チャプター3

チャプター3


「…俺の…妻を殺してくれ……ッ」

 

 悲鳴にも似た声で頭を下げる男性に、向かいに座っていたシンとその隣に寄り添うように佇む神門穢流(みがどえる)は互いの顔を見合わせた。


 視線をすぐに前に戻したのはシンで、テーブルにある依頼者の携帯を手に取り『お借りしても?』一言告げると、男性は応答するように小さく頷く。シンが携帯の画面を見ると、そこには一人の女性の写真画像が映し出されていた。



「…孝人(たかひと)さん、だったか?」

 シンがチラリと目の前の男性を見やると、

「…え、はい…」

 少し戸惑ったように頷く男性。



「…ふむ……」

 頷いた男性、孝人(たかひと)から視線を外し再び携帯の画面に戻すシンは空いていた手を顎に添え訝しげな表情を見せる。


「…あんた、何か勘違いしてないか?」

 露骨に面倒くさそうな表情をしたシンは、手渡しで孝人に携帯を返す。


「……え?」

 孝人はシンの言葉に首を傾げる。



「…ハァ……」重い溜息を吐くシン。


「あんた、『復讐』をして欲しいんだよな?」



「…ぁ…はい…」

 孝人は怪訝な顔で頷き、

「…妻を…殺して貰えれば……」

 呟くように言い、携帯をジーパンの後ろポケットに仕舞い込んだ。


「…ぁ、あの…」シンの態度に少し不安になった孝人は、

「…もしかして…既婚者とかは、出来ませんか……?」

 と遠慮がちに聞く。



「…そうじゃなく」

 シンは端的に言い首を横に振る。


「ただ殺してほしいだけなら他所へ行け」

 目の前の孝人に冷たく言い放ち、何に感情も読み取れない虚な瞳で見据えた。



「……」孝人はそんなシンに少し怯え喉を鳴らすように唾を飲み込む。

「あの…、復讐は…して欲しい、です…」

 

 言い方が悪かったのだろうか――目の前の青年は何故か苛立ちを露わにしているのが孝人にも分かり、彼は上目遣いでシンを見て弱々しく言う。



「成程」

 短く頷くシン。そして再び顎に手を添えると何かを考え込んでいる。


「…あの…何か……」

 そんなシンに不安になった孝人が口を開くと、



「…いや」短く応答し今度は少し楽しげな笑顔を向けて、


「…あんたに対して、復讐代行を依頼した奴がいるんだよ」



「……ぇ…?」

 シンの、予想だにしていなかった言葉を聞いて呆然とする孝人。


「………」孝人は俯いて暫し考え込む。ようやく顔をあげると呟くように、

「…えっと。それは……どう、いう……?」

 まだ頭では理解しきれていないだろう、途切れ途切れに言葉を紡いだ。



「…俺は二度も同じ事を言いたくはない」

 孝人の態度に少々苛立ったシンは楽しげな表情から急に真顔になり語気を強めると、

「あんたに復讐したい奴がいるって事だ」

 早口で端的に言い放った。



「…え…。…それは…、もしかして『妻』…ですか…?」

 信じられないような面持ちで問いかける孝人。


「…依頼者は言えないが」

 シンはそこで一旦言葉を切り、

「依頼があるのは確かだな」



「……」

 シンの言葉を聞いて孝人は口つぐんだ。そして次には何かにふと気付いたのか、


「…あのッ、その場合って、俺の依頼は受けれないんですか?」

 慌てたようにシンに問い掛けた。



「いや」シンは短く答え首を横に振る。


「…双方の復讐の度合いによるな」

 言って、穢流(える)が用意したであろう紅茶を一口飲む。



「…『復讐の度合い』……」

 シンの言葉をおうむ返しで呟く孝人。彼もまた、差し出された紅茶に口をつけ一息ついた。



「――まあ」

 ティーカップを置いたシンは真っ直ぐに孝人を見つめ、

「両方の依頼を遂行する事も出来るが」と、小さく微笑んだ。


「……ッ、」

 それを聞いた孝人は一瞬驚愕し目を見張った。


「…ちょ…っ、ちょっと待ってください!」

 少し声を張り上げて乱暴にティーカップを置くと、

「それって、俺の依頼の完了と同時に俺も誰かの復讐を完了されるって事かッ?!」



「そう言う事になるな」

 目の前で慌てる孝人に対し軽く答えるシン。


「あ、あのッ!」

 孝人は慌てつつ、

「『復讐の度合い』って…要はどれだけ強く相手に復讐心があるかって事ですか?」



「まあーーそう言う事だな」



「…そ、それだと俺の依頼は……」

 慌てつつも不安感を露わにする孝人。

「……お、俺の……、依頼はどう…どう、なりますか…?」


 余程不安を隠し切れないのだろう孝人は上手く口が回らないのか所々吃音めいた口調となっている。



「……」

 シンは一瞬だけ孝人に視線を向けたがすぐに逸らし、

「迷っているなら止めるんだな」

 冷たく言い放った。



「―…ッ」

 シンのその一言で孝人は顔をあげ、次第に憮然とした表情となり、

「……復讐は、して欲しい」

 低く苦し紛れに呟いた。



「そうか」

 シンは短く頷き――

「…次に報酬の件だが」



「『報酬』…?」

 シンの言葉をおうむ返しに繰り返す孝人。



「……」そんな孝人を一瞥するシン。


「依頼に対しての報酬なんだが?」

 顔に苛立ちを醸しつつ社交辞令の笑顔で皮肉っぽく言い放った。



「……ッ」

 孝人は一瞬口噤み顔を俯かせた。しばし何かを考えた後すぐに顔を上げるとシンを真っ直ぐに見つめ、


「…報酬は、幾らですか……?」

 苦虫を噛み締めたような複雑な表情をみせた。



「…報酬は金じゃない」


「……ぇ…?」

 端的に答えるシンに戸惑う孝人。



「…あの…じゃあ何を――」


「あんたの『寿命』だ」


 孝人がそう呟くと、シンは口角を上げ厭らしく笑い応えた。



「――ッ!」

 シンの言葉に、孝人は驚き声にならない言葉を発した。



「…ぉ…、俺の…寿命……」

 漸く声を絞り出し、訳も分からず震える唇で、

「…『寿命』って…命…、の事ですよね……?」



「…それ以外に何がある?」冷笑するシン。


「まあ妻を殺すとなると――二年は戴く」



「『二年』……?」

 おうむ返しに言葉を紡ぎ、疲労の表情を見せる孝人。



「ああ」シンは軽く頷き、


「これだけの復讐で寿命二年なら安いもんだろ?」

 言って嘲り笑った。


「……ッ!」そんな態度のシンに苛立った孝人はシンを睨みつけ、

「…何がッ! 何がそんなにおかしいんですか?!」

 怒りをぶつけるように拳でテーブルをドンッと叩いた。


 耳障りな、食器がぶつかり合う音が響き――ティーカップに残っていた紅茶が、テーブルに斑点を残すように零れた。



「……あっ」それに気付いた孝人は、

「…す…すみません……」

 恐縮して風船が萎むように深い溜息を吐いた。

「……」

 俯いてしばし考える孝人。


「…二年……」

 心を落ち着かせる様に再び溜息を吐いて片手で頭を抱えた。

「…俺の寿命二年で……」

 念仏を唱えるが如く口中で呟く。



 しばらく落ち込んだ様に考え込み――再び顔を上げるとやけに憔悴した面持ちで、

「…寿命の、二年使ってもいいです……。妻を…殺してーーいや。妻に『復讐』を…してください……」

 力なく頭を下げる。



 孝人は疲労困憊したかの様にノロノロと立ち上がり、

「…宜しく、お願いします……」


 シンに深々とお辞儀をしてその場を後にした。





「……」

 閉められた扉を目にし、シンは深い溜息を吐く。


「ああ……。本当に…面倒だ……」

 小さく呟くと立ち上がり窓際に移動すると天井を仰いで目を瞑る。



「…いっそのこと全員まとめて……」

「シン」

 シンがそこまで言うと、穢流(える)の無機質な声に咎められる。


「…ダメよ、せっかちさん」

 いつのまにかシンの背後に来ていた穢流(える)は、振り返るシンの頬に静かに手を添えて哀しげに微笑みシンの顔を覗き込んだ。



「…分かってる」

 添えられた穢流(える)の手に自身の手を重ねるシン。そのまま穢流の手を包むように握る。

「分かっては、いるんだ」



「――ええ」

 穢流(える)はされるがままに小さく頷いた。


「ただやはり――」再び天井を見やるシン。眉を顰めて、

「面倒くさい…」

 静かに呟くのだった。






 ――その深夜。


 孝人の妻は死んだ。


 だが孝人は『まだ』生きていた。


――了――







*****

チャプター3あとがき


 復讐代行を依頼した時、自身もまた復讐される身だと知ったらどうなるんでしょうか。


 

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