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私はいま、自分の事務所兼住居の、ソファベッドに寝転がってワタナベからの封筒を未開封のまま、ためつすがめつしていた。
意を決して起き上がり、デスクのスタンドから取り出したペーパーナイフを手に取った。
この探偵事務所を作った女。
私の上司にして唯一の相棒。
三年前に忽然と消えた女性。
元々は有隣堂で広報を務めていた、という話は聞いたことがある。一念発起して独立して探偵事務所を作り、そして相棒を残して消えた。
その理由はわからないままだった。
いままでは。
封筒を開けると、ワタナベの少しクセのある字が見えて、少し可笑しかった。これは、もしかするとザキさんに勧められたガラスペンで書いたのかもしれない。
『久しぶり、ブッコロー君。君はまだ探偵を続けているみたいでホッとしたような、申し訳ないような気持になります。
私、渡邉郁は今度再婚することになりました。一人娘の伶が家を出て以来、夫との仲はうまくいかなくなり、離婚して、そして伶を見つけるために私は探偵事務所を開きました。けれど三年前、私は自分の大切な人すら見つけられないのに、他人の大切なものを見つけることに躍起になる人生というものに、ついに耐えきれなくなりました。逃げてしまったことは本当に申し訳なく思います。
今度の良人となる人は、そんな私の屈託まで引き受けてくれるような、懐の深い人でした。すべて受け切って、それからホールドしてくるような……
できれば、あなたにも式に出てほしいと考えています。招待状は、OKゴールデンリバー紙で送ります。四月大安吉日、渡邉郁。』
五月二十七日。大安吉日。
元同僚のワタナベの結婚式。
私は、桜木町はメルパルクホールに来ていた。久しぶりの正装に、やや苦しい思いをしながら、それでも新婦の輝かしい笑顔に、来て良かった、と素直に思えた。
「よく来てくれましたね」
新郎が社交辞令ではない朗らかさでいう。
「依頼はちゃんとこなしましたよ」
私も笑顔を浮かべ、新郎の手を握る。
私の依頼人、佐藤貴広という人物はこの世から消え、代わりに渡邉貴広という人物がこの世に出現し、私を出迎えている。
「娘が……いや、娘となる子の消息が依然知れないのは残念ですが、確かにあなたはぼくの依頼を果たしてくれました」
来賓席には岡崎弘子と娘の美月の姿もあった。こちらに手を振っている。
「いや、そうでもないんじゃないかな」
私は、式場の入り口に目をやった。
そろそろ来る頃合いじゃないかと思っていたが、タイミングがあまりにも合いすぎていたので思わず苦笑した。
新婦の一人娘、伶が息急き切らしてやってきた。
佐藤貴広改め、渡邉貴広が目を丸くした。
ワタナベと目が合い、ついに私も彼女も声に出して笑った。
ワタナベ——渡邉郁は、思い立ったら探偵事務所を開くほどの行動力のある女だ。結婚を決意したのも、ついに娘を見つけたからだと、私はついぞ疑わなかった。
まだ荒い呼吸をする伶に美月が走り寄り、お互いにお互いを労わるように抱き合う姿を見て、私は本当の意味で今回の依頼が完了したことを知った。
いつも懐に忍ばせているキムワイプで涙を拭こうとして、それはそういう用途には向かないことにすぐさま気づいたらしい岡崎弘子が、テーブルにあるナプキンで涙を拭くのが見えた。
「そういえばバタバタしたもので。遅れてすみません、これは謝礼と成功報酬を合わせた——」
白のタキシードの内ポケットから出された封筒を一旦は断り、いやいやいやと押し付けてくるので受け取った。
「仕事は仕事。報酬は受け取るべきよ」とワタナベがいうので、封筒から二枚ばかり抜き取り、彼女へと渡す。
「これは必要経費分、そしてそれはご祝儀だ」
「こんなにもらえませんよ」
そういう新郎へ、それはこちらの科白だと返す。今回、私は何もしていない。勝手に事態は転がり勝手に収束しただけなのだから。
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