第18話 同棲

「志穂の結婚資金は大丈夫なのか」

活舌の悪くなった父の声が静寂した廊下まで聞こえてきた。

思わず病室の前で私は立ち止まる。

「貴方がそんなこと心配しなくてもいいわ。何とかなるわよ」

「心配かけてすまない」

気弱な父の心。それは本心から言った言葉だった。

母には本音をぶつけることもあるんだ。

私は何だか病室に入りづらくて、ドア横の壁に背中を預け天井を仰いでいた。

「さあ、早く寝てくださいな」

「ああ、そうするよ」


私は病室には入らずそのまま廊下を逆戻りし、階段を下りて玄関を出て行った。

ふと、横づけに止めてある見覚えのある白の乗用車に足が立ち止まる。

そして、ガードレールに背中を向け俯き加減で待っている男に視線が向く。

私の視線に気づいたのか男がその視線をこっちに向けた。

「あ…」

男の切れ長い鋭い視線が私の瞳に飛び込んできた。


栄朔さん…


私の歩幅は段々速くなり栄朔さんに近寄っていく。


「栄朔さん…、なんで?」

「志穂を待っていたんだよ」

切れ長の目が一瞬で優しい眼差しへと変わった瞬間、ドキッと心が揺さぶられた。

「え?」

「お父さんの様子はどうだった?」

「ああ、今の所落ち着いているみたい。でも、すぐに戻らないゃ

お母さん、仕事あるし…少し風にでもあたろうかなと…外に出てきたんだ。

あれ? 栄朔さん、仕事は?」

「ああ、大丈夫だよ。今、大きな事件もないし…平和なもんだ」

「そうなんだ…。あ、じゃ、何か食べに行く? まだ、店開いているし

2、3時間なら大丈夫だよ」

「フッ…」

栄朔は優しい眼差しを志穂に向け微笑んだ。

「じゃあ、そうするか。俺は志穂と2人きりで落ち着いた部屋で食事がしたい」

「え?」いきなり呼び捨て? 展開早くない…

それって……

「志穂…さあ、帰ろうか。俺達の家に…」

「……?」俺達の家? 

そう言って、栄朔は助手席のドアをさりげなく開けた。


たまに栄朔さんはドキッとするような言葉を言ったりする。

その度に私の心臓はバクバク音を立てて高鳴っていく。

でも、それも悪くない感情だ。


何気ない紳士的な栄朔さんのエスコートに私はどんどんその沼にハマって

いくみたいだ。そして、気づいたら私はちゃっかり助手席に乗っている。

お母さんとの交代の時間をすっかり忘れるくらい、その視線は栄朔さんに見惚れ

心まで傾いていたのだった。その後、運転席に乗り込んできた栄朔さんはシート

ベルトを着用し、方向指示器を点滅させた後、車を走行させた。

「あの…栄朔さん?」

「お母さんと交代で病院にずっと付き添いじゃ、志穂も体壊すだろ」

「でも、仕方ないよ。お母さん 2、3時間仮眠したら夜勤の仕事あるし」

「まあ、それはわかるが…志穂…最近、眠れてないんじゃないか?」

「ああ、私は大丈夫だよ。夜は結構平気だから」

「まあ、そうもしれないけど、結婚式は3日後だし…今日ぐらいぐっすり眠った方がいい。病院には看護婦もいるんだ。何かあったら連絡が入るさ」

「栄朔さん、ありがとう。じゃあ、少しだけ眠ろうかな、、、着いたら起こしてね」

「わかった」

ほど良い速度で揺れる車に癒され、居心地が良くなった私はいつの間にか栄朔さんの車の助手席で無防備に眠っていたのだった。



どれくらいの時間が経ったのだろうかーーー


今は何時だろ? 


もう、そんなことはどうでもいいや。


そう、思えるくらい私はホッとする安らぎの空間に幸せを感じていた。


「……穂…志穂……」


遠くで栄朔さんの声がする。


「志穂、起きて。着いたよ」


私はゆっくりと目を開ける。


「………」

まだ、呆然としている。

でも、あきらかにそこは車内ではなく――――ーーーー


部屋の中ーーーーーー。大きなテレビに観葉植物ーーー


目に映るものは全て初めて見るものばかりだった。


そして、なんとまあ、広い―――-ーー。


その部屋は私の部屋の10倍はあるくらい広いリビングだった。


ふかふかのソファーベットに手の平を押し当てると沈み込むような感触。

私はそのまま身を起こした。


プンプンと美味しそうな匂いが鼻腔をとろかす。


「ここは…」

「ああ、俺のマンション。今日からは俺と志穂の家だよ」

「え…。もしかして、栄朔さんがここまで?」

「起こしたんだけど、なかなか起きなくて…。かなり疲れてたんだね」

「えっと…その…まさかお姫様抱っこで?」

「ああ。お姫様抱っこで(笑)」


…そうなんだ、、、、、、、


想像しただけでみるみるうちに耳まで熱くなってきた。


多分、相当、顔一面 真っ赤になっている。


私は隠すように顔を伏せた。


お姫様抱っこって…お姫様と呼ばれる年齢……

つまり10代から20代の可愛い系女子しかしてもらえないのかと思っていた。

三十路女がお姫様抱っこなんて全然似合わない。

そんな貴重な時間を私はずっと眠っていたなんて……ああ、もったいない、、、


「志穂、こっちにおいで」


私はその甘、甘の声に顔を上げ、ソファーベットを下りる。


「一緒に食べないか」


目の前に映るダイニングテーブルには美味しそうな料理が用意されていた。


「え、これ、全部、栄朔さんが? すごい…あんな短時間で手際いい」

「一人暮らしが長いからね。志穂が作った唐揚げも美味しかったよ」

「あれは殆んどお母さんの味付けだし…揚げたのもお母さんだし、、、

実は私はあんまり料理得意じゃないし…」

こんな時でさえ私は皮肉を言って、まったく可愛くない女だ。

「そうなんだ。でも、いいじゃん」

「へ?」

「料理なんてすぐに覚えるよ。これからは俺の為に料理を作ってよ」

でも、栄朔さんはいつだって私を朗らかな包容力で包んでくれる。

「あの…一つ聞いてもいいですか?」

「何?」

「この結婚に未来はありますか?」

「急にどうしたの?」

「お父さんのことがなかったら、栄朔さんは私と結婚なんて考え

なかったんじゃないかなって…」

「俺は志穂に結婚前提で交際を申し込みしたよな」

「うん…」

「そして志穂はオッケイしてくれた」

「じゃ、事件の事とは関係ないんだよね」

「それは…100%ないとは限らないけど…」

「え?」

「―--っつうのはジョーダンだよ。志穂は事件のことは考えなくていいから、

さあ、ご飯 食べようか」

「う…うん」

私はゆっくりとダイニングテーブルの前に腰を下ろした。

「さあ、いっぱい召し上がれ」

栄朔さんは取り皿にたくさんの料理をよそってくれた。

「はい、どうぞ」

「ありがと」


本当は少し怖かったんだ。栄朔さんとの未来が想像できなかったから。


事件が解決すれば栄朔さんは私から離れていくんじゃないかって……


そう思ったら、幸せが一気に雪崩のように崩れていくような気がして

怖かったんだーーーーー。









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