チャプター5

チャプター5


 ――その子は中学一年生で、大人しい印象とこちらの言動に身体が怯えているのが見て取れた。



「…あり…がとう、ございます……」

 目の前のテーブルにオレンジジュースの入ったグラスが置かれると消え入りそうな声で軽く頭を下げた。


 少女がジュースを一口飲むのを見計らって、シンもまた紅茶に手をつける。


 本来なら、ここで依頼者が口を開くのを待つのだが、目の前の少女からはそんな素振りが一切見られずただ身を縮こませて俯いているだけだった。


「……」

 シンは表立たないように深い溜息を吐いたのち、

「…君は、誰にどう復讐したいんだ?」

 極力冷静に、(内心ではかなり苛立ってはいるが)静かな口調で少女に問いかける。


「……ッ」

 シンの言葉に少女はビクリッと肩をすくめた。


「…ぁ、あの……」ひどく怯えているようで、微かに震える手で制服のスカートから一枚の写真を取り出し、「…こ、この人に……復讐を……」遠慮がちにテーブルに置く。



「――ッ」

 写真を手にしたシンの片眉が微かに跳ね上がる。

「…これは……」

 そこまで言い掛けてもう片方の手を顎に添え、しばし沈黙をする。




 ほんの一瞬目の前の少女に目を向け、

「…君の名は……?」

 再び写真に視線を戻す。



「…輝夜(きや)、です……」

 少女は少し怯えているものの、意外にはっきりとした口調で名乗った。そして再びジュースを口にする。



「…輝夜さんの復讐相手は――」

 シンは写真をテーブルに戻し一息付くと、


「君自身、と言う事か?」と、テーブルの写真を中指でトントンと突いた。



「…はい」

 輝夜は小さく頷いた。


「……」

 シンは探るような視線を輝夜に向けた。



「…あの…」少し青ざめた唇を開き、「…復讐したい相手が自分自身では駄目ですか……?」と、上目遣いでシンを見る。



「いや」シンは首を横に振る。「要は――君の自殺を幇助(ほうじょ)しろと言う事か?」


「…えっと……」

 輝夜は少しだけ首を傾げる。



「ああ」シンは何かに気付いたのか、「幇助(ほうじょ)は手助けって事だな」と、簡潔に言葉の意味を説明した。



「『手助け』…」

 輝夜はおうむ返しに言葉を反復し、

「…そう、ですね…」少し考える素振りで頷く。


 自身を落ち着かせるように紅茶を一口する。

「…そうですね」

 再び小さく頷いて、

「…自身に復讐をして確実にこの世から抹消してほしいです」

 真剣な眼差しでシンを見て輝夜はそう告げた。



 シンを見る彼女の瞳は何処か諦めにも似た――しかしまだ迷いがあるような印象をシンは感じ取ったが、シンはそれには触れずただ沈黙して少女の言動を待った。



 ――シンのそんな思惑など知る由もない輝夜は、何かに気付いて、

「…それと、あと――」

 輝夜は再びスカートからもう一枚写真を取り出した。

「…こ、この人も……」


 か細い声と共に微かに震える手でその写真をテーブルに置いた。



「……」

 シンは少女を上目遣いで見てからテーブルに置かれた写真を手に取る。


 写真は――乱雑に折られ皺くちゃになっていたので、シンは面倒くさそうな表情でゆっくりと両手で皺を伸ばした。



「――ほう?」


 自ら伸ばして整えた写真を目に、シンは片眉を跳ね上げて何とも興味深そうな顔付きとなる。


 写真には、一人の中年男性が映っていた。


「この男性は――」

 薄く笑い、目の前の少女を見るシン。


「君の『父親』か?」


 シンの問いかけに輝夜はビクンッと肩を震わせ――


「…は…はい……」

 消え入りそうな声で頷いた。



「…ぁ…、あの…同時に二人って…言うのは……」

 遠慮がちに上目遣いでシンを見て、

「…その……無理、でしょうか……?」



「いや?」


 先程と同じ様にシンは首を横に振る。


「全く問題はない」

 短かく言い口角を上げると、

「何なら、一緒にでも構わないが?」

 と、おかしそうにケラケラと笑う。



「―…ッ」

 そんなシンに輝夜は再び肩を小さく震わし、

「…ぃ…、『一緒』はちょっと……」

 それだけは絶対に辞めて欲しいと言わんばかりに、首を横に強く振った。


「……」

 シンは口中で軽く舌打ちをしたが、すぐに満足そうな笑みを浮かべ、

「良いだろう」

 一つ返事で頷いた。



「…あ…、あの…あと――」


 輝夜はまだ何か言いたげなのか遠慮がちに口を開いた。


「…まだ何かあるのか?」

 シンが少し眉を顰めると、



「……」一瞬躊躇した輝夜は、


「…出来れば……、あの…【あの人】への復讐を確認した後に…、自分への復讐を…お願い…したい、です……」

 明確には言わずゆっくりとぼかすように告げた。


「…成程」

 短く頷くシン。

「この男が死んだのを確認してからお前も死にたい――と言う事だな」



「…は、はい……」

 シンの断定的な言い方に戸惑いつつ頷く輝夜。


「…あ、あの……お願い………

「出来る。問題はない」


 輝夜の言葉尻を、苛々した様子で即座に掻き消すシン。


 そんな態度のシンに少し怯えた輝夜は身を縮こませ小さく頷いた。

「…あ…はい……」



「次に報酬だがー…「シン…」

 今度は穢流(える)がシンの言葉尻を突如遮った。


 シンが其方を見ると穢流は何か言いたげに唇を開きかけたが声には出さず、小さく首を横に振った。



『――その子は、駄目』


 穢流(える)の不安そうな瞳はそう告げていた。


 そんな彼女をシンは目を細め一瞥する。



 穢流(える)とシンの視線が一瞬だけ交差し、先に逸らしたのはシンだった。



「―…チッ」


 わざとなのか、穢流(える)に聞こえる様に舌打ちをするシン。




「…あ、あの……。やっぱり…無理、でしょうか……?」

「…いや」


 輝夜の遠慮がちな言葉にシンは首を横に振り、気を取り直したように続けた。


「…報酬の件だが……」


「…え、…あ、はい……」


「報酬は、依頼の内容に応じてこちらが決めるが構わないか?」


「えっと…はい……?」


 シンの言葉に理解が追いつかない輝夜は、同意を求めるように困惑した表情で頷いた。



 そんな輝夜の態度にシンは眉を顰めて、

「……、ハァ〜……」

 思いっきり、深い深い溜息を吐いた。


「無駄なやり取りはしたくない」

 次第に苛立ちを露わにしたシンは断定的に言う。

「報酬はお前の寿命だ」



「…私の寿命…、ですか?」


 呆気に取られるようにキョトンとする輝夜。


「そうだ」

 シンは短く頷いて、

「お前の――残り全ての寿命と引き換えに、お前と父親に必ず復讐をしよう」

 そう言うと、目の前の輝夜を冷ややかに一瞥し口角をあげて笑った。


 ――そのすぐ横で、穢流(える)は憂いを見せた表情で俯き、その姿を背に輝夜は部屋から出ていった。




 輝夜が部屋から出ていったのを見計らって、


「…何故止めた?」

 シンは扉を見つつ低い声で背後の穢流(える)に問い掛ける。



「……」

 穢流は悲痛な表情で憂いを帯びた瞼を下げ、

「…あの子は……」

 そこまで呟き小さく唇を噛み締める。



「あの子は、駄目よ……」


 俯かせた顔をあげ、シンに縋るような視線を送る。



「何故?」


 口内で溜息を吐いたシンの口調は明らかに怒りを含んでいる。



「…それは……」

 シンに問い掛けられ穢流は口噤む。



「言えないか」シンは溜息混じりに呟く。「言える訳ないよな。貴様等お得意の慈善事業だからな」


 皮肉にも似た言葉を穢流(える)に投げかけるが、穢流は顔を俯かせ黙ったまま。


 シンは軽く舌打ちをし立ち上がり穢流(える)に近寄る。徐に、穢流の顎に手を添え上を向かせる。穢流の哀しげな瞳がシンを捉える。


 シンは鼻先が触れるほど穢流に自身の顔を近付け――

「お前がやれ」

 優しく囁くように穢流にそう告げた。



 穢流は何も言わずシンからされるがままになっている。


「俺を止めるならお前がやれ」

「…シン……」


 穢流は抵抗する事も怯える事もなくただ無表情にシンを見つめた。



「出来る訳ないか」

 吐き捨てるように言うとシンは穢流から手を放しその場から窓際へと移動した。



「鬱陶しい」


 汚物を見るように穢流を一目して一言言い放った。






 その翌日の夜――


 輝夜の父親と輝夜自身は、見るも無惨な姿の遺体で発見された――






―了―






*****

チャプター5あとがき


 何とも歯痒い終わり方をしました(失笑)。


 復讐相手が自分自身だった場合、または複数だった場合……どうなるんでしょうかね。

 そしてシンと穢流(える)はどんな間柄なんでしょうか。

 

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