16:魔王陛下が手繋ぎを求めてきます
魔王陛下とメオ殿下との仲はかなり悪いらしい。
観光旅行に連れて来たのは少し失敗だったかも知れない。
――出発当日。
ドレスのままで私が目覚め、身一つで魔王の間まで行くと、そこでは二人が睨み合っていた。
「どうしてお前がここにいる」
「ふんッ。この女に頭を下げられたから仕方なくついて来てやったんだ」
「……お前など要らぬ。いつものように大人しく引きこもっていればいいだろう」
「何を言うかッ。元はといえばオマエが――」
言葉を荒げることはないが、視線も声も鋭く、互いへの敵意が滲み出ている。殺気さえ感じられるほどだ。使い魔は部屋の隅で身を固くして黙り込んでいる。
思わず一瞬立ち竦んでしまったが、気を取り直して私は二人に声をかけた。
「おはようございます。お待たせしてしまったでしょうか」
朝から何を喧嘩しているんだ、という本音は隠して、にこやかに。
「オマエ、やっと来たのかッ。さっさと行くぞ、さっさと!」
「……魔馬車を出させる。それまで待て」
小さな体で魔王陛下を小突いたショタ魔王子が離れていき、一方の魔王陛下は使い魔に何やら命じ始めた。
その間、交わされる会話は一切ない。普段はあれほど元気なショタ魔王子でさえダンマリである。
仮にも親子だろうにどうしてこれほどまでに嫌い合っているのだろうか?
やはりショタ魔王子が積極的に引きこもっているのと関係があるのかも知れない。もちろん、王子としての公務が嫌で引きこもっているだけの可能性も充分考えられるわけだが。
その答えを直接聞くのはさすがに気が引けて、私も黙っていた。
こんなので楽しい観光旅行ができるのだろうか。少し先が思いやられる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
呼び寄せられた馬車――馬形をした魔物が‘引いているので魔馬車と呼ぶらしい――に乗り、私たちは城を後にした。
ちなみに、魔馬車の御者を務めているのは魔王陛下の使い魔だ。彼は黒いモヤのような姿だが、魔物の中でも上位種なので魔馬を思い通りに操ることができるということだった。
馬車の窓の外から見える景色は相変わらずの曇天で、おぞましい獣の声が聞こえて来る。光魔法があるから大丈夫だと自分に言い聞かせていても、さすがに少しどころではなく恐ろしい。
だが怯えているところを見せてはいけないと私は気を引き締める。つけ込まれたくはないからだ。
「まずどこへ行くんです?」
「……城下町だ」
魔王陛下は言葉少なに答える。
一方でショタ魔王子は少し興奮気味に言った。
「城下町には美味い菓子があるらしいと聞いたぞッ。ぜひ食いたいと思っていたんだ、せっかくだからオマエも一緒にどうだ?」
美味い菓子と聞いて私も目の色を変える。
――なぜなら、魔王城では一切甘い物が出てこなかったからだ。毎日料理は絶品であったが、スイーツが欲しいと密かに思い続けていたのだった。
「魔国にもあるんですね! なら行きましょう!」
ただ。
「魔王陛下、どうします? 私とメオ殿下だけで行って来てもいいのですが」
魔王城で出されていなかったということを考えるに、魔王陛下は甘い物を好まなさそうだ。
だから断られるだろうと思ったのだが――。
「俺も行く」
「「えっ?」」
私とショタ魔王子の声が重なった。
それほどまでに魔王陛下の発言は意外だったのだ。
「いや、でも魔王陛下――」
「言っただろう、魔国の民たちにお前を私の妃として知らせると」
確かにそうだった。それが目的の一つだったのを思い出す。
ショタ魔王子は魔王陛下がついて来ると聞くなりあからさまに嫌そうな顔になったものの、馬車に残るという選択はしなかった。
使い魔だけを置いて、そのまま三人で馬車を降りたのだが。
「……あの、魔王陛下、なぜ手を差し出されているのですか?」
「エスコートというやつだ。一部でいいから結界を解け。手を繋ぐからな」
有無を言わせぬその声に、私は思わず言われた通りの手の部分のみ結界を解いてしまった。
次の瞬間、結界解除したばかりの右手に魔王陛下の美し過ぎるほど美しい手が触れてくる。
「――!!!」
私は一瞬でその感触の虜になった。
いいや、これはまずい。まず過ぎる。何なのだこの心地よさは。氷のような視線からは想像もつかない程よい温もり。そして柔らかな皮膚……。
「どうした? オマエ、そんなにこいつと手を繋ぐのが嫌なのか? ははッ、ご愁傷様だな」
何を勘違いしたのかショタ魔王子がニヤニヤしながらこちらを見てきて、「それじゃあオレも」と腕を絡ませようとし――おそらく油断したのだろう――光魔法に弾き返されて飛んでいった。
それを見てようやく私は我に返ることができたが、その後もずっと魔王陛下の手を意識せずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
少し手を繋いだくらいであれほど心をかき乱されるなど、自ら愛さないと宣言した者として情けなさ過ぎると思う。
今後は気をつけなければ。
私と魔王陛下は街を行き交うあらゆる魔物たちの注目の的だった。
頭を下げられ指を指され、目的の菓子店では結婚祝いだと言われて店にあった商品を全て譲られてしまうほど。
彼らはきっと知らないのだろう。私が魔王陛下のお飾りの妻でしかないということを。
「なんだか罪悪感がありますね……」
今も魔王陛下と手を繋いでいるが、それはあくまで魔国の民たちに向けた演技に過ぎないのだ。
もし私たちの真実を知ったら、彼らはどう思うのだろうか。
「何か言ったかよ。もしかしてオレとも手繋ぎしたかったりするのか?」
いつものお返しとばかりにショタ魔王子が揶揄ってくる。
だが、おかげで少し胸の中に渦巻いていた不安が薄まった。私はニヤリと笑って言う。
「なら、お言葉に甘えて」
「おいちょっと待てッ! 今のはどう聞いても冗談だろ。真に受けるな!」
「代わりに私の分のお菓子も分けてあげますから。ね?」
そう言うとすぐにおとなしくなるのだから、やはりショタ魔王子は可愛い。くだらない悩みも全部吹き飛ぶ気さえした。
私は買った菓子を彼と半分にし、一緒に食べ歩くことに。三人で手を繋いで歩く私たちの姿は、まるで親子のように見えたかも知れなかった。
そんな風に私が思えたのは、メオ殿下に妬みの視線を向けている魔王陛下に気づかなかったからなのだけれど。
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