暮れる前にゴブリンの偵察ができるだろう。


「ここがフィールドか」


 古代語に言うフィールドとは、生息するモンスターの種類が一致する、屋外のひとまとまりの空間のことだ。

 同じフィールドの中では生息するモンスターの幅が決まっている、ともいえるし、そうした領域のことをひとつのフィールドとして区別する、ということでもある。

 それだけに、本来そのフィールドに棲息しないはずのモンスターが見つかるのは、異常とはいえないまでも、珍しい。


 フィールドは、基本的には冒険者のテリトリーだ。

 別に冒険者以外が入ってはいけないわけではないが、アイテムの採取をするにしても、フィールドに慣れた冒険者に依頼するほうが確実だ。

 また、王や地方領主の騎士や兵がフィールドに集団で立ち入る時には、冒険者ギルドに声をかけるのが不文律になっている。

 無闇にフィールドを荒らされると不測の事態が起こることもあるからな。

 貴族である(だった)俺も、フィールドを遠巻きに見たことはあっても、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。


 見晴らしのいい草原だけに、モンスターの姿は遠くからでも見える。

 初心者向けと言われるだけあって、積極的に襲いかかってくるようなモンスターは限られる。

 そこらへんに転がってるスライムは、こちらから近づきさえしなければ安全だ。

 グリーンワームと呼ばれる大きなイモムシのようなモンスターは動きが遅く、たとえ気づかれても走って逃げれば追いつかれない。

 ただし、夜になるとヒュージバットという人の頭くらいの大きさの蝙蝠型モンスターが出現する。

 ヒュージバットは人の耳では聞き取れない高い音を使って獲物の居場所を突き止めると言われており、注意が必要なモンスターだ。

 とはいえ、そのヒュージバットですら、駆け出しの冒険者であってもまず苦戦しないという程度の強さでしかない。


 そんなのどかな(?)草原の奥に突き出た岩山のそばに、夕闇に黒く浮かび上がる子鬼のようなシルエットが見えた。

 錆びだらけの剣をぶら下げた、背筋の丸い子鬼のようなモンスター。

 あれが、今回の依頼の目的であるゴブリンだ。


「近くに仲間はいない……か?」


 岩山のさらに奥、まばらに木立が迫ってるあたりに篝火が見える。

 その周囲にゴブリンが何体かいるようだ。

 孤立している手前のゴブリンは見張り役か何かなのだろうか。


「どうする?」


 もう少し岩山に近づいて、群れの規模を推定したい。

 だが、見張りのゴブリンは岩山へのちょうど中間点でうろちょろしてる。

 見張りとしての集中力には疑問があるが、近づけば気づかれる可能性が高いだろう。


「いっそ釣り出すか?」


 石でも投げて見張りのゴブリンを釣り出し、声を上げる前に倒してしまう。

 そんなことができればいいのだが。


「……いや、これ、俺の初陣だからな」


 貴族の初陣は人間対人間の戦争のものを指すのだが、そんな細かいことはどうでもいい。


「気づかれないように大きく回り込もう」


 草原を横切るあいだに日が落ちてきてしまったが、暗さはこの場合味方でもある。


 俺はそろそろと草原の草をかき分けながら岩山の側面に回り込もうとする。


「お、薬草だな」


 足元に図鑑で見た植物を見つけ、根から慎重に掘り出す俺。


「収納」


 俺がつぶやくと、俺の手の中から薬草が消える。


「メニュー――持ち物リスト」


 俺の言葉で空中に半透明の看板のようなものが浮かび上がる。

 古代語でウィンドウと呼ばれるそれに、俺の現在の持ち物が表示された。



Item―――――

初級ポーション 3

初級マナポーション 1

毒消し草 1

爆裂石 1

薬草HQ 1

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

(空き)

―――――



 根から丁寧に掘り出したおかげで、薬草はHQ――高品質ハイクオリティとなってるな。

 こんなふうに、手に入れたアイテムは、持ち物リストに収納すればかさばることがない。

 一体どんな仕組みになってるのか、深く考えると不思議なんだが、現にそういう仕組みがあるんだからしょうがない。


 さらに、この持ち物リストには、もうひとつ大きな特徴がある。

 同じアイテムを複数個収納すると、同じアイテム同士で自動的にまとめられ、「アイテム名+個数」の形でリストの一つの枠に収まるのだ。

 俺の現在の持ち物でいえば、「初級ポーション 3」みたいな感じだな。

 古代語ではスタックと呼ばれる仕組みである。


 この仕組みを利用すると、たとえば初級ポーションを99個まで持つことができる。

 これも、考えてみれば奇妙な話だ。

 別種のアイテムを一個ずつ収納すると、合計で16個のアイテムしか収納できない。

 それなのに、同種のアイテムなら、持ち物リスト一枠につき99個も持てるのだ。

 持ち物リストがどこかの異空間にものをしまっているのだとすると、その容量はどうなってるんだって話になる。

 学者の立てた仮説によれば、持ち物リストはアイテムを概念に変えて「収納」してるのであって、実物をそのままどこかの空間に放り込んでるわけではないんだとか。


 だがまあ、そんなことはどうでもいい。


「せっかくだから薬草を採取していくか?」


 ポドル草原は薬草の採取地としても有名なんだよな。

 スタックのおかげで荷物が増えることはないわけだし。


「薬草は初級ポーションの原料になる。これで救われる人も多いからな」


 初級といっても、その効果は侮れない。

 簡単な怪我なら跡形もなく治してしまう魔法の薬だ。

 買取価格は高くはないが、それでも貧民と呼ばれる人たちには手が出しにくい額にはなっている。

 親がポーションを買ってやれなかったばかりに傷跡が残ったり亡くなったりする子どももいるんだよな。

 もちろん、荒事が日常の冒険者たちにとっても、ポーションは文字通りに生命線だ。

 ミラからは、いくつあっても困らないと聞いている。


 だが、この状況で薬草に気を取られたのはまずかった。


 がさっ――


 いきなり背後から聞こえた足音に、俺は慌てて振り返る。


「うわっ!?」


 ほんの数歩の距離にゴブリンがいた。

 見張りとは別のゴブリンだ。

 

 警戒しながら進んできたのに、どうして背後にゴブリンが!?


 そんな疑問を抱く俺だが、ゴブリンが答えを教えてくれるはずもない。


 ギケエエエ!と叫び、錆びた剣を振り上げながら俺に迫る。

 これでおそらく見張りや岩山にいるゴブリンにも気づかれた。


「くそっ!」


 俺は手にしたロングソードを構えゴブリンを迎え撃つ。

 跳び上がって斬りかかってきたゴブリンの一撃をロングソードで受け止める。

 手が痺れた。

 予想以上に重い一撃だった。


 だが、この手応えなら膂力STRはほぼ互角だろう。

 俺のSTRは11。

 ゴブリンは人間より膂力に劣ると言われ、レベル1ならSTRは6~9とされている。

 このゴブリンのSTRが俺とほぼ同等ということは、このゴブリンはSTRが高い個体のレベル1か、STRが低い個体のレベル2かのどちらかだ。

 レベル的には俺より上かもしれないが、ゴブリンの能力値の全体的な低さを考えればなんとかなる……はずだ。


「この程度なら!」


 ギフトを授かったばかりの俺にスキルはない。

 ギフトがなくてもスキルや魔法は得られるが、貴族の場合は成人の儀を待つのが一般的だ。

 得られたギフトによって戦い方が変わったり、成長に補正がかかったりするからな。


 とくに大事なのは、成長への補正のほうだ。

 この世界では誰もが知ってるように、レベルが上がると、個々の能力値が上昇する。

 注意が必要なのは、このときの能力値の上昇幅は、それまでの「経験」の内容に応じて変わってくるということだ。

 剣を中心に戦っていればHPやSTRが上がりやすく、魔法ばかりで戦っていればMPやINTが上がりやすい。

 貴族のみならず、冒険者にもこのことは広く知られてる。


 貴族の場合は、そこに成人の儀という特殊な事情が絡んでくる。

 どんなギフトを授かるかは、実際に儀式を受けてみないことにはわからない。

 ギフトによっては、物理あるいは魔法に特化したものもある。

 俺の「下限突破」はどちらでもないが、「剣聖」や「賢者」みたいなギフトは、露骨に物理特化・魔法特化の特性を持つ。

 せっかく魔法特化の強力なギフトを授かっても、その時点で剣での「経験」を積んでレベルを上げてしまっていたら、将来MPやINT不足に頭を抱えることになってしまう。

 そんなわけで、貴族はギフトを授かるまでは間違ってもレベルが上がらないようにするのが通例なのだ。


 でも、スキルがなければ戦えないってわけじゃない。

 たしかにスキルなしで魔法を使うことは人間には不可能と言われるが、武器を持って戦うだけならやりようはある。

 スキルのような特殊な効果がなくても、一般的な意味における剣技・剣術にも一定の意義があるからな。


 ゴブリンの攻撃は、獰猛だが単純だ。

 力任せの攻撃を捌ける程度には、俺も剣の修練を積んできた。

 だが、


「くっ、気圧されてるな……!」


 初めての実戦に、汗で手がぬかるんだ。

 距離を取って一瞬だけ片手を柄から離し、服で汗を拭き取る俺。

 柄をしっかり握り直してから、


「はああっ!」


 気合いとともにゴブリンの斬撃を打ち払う。

 ゴブリンの手から剣がすっぽ抜けて飛んでいく。

 隙だらけとなったゴブリンを真っ向から斬り下ろす。


 手応えあり。


 ゴブリンの身体はその場で黒い粒子へと分解し、後には赤黒い小さな石が残された。

 その魔石を拾う俺の耳にゴブリンたちの喚きが聞こえてきた。


「くそっ、あの数はまずいぞ……!」


 どうするかって?

 もちろん、逃げるしかない。

 ミラにもらった爆裂石はあるが、こんな開けた場所で使えば、周囲のモンスターまで呼び込んでしまう。

 普段は向こうからは攻撃してこないモンスターであっても、脅威を感じるような刺激があれば、たちどころに牙を剥くと聞いている。


 さいわい、ゴブリンは人間より鈍足でDEXも低い。

 戦うよりも逃げたほうが安全なはずだ。


 俺はゴブリンどもに背を向けて全力で走り出し――


 その足が、地面を捉えそこねて空転した。

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