(21)小説家《ストーリーテラー》①

「――やい、赤服!」


 俺は、バルサたちの小屋の屋根によじ登り、メフィストフェレスを見下ろした。

 シルクハットから飛び出したヤギの角が動いて、白い顔が俺を見上げる。


 と同時に、バルサとニーナ、ファイにコスモ、エドとチョーさんも、ギョッとした目を俺に向けた。

「ヘヴン!」

「どうして……!」


 敵の兵士たちもこちらを向く。

 中庭にいる全員が俺に注目した。

 ……陰キャな俺には、少々厳しい状況である。


 だが、ここで引き下がりはできない。

 俺は肺いっぱいに空気を吸い込み、声を上げた。


「おまえ、エインヘリアルだってな。偉そうにしといて、俺の存在を見落とすとは、大した事ねえな!」

 ……小学生みたいな煽り方だ。もう少し何かあるだろう。俺は自嘲した。


 だが、効果はそれなりにあったようで、メフィストフェレスは目を細めた。

「仲間を見捨ててコソコソ隠れてる卑怯なネズミ一匹、ワタクシの敵じゃないもの」


「フハハハハハ!!」


 高笑いをしてみたが、演技は絶望的に下手だと思い知った。

 俺は一度呼吸を落ち着けて、こう言った。


「おまえ、バカだな。アルファズに匹敵する能力が俺にあると、気付かない程度とはな!」


 メフィストフェレスは、細すぎる眉を吊り上げる。

「あんたに、全知全能の神であられるアルファズ様と同じ能力が? ハハッ、ふざけないで」

「ふざけてなどいない。真実だ」


「やめろ、ヘヴン」

 バルサが低い声で俺を制する。メフィストフェレスを怒らせてもメリットがない、と言いたいのだろう。

 だが、俺はやめない――それが目的であるから。


 俺は右手を頭上に掲げ、こう言った。

「俺が今から雷を落とす。いいか、よーく見てろ」

 そして、「ハアーッ!」と気合いを入れて、右手に左手を添える。


「…………」


 少し、タイミングが早かった。

 何十秒かの嫌な沈黙の後……。


 ――ドカーン! バリバリバリ……!


 黒雲に覆われ、闇に包まれた空に稲妻が迸る。

 その閃光が、嘲笑を準備したメフィストフェレスの顔が凍り付くのを浮かび上がらせた。


 ズシーンと響く地鳴りと同時に、せきを切ったように落ち出す大粒の雨。

 兵士たちは大混乱に陥った。


 尚も続く雷鳴の中で、メフィストフェレスの手が動く。……だがパニック状態の人形パペットたちは、言う事を聞かないようだ。


 その隙に、バルサたちが監視の手から逃れた。

 屋根のすぐ下に来た彼らは、口々に叫ぶ。

「何でおまえ逃げなかったんだ!」

「ありがとう! ありがとう!」


 その中で、俺はファイに薪を投げた。

 バルサがスパッと割った平らな柾目まさめに、俺からのメッセージが書いてある。

 彼はそれに気付いて、俺にうなずいて見せた。


 この大逆転劇に、憤慨したのはメフィストフェレスだ。

「仕方ないわね。――ファウストちゃん、他の人形を壊して構わないわ。生意気なあのガキを叩き潰してちょうだい!」


 金属の擦れる音がした。

 首輪から垂れ下がった太い鎖が、湿った地面に筋を描く。

 持ち手から伸びた鎖がピンと張る。大玉スイカほどもある棘の生えた鉄球がズルリと動く。


「逃げろ!」

 バルサの合図で、みんなは建物の裏に逃げる。

 兵士たちも散り散りになって、一目散にファウストから離れる。


 化け物の巨体が、中庭の中央にまで進んだ。

 そこでファウストは足を止め、両足を踏ん張ると、持ち手を両手で握り、腕を突き出した。


 太い腰がねじり、鉄球が浮く。その勢いで、ハンマー投げのようにくるくると二回転し――。


 ドスン!


 つい先程まで俺がいた屋根が、木っ端微塵に吹っ飛んだ。


「……マジか……」

 予想はしていたが、目の前で見ると、その迫力に足が竦みそうだ。


 だが、躊躇してはいられない。

 原稿用紙が認めたを完成させるために、俺は走らなければならない。


「うおおおお!!!」

 助走をつけて、隣の屋根に飛び移る。

 一メートル程度の距離だから、余程でなければ失敗はしないだろうが、雨で足が滑りかけて焦った。


 俺とファイが使っていた小屋。

 そこに着地し、俺はファウストを振り返った。


 化け物は、屋根にめり込んだ鉄球を引きずり出し、向きを変える。


 ――来い!


 俺は敢えて、鉄球が振り回されるのを待った。

 そして、着弾する寸前に、屋根を移動する。


 ニーナか誰かの甲高い悲鳴が聞こえた。

 申し訳ないが、これは俺の演出なんだ。心配しなくていいと伝えられないのがもどかしい。


 ――の結末の、勝者は俺なんだ。

 だから俺が、奴の攻撃で死ぬ事はない……多分。


 屋根の端まで一気に走り、俺は鐘楼に飛び移った。

 鐘楼の上では、アニが弓を塀の外に向けて構えている。門外の弓兵を牽制していたのだ。


 そんなアニも、俺の姿を見ると声を荒げた。

「バカ野郎! 化け物を連れて来んな!」

 彼女の焦りは当然だ。モーニングスターが柱を折れば、この鐘楼は倒れてしまう。


 ――だから、ここに来たんだ。


 だが、事情を説明している暇はない。

 俺は叫んだ。

「逃げろ!」

「はあ? どうやって?」

「飛べ!」

「バカか! 死ぬ……」

 そう言いかけたアニは、俺の手の示す方を見て、俺の考えを把握したようだ。


 背後で風を切る音がする。

 化け物の荒い息遣い。そして――。


「飛べ!」


 叫ぶと同時に、俺も飛んだ――畑に向かって。


 そこには、かき集められた麦わらが積んであった。ファイに渡した薪の指示書の、ひとつ目だ。

 ニーナとコスモ、エドが心配そうに見上げていたが、俺がボフッと飛び込むと歓声を上げた。

 ……が。


退け!」


 ――ドスン!

 真正面からアニを受け止める事になり、俺の視界に星が飛ぶ。


 軽く薄れた意識の中で、

 メリメリメリ……という音が、確かに聞こえた。


 鐘楼が倒れたのだ。

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