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 翌日、木曜。枠順の発表される日である。今日明日に決着をつけなければ今年の私の皐月賞は死んだも同然である。作者に『皐月賞殺人事件にしたほうがいいんじゃないですか?』と打診したいくらいのものだ。

 快晴とまではいかないが、雨の気配のない悪くない日和だった。わざわざこちらまで来ようとする美月にキツくいい含めて、川崎まで向かった。

「いつも母さんに会うためにそっちへ行ってるんですよ」

 ほがらかに笑う美月は、大きなお腹をさすり、母親には似てない笑みを浮かべた。

「そうかもしれないが、それとこれとはべつの話だ。私はあなたに協力を頼む、一介の探偵にすぎない」

 京急川崎の駅前で落ち合い、そんなやりとりをしたあと、美月の案内で近くのコーヒーショップに入った。

 ふと『有隣堂で働いてそうなアイドル』というキャッチコピーを思い出した。しかし、あれはリョウを指すはずだ。しかもアイドルというには母性に溢れすぎている。

 デカフェを一口含み、しばらく笑みを絶やさぬままこちらを見ていた美月が、怪訝そうな表情を浮かべた。

「どうしました?」と私が問うと、

「いや、どうしましたというか、それはこちらの科白セリフというか。……訊きたいことがあってきたんですよね、探偵さん?」

 そうだった。

「申し訳ない。ついつい、余計なことを考えてしまって。お腹の子は……?」

「もうすぐ六ヶ月になります」

 菩薩の笑みというのは、胎に子を宿した母親のそれをいうのだろう。なんとなく毒気を抜かれた感じがして、特に訊く必要もないことを口にした。

「川崎はどうですか? 手当やその他では子育てに向いてる土地ですが、実際の環境となると——」

「悪くないですよ。勿論、場所によっては教育によくないところとかも少なくないですけと、それは横浜も一緒でしょう。悪くいうのは神奈川住みのエルフぐらいのもんです」

「エルフ……?」

「え。いや、こちらの話です。漫画です、漫画のお話」

 コロコロと楽しそうに笑うのでそれ以上は突っ込めなかった。しかし、このタイミングでいうのは悪くないだろう、とも思えた。


「美月伶は、あなたですね、美月さん」



 その可能性は、実際に美月に会うまで微塵も考えていなかった。美月伶の現在に繋がる糸がまったく見当たらず、半ば苦し紛れの策だったといっていい。

 おそらく母親の岡崎弘子にしたところで、娘がフリーの地下アイドルとして活動してたことなど想像もしてなかったのではないか。

 美月が寂しそうに口許を歪めてから、訥々と語り始めた。

「伶ちゃんとは高校を出て以来、音信不通でした。もしかしたらという希望も込めて、ネットで検索したり動画を見て回ったりとかはしてましたが『美月伶』という人物の痕跡もありませんでした。それで、あるとき気づいたんです。わたしが『美月伶』を名乗り活動すれば、伶ちゃんのほうで私を見つけてくれるかも、と」

 伶ちゃんとわたしは高校時代はまるでお互いをとっかえっこしたかのような風貌だったんですよ、と美月は笑った。

「伶ちゃんは細くてガリガリで、ほんとに本屋で働いてたら『ぽい』といわれるようなタイプ。わたしはもうちょっと陽キャみたいな感じで、でもまあ周りに合わせてただけで、実際はそうでもないというか……でなければ伶ちゃんと友達なんてやってませんよね」

「つまり」と私はいった。「横浜でアイドル活動をしていたのも配信をしていたのも君ということで間違いないのだね?」

 美月はこくりとうなずいた。

「子供ができて、お腹も目立ってきたので配信はやめてしまいましたが。もう伶ちゃんとも似ていない」

 どうして伶と似たようなになったのかは聞かなかった。人にも、鳥にも色々ある。聞いてほしいことも、聞かれたくないことも。とまれ、いまの美月はふくよかで、とても幸福そうに見えた。

 この時点で私の仕事はもう終わっていた。あとは佐藤氏にこのことを伝えればいいだけだ。

「もし良ければここに電話してみるといい。もしかしたらあなたの親友と連絡がとれるようになるかもしれない」

 私はコクヨの99円のキャンバスノート様のメモに番号を書き記してテーブルに置いた。それからコーヒー代も。

「元気な赤ちゃんが生まれますように」

「そういうこというタイプなんですね、探偵さん」

 私は笑顔を返事に変えて店を出、京急川崎駅の改札へと向かった。

 コンプライアンスに関しては、私も人のことがいえたものではなかった。だが変わらぬ生き方しかできない老兵は、まだ眠らずに働いているのだ。

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