30:本当に愛してるなら、私を惚れさせてみてください
「え……ちょ……は?」
私は妙な声を漏らし、ただ呆然と魔王陛下を見つめるしかありませんでした。
彼が何を言ったのか、わかりません。もちろんきちんと聞こえていましたし単語は理解しました。しかしその意図が全く読めないのです。
――愛している、だなんて。
「ふ、ふざけてるんですか、こんな時に? あ、それとも私を笑わせるための冗談でしょうか? 困りますよ、魔王陛下。私、真剣だったんですからね」
必死に冷静を装った。
愛しているという言葉一つで惑わされそうになっているだなんて、恥ずかしいにもほどがある。
今だって魔王陛下の目を見れば、そこには絶対零度の氷のような光景が広がっているではないか。あれを見てどうしてそんな甘い言葉が信じられるというのか。
そもそも、あまりに突然過ぎる。
私を奪い返し、人間たちに邪魔されない現在になってようやく、性的にも食的にも安心して食べられる状況が整ったということかも知れない。などと考えた後すぐに首を振った。あまりに突飛過ぎる。そもそも今まで機会はいくらでもあったのだ。
「私は生贄です。魔国に嫁いだ生贄。お飾りの妃、なのでしょう?」
「……そうか。お前には色々と誤解させていたようだな。まるで気がつかなかった自分が恨めしくなるほどに。
俺は一言も言っていないはずだ。お前が生贄だとも、お前を愛することはないとも。当然最初はお前に対し何ら情は抱いていなかったが」
「言わなかっただけで、確かに私は生贄だったはずです! だって……今まで魔国に嫁いだ女性たちは皆魔王妃になっていないらしいじゃないですか。それは魔王に食われて」
動揺しているせいで、口にしてはならないことまで喋ってしまう。
これは最悪魔族を侮辱する発言となり、命取りになりかねない。それくらいわかっていたが、溢れ出す言葉は止まらなかった。
「私だって本当はもっと最初に死ぬはずだったんですよね? 光魔法で防御したから手を出せなかっただけで。いや、その前に手にかける機会なんていくらでもあったはずなんです。それともこうして油断させてからということですか? じゃあ光魔法で結界を――」
「待て。妄想と偏見と誤解がひどい。少しは説明させろ」
私は喋るのをやめ、小さく息を呑んだ。
だって、一瞬で魔王陛下に肩を掴まれ、顔が息と息がかかるほど近くまで迫っていたのだから。
「魔王陛下……あの、近いのですが」
「このまま暴走されれば困る。とにかく俺の話を聞け」
何から何まで整った、美し過ぎる魔王陛下の顔。
私は思わずそれに魅了され、頷いてしまった。
「俺は一度もサキュバスを抱いたことはない。当然、それ以下の魔物も。
先ほど、メオが俺の子であると言ったな。だがそれは誤りだ」
「え……? でも、彼は魔王子で」
「そう名乗っているのはメオの勝手に過ぎない。癪ではあるが強さにおいてメオより俺が劣っているのは事実。下等な魔物から生まれたことを理由に魔王になれず、腹違いの兄である俺に王位を譲られたことが気に入らず、いまだに往生際悪く真王子と名乗っているだけだ」
この短い間に何度驚かされればいいのだろう。
つまりメオ殿下は魔王子ではなく魔王弟とでも呼ぶべき存在というのである。さらには、魔王陛下は一度もサキュバスと夜を共にしたことがないと。
「嘘、でしょう」
「今更お前に嘘を吐くのが何の得になる。冗談でも詭弁でもない。お前を愛しているというのも含めてな」
私はなんと言えばいいのかわからず、黙り込むしかなかった。
「そしてお前の言った、魔王妃になるはずだった人間の女どもについてだが、魔族は今まで彼女らと顔を合わせたことすらな。愚かな人間どもは怯え、魔王城に到達する前に皆逃げてしまった。だが海辺には魔物が多い。簡単に食われ、命を散らしたのだろう。よって魔国は人間国との契約――花嫁を送られてくるという話があったにもかかわらず、一度たりとも娶れることはなく代わりに先王も先々代の魔王もサキュバスたちを正妃に据え置いた。
今回の女も魔王城に辿り着くことすらないだろうと皆が思っていた。しかしお前は違ったのだ。そんなところが、俺がお前を気に入った理由の一つだ。もちろん、一番はお前が面白い女だったからだがな」
面白い女? 私が?
私は光魔法くらいしか取り柄のない伯爵令嬢。第三王子殿下に捨てられ生贄として嫁がされた、哀れでちっぽけな小娘。そんな私が魔王陛下に愛されていたなんて。
「都合が良過ぎやしませんか? やはり裏の思惑が……」
「お前はどこまで疑り深いのだ」
「だって私、厄介な女ですから。使い魔さんからも言われてたでしょう?」
「ああ、そうだったな。だが俺は何の裏もないから安心しろ」
そう言われても、困ってしまう。
だって私は魔王陛下のお飾りの妃。そのつもりで彼に接してきたのに、実は違っていたなんて。
「無理です。信じられません」
「なぜ」
「だって、愛していると言った時も、普段も、そして今も、全く表情が変わっていないじゃないですか。普通は熱烈な愛を囁いたりするものでしょう、本当の夫婦って。もちろん貴族は政略結婚が当たり前ですよ。だから甘々なのが夫婦の在り方だなんて言いません。でも愛していると言われても、信じられないんです」
サキュバスが問題を起こし、子作りができなくなったので私に縋ってきたという可能性もまだある。
だから油断してはいけない。相手は魔王。平気で嘘を吐くかも知れないのだから。
――もちろん彼がそんな人ではないことくらいは、わかっていたけれど。
「私はあなたを信じられません。あれほどサキュバスを侍らせ、不信感を抱かせておきながら、今更手のひら返しなんて胡散臭いですもの。それでも、どうしても私を信じさせたいのなら――」
「俺はどうすればいい」
「本当に愛してるなら、私を惚れさせてみてください。私がもうお飾りの妃と名乗れなくなるくらい、デロデロに溺愛して、愛をわからせてください」
たとえ彼が言葉の通り本当に私を愛しているとして、お飾りの妃であり続けたい気持ちは変わらないだろう。
だから言ったのだ。本気で私が欲しいなら、私をその気にさせてみろと。
魔王陛下は薄く微笑み、頷いた。
「やはりお前は、面白い女だな。わかった、受けてたとう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
サキュバスたちによる誘拐事件から一ヶ月ほど経った。
私は今でも、変わりなくお飾りの妃として魔王城での暮らしを謳歌している。
ショタ魔王子改め魔王弟のメオ殿下に「それでも告白された女かッ。馬鹿だろオマエ」と呆れられるほど、今まで通りな日々。
結界を張った部屋に篭り、気分次第で外に出てはメオ殿下と絡みに行く。時に奔放な振る舞いをして使い魔に「厄介なお妃でいらっしゃいますね」と呆れられつつも、お飾りの妃なのですからいいでしょう?と悪戯っぽく笑うのだ。
だが魔王陛下はというと、私に強いアプローチをするようになった。
例えば、朝目を覚ますと魔王陛下が毎日私の部屋の前で立っており、私が外へ出た途端に執拗いくらいに愛を囁いてくるなどだ。
「ベリンダ。今日もお前は美しいな。早くお前を俺のものにしてしまいたい」
私の蜂蜜色の髪に手を差し込まれ、撫でくりまわされる。
「おはようございます、魔王陛下。私はまだあなたに惚れ切っていませんので無理です」
「ということは完全に落ちる日も近いか?」
「それはお答え致しかねますね」
少しばかり不満げに唇を歪める魔王陛下はそんな仕草さえ美し過ぎて、思わず私は目を逸らす。
惚れさせてみてくださいと啖呵を切ったはいいものの、私は男への耐性が全くと言っていいほどなかった。元々魔王陛下とある程度の関係を築いていたことも相まって、彼を異性として意識するようになるまでそれほど時間はかからなかった。
後は素直にその気持ちを認めるだけ……なのだが、そう簡単に折れてやるのはなんだか癪で、まだ言わないでいる。
だがきっと魔王陛下も私の気持ちには気づいているだろう。
だって私の身を覆う光魔法の結界――私が魔国や魔族を恐れる気持ちは、日に日に薄れていっているのだから。
結界が完全に失われた時、それが私が魔王陛下の本当の妃となる日に違いない。私はそんな風に思うのだった。
〜完〜
私はあなたを愛しません ~婚約破棄され生贄にされた令嬢は魔王陛下のお飾りの妻になります~ 柴野 @yabukawayuzu
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