(53)その先へ

 この世界には、転生者の他、ヤクや鷹、オークやルフみたいな生き物がいる。

 その中で、メーティスのような存在はどんなものなのだろうか?


 再開した旅路の途中、ヤクが引く荷台の上で、彼女は説明する。

「私はヘル様が創造された武器の中身ですから、この世界そのものの一部と解釈してください」

 ……いや、聞いてもよく分からなかった。


「もしかしたら、俺のエクスカリバーやニーナのカドゥケウスにも、精霊が宿ってるのか?」

 バルサが聞くが、

「それはありません」

 と、彼女は答えた。

「『言葉』という、人間にしか理解し得ない特殊なものを扱うために、原稿用紙等、言葉を扱う武器にだけ、部品として人格が封じられているのです」


 それから……と、僕も質問した。

「あまり考えたくないんだけど、もし、メーティスが敵から攻撃されてだよ、その、死んじゃったりしたら……」

「私に死という概念は存在しません。たとえ原稿用紙が破れペンが折れたとしても、死ぬのはあなただけです」

「……あの、もう少し柔らかい言い方ってできないのかな?」


 旅路は晴天だった。

 バルサを先頭に、木漏れ日の清々しい山を行く。

 川を渡った後の下り坂なのだが、行きとは逆に、荷車が転がり落ちないように引っ張るのが大変だった――ピィ助とメーティスの重さが増してるし。


「ねえメーティスさん、せめて歩こうぜ」

 俺が言っても、

「私は原稿用紙ですから、歩くという行為は設定されていません」

 と、彼女は一向に動かない。

「なら、原稿用紙が食ったり飲んだりするのはおかしいよな!」

「剣や弓には手入れが必要です。それと同じと解釈してください」


 見習いたいほどの厚かましさだ。

 俺はため息を吐いた。


 やがて山林を抜け、平地に入る。

 見渡す限りの草原は、まるでこの世界にやって来た時の、あの場所のようだ。


 思えば、たくさんの冒険をしてきた。

 冒険を通して、みんな確実に強くなった。

 そして何より、旅路の先が見えてきたのが大きい。


 ――ヴァルハラ。

 エインヘリアルの本拠地であり、アルファズの潜む場所。


 メーティスの言う通りなら、情報収集にけた敵側の文字書きは、すでに俺たちがそこを目指し始めた事に気づいているだろう。

 という事は、この先、明確に俺たちに敵意を持った奴らの妨害があるのは間違いない。


 ――これからが、物語の本番だ。


 みんなもそれを分かっている。

 いつも以上に大きく見えるバルサの背中。

 ヤクを引くアニの目は、さらに鋭くなった。

 俺と並んで荷車を押すチョーさんとエドの足取りは力強い。

 地図を確認するファイは、マヤと一緒に、羊皮紙の紙面に未だ描かれていない、どこまでも先を見通している。

 そんな二人を眺めるニーナの表情には、慈愛と共に、固い決意が満ちていた。


 この八人でみんな揃って、ヘルヘイムに踏み入れたい。


 俺はそう願う。


 確実に、目的地に近づいている。



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 ――ヴァルハラ。


 密偵のワタリガラス、フギンとムニン姉妹からの報告を受け、ミミルは机に広げられた地図に、チェスのポーンを置いた。

「この数日、彼らは何かをしていたようですけど、また動きだしたようですね」


 明るいクリーム色の長髪を揺らし、ミミルは顔を上げる。

 金縁のメガネ越しの視線を受けた人物はだが、気だるい声を吐いただけだった。


「へえ、そうなの」

「……あなたはいつもそうですね、ノルン。恐れ多くも、アルファズ様を貶める言葉を吐いた不届き者なんですよ。もう少しやる気になりませんか」


 『運命の輪』の名を冠した女は、ダブッとした服の襟元から右肩を覗かせて、眠そうな目をこすった。

「やる気はあるわよ、やる気は。ただ面倒臭いだけ」


 ミミルは呆れた。

 この女は、いつもこうなのだ。


 ノルン。

 緩すぎるワンピースから覗く裸足。

 青みがかった髪は、いつも寝癖だらけだ。

 「面倒臭い」が口癖の、よく言えば脱力系女子、率直に言えば、だらしのない干物女。


 だがミミルは、彼女の能力を誰よりも高く買っている。

 ――その能力の特異性から六賢に選ばれたのだが、彼女が本気を出したら、他の五賢が――定員が一人欠けてはいるものの――束になっても勝てないだろう。

 そのくらいの信頼を、ミミルはノルンに置いていた。


 ……ただ、せめて執務室に来る時には、もう少し身だしなみに気を配ってもらいたい。


 立場が上位であるミミルの前でも、ノルンは隠そうともせずに大欠伸をした。

「だって、もうヴィンセントがスタンバってるんしょ? あたしの出番なんてないわよ」


 ミミルはハァとため息を吐いてからこう言った。

「私は、あの男では勝てないと思うわ」

「何で? 結構強くない? あの人の特殊能力」


 首を傾げるノルンに、ミミルは本を見せた。


 ――叡智の書。

 未来をも見通す、この世界のことわりが全て記された書物。


 その開かれたページには、敵――神代ヘヴンが、ヴァルハラに到達する未来が書かれていた。


「――ヴィンセントは、負けるの」


 細い目で文字を追っていたノルンは、しばらくして顔を上げると、つまらなさそうに言った。

「何で? 確定しない未来は書き換えができるんでしょ、ミミルのスキルで。ヴィンセントが勝つように、書き換えればいいじゃない」


 その目を、メガネの奥の鋭い瞳が捕らえる。


「ええ、書き換えるわ――ヴィンセントが負けた後、あなたが奴らを仕留めるように」


 彼女の真意を読み取ったノルンは、ようやく目を見開いて、だがプイと顔を背ける。

「ミミルがヴィンセントを嫌ってるのは知ってるけど、そこまでする?」

「彼は、エインヘリアルにとって危険な存在よ。――彼の目的は、絵を描く事以外にないの。それに都合がいいから、アルファズ様に従っているだけ。忠誠心の欠片もないわ。……万一、に言いくるめられて寝返ったら……」


 あの強力な特殊スキルをこちらに向けられたらと思うと、背筋が凍える。


「だから、今のうちに始末してしまおうってワケね」

 ミミルは返事をしない。ノルンが他人にここでの話を漏らす事はないと知りつつも、彼女がしようとしている行為は、六賢に対する裏切り行為に他ならないから、自ら認める訳にはいかないのだ。


 その代わりに、ミミルは微笑んだ。

「想像してご覧なさい。ヴィンセントを倒して疲弊しきった奴らを倒すのに、どれだけの労力が必要なのか」


 するとノルンは目を輝かせる。

「楽そうね!」

「それで、アルファズ様のご評価をいただけるのよ? どう? あなたにピッタリの仕事でなくて?」


 途端にノルンは立ち上がり、首から提げた時計を外す。

 その鎖を持って軽く振り回すと――鎖は長く伸びて杖となり、その先端の時計は大きく、かつ複雑な造形を露わにした。


 ――運命の杖ユグドラシル。

 世界樹ユグドラシルが内包する九つの世界を切り替える事で、永遠に並行世界パラレルワールドから逃れられなくなる。


 女神はなぜ、こんなに強い能力スキルを、このだらしのない女に与えられたのか。

 ミミルは嫉妬を覚えるほどだった。


 しかし、嫉妬を敵意に変えるのではなく、味方にして利用する程度の知性を、ミミルは持っていた。


 彼女なら間違いなく、神代ヘヴンとその一味を、葬るに違いない。


 無数の歯車が噛み合う運命の杖の輝きを眺めて、ミミルは満足そうに笑みを浮かべる。

「さて、どんな物語にしようかしら」



 ――Ⅲ章 インドラの杵編 ~完~――

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底辺作家の異世界取材記 山岸マロニィ @maroney

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