11:ショタ魔王子が喧嘩を売ってきました①
どれほど本を読み続けていただろう。
書庫に窓はなく――あったとしても昼だか夜だかわからない暗雲が広がっているだけだろうけれど――正確な時間はわからないが、半日近くほどそうしていたかも知れない。
やっと顔を上げた私は、そろそろ帰らなければと立ち上がった。
「夕食の時間まではしばらくあるでしょうが……」
帰るにあたっての問題は溶かした鉄格子に似たものをどうするかだが、直せそうにないので放置しておくしかないだろう。
そのまま部屋を出て行くつもり、だったのだが。
――背後から妙な視線を感じた。
私はくるりと振り返るが、おかしなものは何もない。
ただ、ぎゅうぎゅうに本棚が並べられた書庫の中、よく見るとそこだけ不自然なまでに何もない紅く塗られた羽目板の壁面があるだけだ。
私は、近くの本棚に置かれていた本をこっそり手に取ると、まるでうっかり持ち出してしまいそうになったのを本棚に戻すようなふりをして、壁に最も近い本棚へ向かう。
そして、本を棚に仕舞い込んだ直後、羽目板に駆け寄り、全速力で壁の羽目板を横にずらした。
「そこにいるのは誰ですか!」
「ぬあっ!?」
案の定、壁の向こうから妙な声が上がった。
その声の人物とばっちり目と目が合う。美しい青紫色の切れ長の瞳が見開かれていた。
その瞳はいつかどこかで見た――いや、ほぼ毎日見慣れたものだった。
「……魔王、陛下?」
しかしそう呟いてから、彼ではないと私は思い直した。
なぜなら、扉の向こうの人物は絶世の美青年ではなく、可愛らしくはあるもののまだ十歳前後の少年のような幼い顔立ちに見えたからである。
彼は濃紺の髪から二本の角を生やしているし、瞳の色も魔王陛下と同じだから、ついうっかり間違えてしまったようだった。
だが、それなら尚更疑問が湧いてくる。ズバリ、この少年は一体何者かということだ。
「オマエこそ何者だッ! オレの聖域を荒らす不届者めがッ!!!」
動揺していたのも一瞬で、すぐに立ち直ったらしい彼は私を物凄い勢いで罵倒してくる。
私は少し気圧されてしまった。
「わ、私は、ベリンダ・パーカーズ……じゃなかった、今は魔王陛下の妃のベリンダですけど」
「オレは栄えある魔国マニグルの王子、メオ・マニグルであるぞッ!」
魔国の王子。
それを聞いて私は、ほんの少しだけ納得がいった。
魔王陛下がサキュバスハーレムメンバーの誰かと交わり、産ませた子ということだろう。
「……でもどうしてここに? まるで幽閉されているかのような」
「独り言のつもりだろうが聞こえているぞ! 幽閉などされていないに決まっているだろう! ただ、引きこもっているだけだ! 悪かったな引きこもりでッ! そんなことよりオマエが噂の魔王妃なんだな?」
「あ、はい」
「ならオレと勝負しろ! 人間の女が魔族の花嫁に相応しいわけがねぇ! オレが勝ったらオマエはこの城から追放してやるからな!!!」
その間に魔王子メオは羽目板をさらに何枚かずらし、そこから身を潜らせて書庫の方へ転がり入ってきて、指をビシッと突きつけた。
「どうする? 土下座すれば許してやらんでもないぞ」
あまりに情報が多過ぎて処理し切れず、私は黙り込んでしまう。
本棚の壁を隔てた向こう、そこに今まで姿を見かけなかった初対面の引きこもり魔王子、おそらく魔王陛下の落とし胤がいて。
部屋から出てきたかと思えば私に指を突きつけながらなぜか勝負を迫って来ている。
まったくもって不可解だ。急展開にもほどがあり過ぎた。
「少し待ってください。私別に、あなたに敵意があるわけじゃありません。ただ誰かに覗かれていると気づいて、魔王陛下ではないかと疑って……」
「オマエの理由はどうでもいい。とにかく勝負だ。書庫が荒らすと使い魔にどやされるからできないんだ、さっさとオレの部屋に来い!」
読書に夢中になって結界が解けていたらしい。
魔王子にぎゅっと腕を掴まれ、そのまま彼の部屋へ引き摺り込まれる。咄嗟に魔法を使って逃れる暇さえなかったし、幼い子供の力とは思えないほど強かった。
――どうやらこれは、喧嘩を売られたということで間違いなさそうだ。
その上、なんだかよくわからないままに戦わざるを得ないようである。
私は唇を噛み締め、幼い魔王子をキッと睨み上げ、言った。
「女性を乱暴に扱うとは、さすが野蛮な魔族ですね。ここまでされれば私も無抵抗ではいられません。売られた喧嘩は買ってあげましょう。――後悔するのは私かあなたか、どちらでしょうね」
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