チャプター4

チャプター4


「パパに、『ふくしゅう』をしてください!」


 その少女は、出されたオレンジジュースをストローで一気に吸い上げると美味しそうに『プハ〜』と一息ついて開口一番に言った。


 少女というにはまだ幼い未就学児で六歳くらいだろうか。


「……」

 そんな少女にも顔色ひとつ変えることのないシンは少女を一瞥し、

「嬢ちゃん、歳は?」


「『じょうちゃん』じゃないよ〜。みやびなの〜」

 床に届かない足をパタパタさせて、少女――否、雅(みやび)は唇を尖らせて頬を膨らました。



「…雅(みやび)ちゃんは何歳?」


 以前にもこんなやり取りがあっただろうか、多少ウンザリとした面持ちのシンは内心溜息を吐く。



「みやび、ろくさい! もうすぐしょーがくせいなの!」

「そう」

 ジュースと同時に差し出されたクッキーを頬張りながら答える雅にシンは小さく頷いた。



 未就学児がここに来るのは初めての事だった。シンは、何か間違いがないか念の為、

「…雅ちゃん、『復讐』って何なのか知ってるのかな?」

 極力笑顔で聞いてみる。


「しってるよ〜」

 ムッとした顔でシンを見上げる雅。

「おじさん、みやびのことバカにしてるでしょ」


「…いや?」

 膨れっ面の雅にシンは首を横に振る。雅と同じようにクッキーを口に頬張り、

「お仕事だからね。聞かなきゃいけないんだ」

 そう言って立ち上がると雅の隣へとその身を移動させた。


「そっかぁ」

 咀嚼しながら頷く雅。

「じゃあパパに『ふくしゅう』してくれる?」

 食べカスを頬につけたまま隣に座ったシンの顔を覗き込んだ。


「そうだね」

 先程と同じようにシンは頷き、雅の頬についた食べカスをそっと払ってやる。

「あと一つ聞いたらね」


「うん。なんでもきいていいよ〜」

 雅はそう答えると再びお菓子に手をつけた。



 雅の頬をそっと撫でつつシンは普段『聞かない』事を、雅だけには聞いてみた。


「…何でパパに復讐したいの?」

「……」

 シンが単刀直入に聞けば、雅はお菓子を取ろうとする手をピタリと止めてお菓子を取らず急に真顔になった。


「…パパが」

 不安そうに眉をひそめて顔を上げると、

「ママを『いじめる』から……ッ!」

 悲鳴にも似た叫びとともに溢れ落ちそうな涙を必死に堪えているのが見た目でも分かってしまう。その次には興奮したのか、矢継ぎ早に、


「…パパ…ッ、ママにケガさせたの! まえにママがおひざをケガしてたから『ころんだの?』ってきいたら、パパがうしろからおしたって……!」


 小さな胸の内を口に出したのか、可愛らしい瞳から涙が溢れてしまい、

「ママいじめるパパきらいなのぉ〜! だからパパに『ふくしゅう』してくだしゃい〜〜…」


『うわーん!』

 まるで駄々っ子のように盛大に泣き出してしまった。



「雅ちゃん…」

 シンは優しく問いかけるように雅の手を取ると、

「おじさんのお膝においで」

 雅の両脇を抱え、自身の腿に座らせた。


 それに安堵したのか、

『うわーん、うわーん!』

 と、シンの胸に顔を押し付けて泣き続ける雅。



「よしよし」

 まるで我が子を宥めるように、シンは雅の小さい頭と背中を優しくさする。

「…よく、我慢したね。偉かったね。おじさんに教えてくれてありがとう」


 しばらくの間泣いていた雅が小さく身じろぐと手の甲で涙を拭い、

「…パパに、『ふくしゅう』してくれる?」

 眉をひそめてシンの顔を上目遣いで見る。



「…雅ちゃん、パパの『写真』は持ってるかな?」

 シンは雅の問いには答えず逆に雅の顔を覗き込んだ。


「あ! うん、もってるよ〜」

 雅は何かに気付いたように可愛らしいポシェットに手を入れ中を弄(まさぐ)ると子供携帯を取り出し、

「これがパパ」

 シンと一緒に見るように待ち受け画面に映る男性を指差した。


 ――画面には、雅を真ん中にして左右を取り囲む一組の夫婦が映っている。一見、仲睦まじい家族そのものといった感じだった。



「…この『パパ』に復讐したいんだね?」

 シンは雅の顔を覗き込み笑顔で改めて聞いてみた。


「うん」雅はコクリと頷く。「でもね…」そこで言葉をきり、言いにくそうに顔を俯かせる。


「……」

 シンは黙って雅が言葉を紡ぐのを待った。



「でもパパ…みやびにはやさしいの。だけど…ママをなかせるのはキライなの。みやび、いじわるするパパはキライだけど、みやびにやさしいパパはすきなの…」


 雅は弱々しく言葉を吐き出した。


 ――自分には優しい父親だが母親を泣かす父親は嫌いだと、相反し合う心をどう処理していいか分からず混乱しているようだった。



「…雅ちゃん?」

 そんな幼い子の心の不安を癒すように、シンは雅の頭を優しく撫でて、

「雅ちゃんは、『パパ』に居なくなって欲しい?」

 雅の目を見てゆっくりと分かるように聞いてみた。



「…みやびは……」

 小さく呟いて、次の言葉を探す素振りを見せる雅。


「…ママをいじめるパパだけに『ふくしゅう』してほしい。みやびにやさしいパパにはいなくなってほしくない……ッ!」



 それが、この幼い子の本音だった。『復讐』など本当はしたくないし、意味さえもしっかりと分かっていないのだろう――シンが望む、雅の本音を、雅の口から直接聞きたかった。



「そうなんだね」

 柔らかく言って、シンは雅の小さな身体を労るように胸に抱き込んだ――まるで我が子を抱きしめる『父親』のように。


「よく、話してくれたね」

 再び頭を撫でてやる。



「…おじさん…パパに『ふくしゅう』しちゃうの?」


 不安な顔でシンを見上げる雅。


「…雅ちゃんが、それを望むならね」


「……」

 シンの言葉に雅は顔を俯かせた。


「…みやび……パパにいなくなってほしくない。『いじわるなパパ』にだけふくしゅうしてほしい……」そこまで言って、シンを上目遣いで見上げると、「…おじさん…できる……?」と、不安な眼差しをシンに向けた。



「そうだね」だがシンは明確に答えず、


「…雅ちゃんの望むようにしようかな」と、優しい笑みを雅に見せた。



「ほんと?」

 雅もつられて笑顔になると、

「みやびの、おもったとおりにしてくれる?」



「うん。そうするよ」


 シンが笑顔で答えると、雅はそこでようやく安心したのか軽い足取りで部屋を後にした。



「…随分と子供の扱いが上手なのね」

 

 穢流(える)がシンの隣に腰掛ける。


「ああ」頷くシン。


「子供は純真だからな。まだ復讐の真意を知らない」


 口角を上げて静かに笑い残されたお菓子に手を伸ばし口に運ぶ。



「ねえ、シン」

 穢流(える)はシンの肩口に寄り掛かり、

「本当に、するの?」

 ゆっくりと、確かめるように聞いた。



「…それが、あの子の『望み』だ」

「……」


 端的に告げるシンの言葉に穢流(える)の整えられた眉が微かに顰められた。






 ――その後。


 雅の父親がどうなったかは分からない。だが雅が笑顔で元気に過ごしているのは確かだった――






*****

チャプター4あとがき


まだ小学生にもならない子供の『復讐』とは、一体どんなものなんでしょうかね…




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