9:行く先々で出くわす魔王陛下
魔王城での引きこもり生活の日々は、とても静かに過ぎて行った。
最初こそ「勝手なことはあまりするな」と警告をしてきたものの、あれ以来魔王陛下から何か言われることはなかった。
使い魔は私の態度に対して不満があるらしく、チクチク文句を言ってくるものの、日に三度の食事は持って来てくれる。扉越しに使い魔に感謝を言って、彼――と言っても性別はよくわからないが――がいなくなった後に食事を部屋に運び入れ、いただく。
「寝場所も食事も衣服も問題ない。最高に快適な暮らし……なのですけど」
一つだけ、たった一つだけ問題があるとすれば。
「いくら何でも運動不足過ぎますよね、私」
このままでは不健康な豚になること間違いなしということだった。
だらけているだけで余計な肉がつき過ぎるなど、十代の乙女にはあってはならない。それに、私はこの魔王城の内装が気になり始めていた。
外に出て使い魔に激しく叱責されるのは嫌だが、いい加減この部屋から少し離れるべきだろう。
そう思い私は久方ぶりにベッドから身を起こした。
ネグリジェを脱ぎ、自分一人でも着脱ができる丈の短いドレスに着替える。そして自分に対して結界を張り、誰も触れられないようにして、部屋を出た。
結界を維持するには魔力がたくさん必要なので長いことは歩き回れないが、それなりの時間は保つだろう。
「あら、どこへお出かけですの?」とくすくす笑って絡んできたサキュバスたちを無視し、魔王城の廊下をぶらぶらと進んでいく。
「改めてこうして歩くと、とんでもなく長い廊下ですね。そして部屋の中は……何もありませんね。埃臭いですし、何十年かは使われていないのかも」
魔王城はやたらと部屋や通路が多く、うっかりすると迷ってしまいそうだ。
せっかくだから、厨房の場所も探しておこう。些細なことで魔王陛下が機嫌を損ねて食事が運ばれて来なくなる、なんて可能もあり得るし――。
などと考えていた、その時だった。
「――あっ」
角を曲がった先、そこで誰かとぶつかってしまったのである。
しかも、結界を張っていたせいで相手を思い切り跳ね飛ばし、地面に転がしてしまった。ぶつかった相手を確認して謝罪しなければ。私は慌ててその人物に駆け寄り、息を呑む。
「――魔王陛下!?」
端正な顔立ちを苦悶に歪ませた、魔王陛下がそこにいた。
「お前か。いきなり飛び出してきて、しかも突き飛ばすとは……」
「だ、大丈夫ですか!? すみません、前方不注意で」
「いや、いい。俺のことは気にするな」
そう言いながら、魔王陛下はふらふらと立ち上がる。ぶつかったせいなのかそれとも魔王としての仕事が忙しいのかはわからないが、相当疲れている――というより今にも倒れそうな様子だった。
気にするなと言われてもさすがに無視することは憚られる。だが、結界を解いて魔王陛下に近づく気にもなれないので、どうしたものかと私は迷った。
「お前はここで何をしていた?」
「少し、散歩を」
「……」
魔王陛下が無言で私を怪しむようにギロリと睨んできたが、身がすくみそうになるのをグッと堪えた。
「誓って何も妙なことはしていません。なのでご心配には及びません」
「そうか」
それきり魔王陛下は何も言わなくなった。
離れていい、ということらしい。
「それでは失礼します」
淑女の礼を取って、私はそそくさとその場を立ち去った。
背筋に冷や汗が滝のように流れていることに気づかれていないといいけれど、と思いながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんなことはあったが、初めての魔王城散歩は無事に終了した。
厨房の場所は魔王城地下にあり、それ以外にも客間らしき場所や宝石庫などが確認できたので、大きな収穫である。
その日から私は毎日のようにこっそり部屋を抜け出しては歩き回るようになった。
大きな事件はなく、使い魔やサキュバスにも回数を重ねるうちに絡まれないようになったが――少しだけ、気になることができた。
あの日だけではなく、魔王陛下と行く先々で遭遇するのだ。
また別の廊下を歩いていた時、何気なく埃っぽい部屋を覗いた時、結婚式が執り行われたホールに再び足を踏み入れた時。
決まって何者かの気配を感じ、振り返るとそこに魔王陛下がいる。
そして魔王陛下は「またいたのか」と冷たい眼差しで私を睨んでくるのだった。
偶然にしてもほぼ毎回はさすがに多過ぎではなかろうか。
どうしてこれほどに遭遇率が多いのか、全くの謎だ。隙あらば取って食おうというつもりだとすれば力づくで結界を破ろうとしない意味がわからないし、私の監視をしたいなら使い魔にでも任せればいいのだから、魔王陛下がわざと姿を見せているということはないと思うのだが……。
魔王陛下はやはり得体が知れなかった。
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