(48)俺、危機一髪!②
「ヘヴン!」
アニが崖を駆け下りようと、前に踏み出そうとした瞬間、彼女の肩をたくましい腕が引き留めた。――バルサだ。
「無茶だ! おまえが死ぬぞ!」
「でも、早く行かねえと、あいつ、食われちまう!」
その後からやって来たニーナが、息も絶え絶えにアニに言った。
「冷静になって。――彼が、自分が死ぬような物語を、書くと思う?」
アニはハッとした。
確かに、ルフにさらわれた事が
だが……と、アニは目を細める。
「もし、これがあいつの筋書きでなかったとしたら?」
なぜ雛鳥は、彼を一息に食べないのか。
アニの視線の先に、その答えがあった。
……衣服が邪魔だから、剥ぎ取っているのだ。
親鳥と雛に引っ張られ、ジャージは原型を留めないほどズタズタで、最後の砦と、ジーパンだけは必死で死守しているように見える。
いくら仲間のスキルアップのためとはいえ、そこまで情けない姿を晒すのを、自ら筋書きに入れるヤツがいるのか?
幸いにも、バルサとニーナの視力では、薄暗がりのその醜態は見えないようで、アニは胸にしまっておこうと思った。
「とにかく……」
ヤクを置いて走って来たのだろう、エドがハアハアと肩を揺らしてやってきた。
「今、あいつにアタシたちの存在を知られるのは、得策ではないと思うの」
「なるほど、俺たちを警戒して別の場所に逃げられたら、その方が厄介だ」
「だから、気配を悟られないように、ヤクはチョーさんたちに頼んできたの。下で待機してるわ」
そう言うと、エドは真っ直ぐにアニを見た。
「――アナタが、あの鳥を射抜くのよ」
確かに、それが現状、最善の方法に思える。
しかし、対岸までの距離はかなりあるし、日が落ちるまで後がない。
――万一外したら、次はない。
何と困難なミッションなのか!
「ハァハァ……。わ、私にもお手伝いできる事があるかもしれないって、ファイに言われて」
今度はマヤが姿を現した。
そこで、アニは心を決めた。
「マヤ、強い毒を持つ植物を出してくれ」
「毒、ですか?」
「ああ。毒矢を作る」
――あれだけの巨体に、矢の一撃で致命傷を負わせるのは不可能だろう。
ならば、即効性の高い毒矢で、奴の急所を狙うしかない。
マヤはアニの意図を察して、植木鉢に手をかざした。
「トリカブトが向いていると思います。即効性の猛毒で、神経を麻痺させます。毒性分はアコニチン。神経毒が呼吸困難、臓器不全を起こして、果ては心不全を起こし、死に至ります。昔、アイヌの人々が熊狩りに使っていたらしいですよ」
……トリカブトもだが、ここまで毒に詳しいこの少女が怖いわ!
アニは思った。
植木鉢の光が消えると、そこには青色の美しい花が咲いていた。
「優雅な見た目が、昔の装束の『烏帽子』に似ているから『鳥兜』って名前になった、という説があります。あ、皮膚から毒が吸収される場合もあるので、触っちゃダメですよ」
マヤはそう言って、ワンピースのポケットから出した革手袋で、そっと根ごと引っこ抜く。
「本来なら、乾燥してすり潰して、それを練って使うんですけど、そんな時間はなさそうなんで、汁をそのまま鏃に塗りましょう」
そう言っている間にも、日はどんどん西へ傾き、当たりは暗くなってくる。
もう向こう岸は、はっきり見えないくらいだ。
「……万一、だ」
そこにボソリと口を挟んだのは、バルサだ。
「万一、あいつに当たったら、どうなる?」
返事をするまでもない。
アニは、恋する人を自らの手で殺したという、身を裂かれるほどの罪悪感を、死ぬまで背負っていく事になる。
アニはそっと、左目を隠す眼帯に手を当てた。
スニフ爺さん……いや、見ず知らずの神でも仏でも、鬼でも悪魔でもいい。
今度だけ、今度だけでいい、オレに力を貸してくれ。
この一矢さえ命中すれば、
「……触らないように、注意してくださいね」
マヤに毒矢を渡される。
ベトベトした汁を触らないよう、細心の注意を払いながら、アニは
日はさらに傾き、最後の光が辛うじて尾を引いているだけだ。
ルフの巣のある対岸の山頂は、すっかり影に入ってしまった。
「……大丈夫?」
ニーナが不安げに声を掛ける。
「ああ。日没を待ってる」
鳥は「鳥目」というくらい、夜行性のものを除き、夜目が効かない。
ルフは、昼間襲ってきたところをみると、昼行性だろう。案の定、見づらくなってきたのか、ヘヴンを構う仕草が緩慢になってきた。
だが、あまりモタモタしていて眠ってしまったら、巣に隠れて急所が狙えない。
――日が落ち、光が失われた瞬間。
それが勝負の時だ。
しかし、急所とはどこを狙う?
分厚い羽根に覆われているから、外から狙ったとしても、皮膚にまで届かないだろう。
ならば、目か?
いや、目では即死はしない。
毒が回るまでの数瞬でも暴れられたりしたら、ヘヴンが崖の下に投げ出されかねない。
――確実に一撃で、奴の動きを止める方法。
直接毒を、脳幹に最も近い場所に撃ち込む。
つまり、口の中、喉の奥。
こちらを向いて口を開いた、一瞬を狙う。
それしかない。
「みんなに頼みがある」
「何だ?」
「オレの合図で、大声を出してほしい」
チャンスは一回。
この毒矢の一撃を失敗したら、こちらの存在を知らせてしまった以上、ヘヴンだけでなく、ここにいる全員が標的になる。
生か、死か。
この一矢に、仲間の命運、全てが懸かっている。
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