第4話

「今更っすけど…」

「? どうしたの?」


 翌朝、ディオンは靴下を穿きながら、計らずも3人分の料金を払わなければならないことに気づいた。寝言でまた呟いたら面倒臭いことになると思ってその場にいさせておいたが、無理矢理にでも帰せばよかった。


「なんでモモちゃんとディオンさんが同じベッドなんすか!?」


 泊まることになったアレクはというと、朝から元気な声を張り上げていた。


「せめて俺とディオンさんでしょ! ねえ、モモちゃん!」

「大きい声を出すな。モモが怖がるから」


 びくりとしたモモにアレクがごめんねと謝るが、モモは目を合わせようとしない。


「ったく……モモちゃん、昨日から謝ってるじゃないすか。というか質問に答えてくださいよ」

「君とモモは論外だろ? それに契約の解呪方法を思い出してごらん」

「え? ああ、一発やっちゃえばっていう…」


 アレクはモモに向かってウィンクする。相変わらずの彼の態度にディオンはふう、と息を吐いた。


「俺も君が怖い」

「嘘つけ! 絶対若作りしてるし、めちゃくちゃ強い魔法使いだろアンタ!」


 若作りしてるかどうかは別として、強いのを見抜くなんて素晴らしい洞察力だ。


「君はあまり新聞を読まない子かな?」

「はい。そうですけど…」

「そう。俺の名前はディオンだ。この国ではシオンと名乗っている。こっちの女の子はモモ。彼女は異世界人だ。君、古典の知識はあるかな?」


 ぽかんとした顔のアレク。驚きで言葉が出ないのか、もしくは……俺が自惚れているだけなのか。


「えっ……まさか、…本当に?」


 ディオンは頷く。前者のようだった。


「言い伝え通り、モモは救世主だ。そのお世話をするのが俺の役目」

「……じゃあ」


 アレクの声が震えていることに気づく。ディオンは軽く失望した。さっきまでの態度とまたきっと変わってしまうのだろう。


 高貴な人物や圧倒的な力を持つ者。もしくは忌み嫌われる者。ディオンはその3つのどれかにしか分類されてこなかった。


「め……」


 アレクはふらふらとディオンに近づく。そしてその手を握った。


「ん?」

「…めちゃくちゃ強いじゃないですか! ディオンさん! いや、兄貴って呼んでいいですか!?」

「…あれ?」


「いやー、契約を上書きできるなんて知りませんでしたし、昨日も一人で戦いに出てたんですよね? めちゃくちゃ強いのに女の子を引っ掛ける方法が古すぎるから変だったんですよ」


 最後の言葉は不要だ。アレクの目はキラキラと輝いている。こんな目を向けられたのは初めてでたじろいでしまう。


「ディオン兄貴って言えば、1000年は前の伝説のおとぎ話に出てくる人ですよね。本当にいたんだ」

「1000年というか、まあ。…怖くないの?」

「怖いかもしれないっすけど、俺、憧れがあったんすよ。ほら、召喚獣とか…そうだ、ケルベロス! カッコいいなって思ってて」

「君が呼び出される獣のほうだけど、気づいてる?」


 モモがこの部屋で着替えようとしたのを止めて、トイレに行くよう促す。そしてアレクにもう帰宅するように言った。


「今後、名前は呼ばないようにするから。ほら、転移魔法で家に返してあげる」

「ええ〜……旅してるんですよね? 俺も連れて行ってくださいよ!」

「駄目だ。モモに何かあったらいけないし」

「俺が兄貴に黙って何かすると思います?」


 腕を絡め、こちらを見上げてきたアレクを笑顔で振り払う。


「送ってあげよう。行き先は窓から見えるあの山でいいかな?」

「わー! 待ってください! この街の教会の近くなんでそこに!」



◇◇



「こんなところに村があったんだねえ」


 モモはタンザーロの関所でもらった地図と睨めっこする。

 あと2日はあの街に滞在する予定だったが、アレクを帰した後チェスターが訪ねてきて、ある依頼を持ちかけてきたのだ。


──昨日の話だが、隣国、それもタンザーロに近い街の子どもが相次いで行方不明になっている。調べてきていただきたい。


 自信がないからと一度断って、あれこれしつこく聞いてくるモモに折れ、うっかり話したのが運の尽きだった。モモはチェスターの姿を追いかけて、ディオンが追いついた頃には必死にジェスチャーで引き受ける旨を伝えていた。もう次からモモには話さない、絶対。


「最近できた村なのかもしれないね。この地図は5年前のものらしいし」

「そっか。割と適当なんだね?」

「魔法があるから大丈夫だよ」


 いまはタンザーロを発ち、その北にあるエイブレッドを目指していたはずだ。関所らしき場所で話を聞くと、この村はエイブレッドからタンザーロ、もう少し西に行くとまた別の国につながっている、いわゆる中継地点のようなところらしい。

 実際にどの国にも属さない、有志たちが作った宿泊施設が多い。そして旅の疲れを癒すためか、大人向けの店も目立っていた。


「あまり治安は良くないみたいだね。すぐ通り抜けて、日が暮れそうなら転移でエイブレッドに行く。いいね?」


 モモは頷いて、組んだ腕(気づいたらやられていたが、無視している)により力を込めた。


 通りを歩いていると、綺麗な身なりの人たちもよく見かけた。訛りが違うので、おそらく別地方の金持ちが通り道として、もしくはこの村に目的があって訪れているのだろう。


 大通りから一歩中路に逸れるだけで、薄暗くてジメジメした嫌な雰囲気だった。村自体は小綺麗な印象を受けるが、やはり行政の行き届いていないようなところが垣間見える。


「結構可愛い子が多いね?」

「奴隷なんてごめんだね」

「ふーん、お金で愛を買うのは抵抗ある感じ?」

「そうじゃない」


 モモはそれ以上聞かずに、歩みを止めた。腕を組まれているディオンも進もうとして、動かない彼女を見る。


「見ないでいい、行こう」

「…うん」


 ディオンは彼女を引っ張り、やはりこれ以上歩くのはよすべきだと判断した。モモは今のうちに危険な街の歩き方を知りたいと言ったが、何かあってからでは遅いのだ。



 エイブレッドの手続きは思ったよりもスムーズだった。どうやらチェスターが手を回してくれていたらしい。モモと二人で宿に入り、当たり前にモモは同じ部屋でいいと言い張った。そのほうが費用も嵩まないので、言葉に甘えてツインの部屋を選択した。


「俺は街の様子を見てくる。夕暮れも近いし、モモは部屋にいて」

「やだ」

「駄目。君のわがままを聞いていろんな国に来てるんだ。これぐらいは言うことを聞いて」

「ディオンが魔法?かけてくれたから大丈夫だよー。連れ去られても、追跡できる魔法なんでしょ?」

「そんなの上書きされたら終わりだ。昨日だって部屋の結界を破られただろ。アレクみたいな──」


 ディオンがあ、と呟いて、モモはくすっと笑った。次の瞬間。


「キャーーーーーーーー!?」


 シャワー中だったのだろう、頭が泡だらけのアレクが甲高い悲鳴をあげた。咄嗟にディオンはモモの目を手で塞ぎ、バサッと自身の上着を彼に投げつける。


「な、何なんすか!? 呼ばないって言ってたのに…!」

「ごめんごめん。すぐ帰すから」


 アレクは大事な部分を上着で隠して、今にも泣きそうな顔で言った。モモにもう大丈夫だ、と言って目隠しを外すと、閃いたような顔をする。そしてこういう顔の時、碌なことを思いつかない。


「あ、わかった!」

「モモちゃん!? 俺に近寄らないで!?」


 無防備な状態で言葉の通じない女の子が近寄ってくる恐怖は、さすがのディオンでも体験したことがない。乙女のように恥ずかしがるアレクを指さし、ショーウィンドウに飾ってある欲しいおもちゃをねだる子どものように、こちらを向いてモモは言った。


「アレクと一緒ならいい?」

「駄目だ」


 この契約魔法がディオン自身にかかっているとはいえ、さすがに二人きりにするわけにはいかない。


「お願い。ちゃんと夜までには帰るから」

「モモに何かあったらどうするんだ」

「大丈夫だよー。アレクは多分私には興味ないよ」

「そうかな…?」


 改めてモモの姿を見る。普段当たり前に隣を歩いているけど、スタイルはいいし、顔立ちも整っている。この前は異世界風の洋服だったからわからなかったが、今回はオリヴィア女王にもらった服だから、この世界の中の可愛い子、という印象だ。おしゃべりでフラフラとした隙のある感じだから、きっと相手には困らない。


「あの…! せめて服着てから話させてもらえますか!?」

「あー、ごめん。3分後にまた呼ぶね」

「兄貴じゃなかったら許さないっすよ!」


 と言いながら、アレクは自分の家に戻って行った。さらっとやっているけど、あの子も転移魔法が使えるのか。名前を呼ぶ召喚の応用魔法ではあるが、思っていたよりは勉強熱心なのかもしれないな。


「ディオン、聞いてる?」


 むにゅ、といやに柔らかい感触が左腕にあった。それを解いてから「なんだっけ」と冷静に返答する。


「あたしはディオンがタイプだから大丈夫だよ」

「どうもありがとう。でもアレクは見張りとして置いておく」


 そんなあ!とモモは口を尖らせた。お色気作戦が効かないとなるとようやく諦めてくれたのか、ふらふらとベッドにダイブしてうだうだ文句を言っている。


「言ってもアレクって昨日出会ったばっかでしょ。それこそ何か起きたらどうするの? 襲われちゃったり!?」

「さっき大丈夫って言っただろ」

「そうだけどさあ……」


 コートを羽織って、彼女の方を振り返る。


「…怖いなら呼ばないけど」


 どうする、と言いかけたが、シーツの隙間からこちらを覗いてにやにや笑っているのに気がつく。ムカついたのですぐにアレクを呼んでやった。



◇◇



 チェスター曰く昨日の男は居場所を吐かなかったらしいが、エイブレッドの街を回るだけでチャンスは訪れた。路地裏に女性が引き込まれるのを、ディオンは屋根の上からその目で見ていたのだ。


 姿を消す魔法なら、やんちゃな思春期の少年でも扱えるほど単純な構造をしている。魔法は頭の中でイメージすることが何よりも大事だから、子どもの方がうまく使えることもある。だから、この犯罪には若者のほうが関わっていることは容易に想像できた。


「いやっ、何、怖い…!」

「誰か! 誰かいま…んっ…」

「嫌………っ」


 ディオンは、姿を現した男が「味見」と称するシーンを黙って見ていた。しかしどう考えてもその程度では終わらなさそうだったので、時間短縮のために誘拐犯から一切の性欲を「まだ見ぬディオン自身」に向けるよう魅了した。

 衣服が乱されかけた女性は混乱しながらもなお、怯えた表情で男の言うことに従っている。


 その表情が、ここに来たばかりの頃の誰かと重なって、ディオンは舌打ちする。



◇◇



 目が覚めると視界が揺れていて、何かに載せられていることに気づいた。何人か乗っている馬車の荷台のようで、その誰もが拐われてきた子たちなんだろう、口は塞がれ、腕も縛られているが目隠しはされていなかった。そのおかげで何人かを数えることができたが、ひとりひとり麻袋に入れる余裕はないんだろう、荷台を薄い布で覆っただけの、簡易的なものだった。


 先程私を襲おうとして突然興味を失った男は、なぜか荷台で気を失っているようだった。ここには女の子が3人、男の子が2人。頻度は分からないが、1日にこれだけの人数を拐っているのかと思うと恐ろしい。


 私はお酒が飲める年齢だが、ほかはそうでもない。見るからに学校にも通っていない年齢の子だっていた。おそらく、いや、どう見ても私がこの中では1番年上だろう。


「……」


 もぞもぞと何人か私と同じように動いている。目が覚めた子もいるのに、泣き出さないのが不思議だった。みんな自分の置かれた境遇がわかっているんだろうか。 


「!」


 馬車が止まって、男たちの話し声が近づいてくる。布をまくられるとあたりはもう薄暗くなっていた。


 おそらくエイブレッドの街をぐるりと一周、裏手から回ってきたんだろう。やけにごつごつした石の多い悪路でもあった。


「降りろ。ついて来るんだ」


 私たちは順番に荷台から降ろされた。ナイフを向けられて、ようやく事態を理解した女の子が泣き出した。1人の男が舌打ちして女の子に近づく。その前に、私は女の子の手を引っ張って抱きしめた。


「大丈夫よ、おいで」


 頭を撫でていると落ち着いたのか、私の服を掴んで歩き始めた。


 そこは、森の中を切り拓いてできた小さな集落、もしくはアジトであった。周囲に似たような小屋が5、6件あって、おそらくその中にも私たちみたいな人が捕らえられているんだろうと思った。促されて入った中は、綺麗とまでは言わないが、商品に傷をつけないようなのかひどく汚れていると言うことはなかった。


 一人の男はドアを閉めて、私たちの腕を繋いでいた縄を切り、刃物を向けたまま言う。


「服を脱げ。全員だ。装飾品も全部外せ」


 それなら仕方なかった。

 私は魔力を抑えるよう言い付けられていた腕輪を数年ぶりに外してしまって、男の目を見る。


 こんな目に遭うとは思わなかった。やっぱり他人の言い付けなんて守るもんじゃない。


 網膜から、目の神経を伝って、脳を包み込んでいく。じわじわと侵食していくのは気持ちがいい。久しぶりだけど、感覚は忘れていないようだった。


「なんだ?」

「服は脱がなくてもいいですよね?」

「え、な?……ああ、そうだったな」


 簡易的な神経系の魔法だった。

 授業で教えてもらっていないが、まさかうまくいくとは。うまくいかなかったとしても、どこかのタイミングでこの男を気絶させて操るつもりだったが。


 男の変貌に子どもたちは安堵しつつも怪しんでいる。しばらく経って男は小屋を出て行った。


「…僕達、奴隷にされるんでしょうか」


 ポツリと誰かがつぶやいた。あきらかに、私に向けた言葉だった。私の弟ぐらいの背丈の子だ。私がそうだと見間違えて路地に入ったぐらい、この年代の子は似ている。

 おそらく1番年上の私に意見を求めた、というところだろう。


「そうかもしれませんね」

「そんな、……」

「ぼくは奴隷でもいい!」


 別の男の子は膝を抱えたままいう。


「奴隷だったら、暴力振るわれないんだろ。パパが言ってた。あいつらを殴ると法律を破ることになるから、お前をこうするんだって」

「…」


 不安そうに、泣いていた女の子が這って私の膝に乗って来る。


「お家に帰りたいよう」

「そうだよね」


 私はその子の頭を撫でることしかできなかった。

 今日解放したとて、みんなを幸せにできるとは限らない。この世界に来た日から、ずっとそうだ。


「今日の晩飯だ」


 パンが5切れ、チーズが2切れほうりこまれる。わざと一人分足りないのだろうか。


「あの、一人分足りません」

「分け合って食え。それぐらいわかるだろ」

「お姉さん。…」


 私の服を弟に似た男の子が掴む。

 これ以上奴らに歯向かうなということだろう。確かに、彼らの年齢層を見る限り私の誘拐はイレギュラーなのかもしれない。私は1番小さい子と分けて食べるから、と皆に分けるよう指示した。


 膝の上の子は千切っては食べ、千切っては食べをしていたがしばらくして飽きたのかうとうとし始める。その手からパンをとりあげて、ハンカチで包む。


「おう、いたいた」


 たよりないランタンの光で寝床の準備をしていると、昼間とは違う男二人が入ってくる。部屋に緊張が走った。

 男たちは私を指さして、くいっと自分の方に折り曲げた。


「おい、お前。成人してるだろ?」

「あ、はい…」

「ボスが酒を注いでくれる女を探してる。気に入られたら、早く抜け出せるかもしれないぜ」


 チャンスかもしれないし、ここは従っておくのが良いのだろう。と、立ちあがろうとしたら、先ほど私を宥めた子が男たちと私の間に立ちはだかった。


「お姉さん。行かないほうがいいと思う。…酒に酔った大人は乱暴するかもしれない」

「あ?テメェ…」

「い、行きますから! 大丈夫。うまくやりますよ」


 この子をお願いします、と私の胸で寝ていた子をその子に預ける。


 男たちに連れられて、外に出る。街灯なんてないから、足元がよく見えない。小屋がある通りからさらに奥まったところに明かりのついている建物があった。


 平屋だが、他のところより簡易的でも装飾があって、かれらの中の偉い人がいるんだというのが一目でわかる。


 建物の中に入ると、褐色の肌の男が上座に座っていた。顔は濃いめだが、悪くない。数十年前の失恋のせいで、日頃は線の細い優男ばかり見ているから、こういう無骨なかっこよさに久々に触れたな、と思うぐらいだった。


 ボスと呼ばれた男の前に、まるで商品のように差し出される。そして、彼は


「ボス。コイツが今日仕入れてきた女です」

「歳は」

「に、22です」

「……年増だな。他にいないのか?」

「それが、今日はしょんべんくせえガキばっかりで…」


 殴ろうとしたのを辛うじて止めた。いっそのこと300を超えていると言ってこの場を荒らしたってよかったのに。この少女趣味野郎に私は酒を注がないといけないわけ? と思いながら引き攣った笑みで酌をする。


 よく見たら、どのテーブルにも私より年下、むしろ幼すぎる子たちがつかされている。吐き気のする光景だったが、むしろ若い子たちをこっちに寄越すべきだと思ったのは秘密だ。!


「ボスは酔うとすぐ手出すんでさぁ、今日は10にも届かないガキばかりで。さすがにそいつらを出すわけには…」


 人攫いの時点で何を、とは思うが、私のむすっとした顔を見てかそばで冷や汗を垂らしまくっている男に免じて許してやる。


「おい、女。名前は?」

「……り、…」

「り…?」

「ネネです」

「ネネ」


 偽名を使いたかったが、咄嗟に思い浮かばなくて本名を答えてしまった。気に入られたようだ。ボスの男が差し出した手を見る。顔をあげると、男はにやりと口端を上げた。


「服を脱げ」


 ぽかんとする私をよそに、手を叩く周りの人間。

 後ろで焦っていた男でさえよかったですね、と耳打ちしてくる。

「気に入っておられる証拠です! ボスは恥じらう女性にこの上なく惹かれるのですぞ!」

「と言われても、……ごめんなさい、嫌です」


 私は別に好かれたいわけではない。身銭を稼ぐためにたまたま巻き込まれただけで、今晩中には街に戻りこの場所を伝え、組織を壊滅させるつもりだ。この男に好かれようが好かれまいが、どうだっていい。


「嫌だと?」


 空気がピリつくのがわかる。

 それはそうだけど、こっちだって嫌なものは嫌なのだ。


「貴方たちの文化は理解できません。なぜたくさんの人に見せる必要が?」

「歯向かう気か?」

「当然です」

「それなら仕方ない」


 と言ったところで、宴会は中止になった。


「ぐぁあああっ!?」


 言い争う私たちを見てか、手下の1人が私の頭を貫こうとした槍が、ボスの肩に刺さってしまったからだ。結構な勢いだったのか、返しの部分まで深く突き刺さっている。私は避ける魔法を使っていないから、単に手元が狂っただけなのだろう。

 

 その場が静まりかえる。がちゃん、と誰かが器を落とした音がした。


「ぼ、ボス…」

「リカルド!! 酒に酔った状態で武器を持つなと教えたはずだが…?」

「す、す、す、すみませえええん!!」

「くそっ、いい、退け」

「待って!」


 刺さった矢先を引き抜こうとするのを止める。


「このままだと肉も一緒にもってかれる。私が傷口を修復しながら引き抜くから、貴方も手伝って」

「お、俺が!?」

「ボスを助けないといけないでしょ!」


 リカルドと呼ばれた男が涙目になりながら頭を上下に振る。


「待て、…麻酔もなしに?」

「大丈夫。私の目を見て」


 先程下っ端の男にやったように、軽い催眠をかける。麻酔までとはいかないが、軽い麻痺状態にはできるだろう。力の入らなくなった男を壁にもたれかけさせる。


「いい? ゆっくり、ゆっくりよ…」

「ううぅ、ボス…」

「俺、気分悪くなってきたよ…」


 外野の声は無視だ。血が溢れ出していくのを小ヒールでおさえながら、地道に地道に修復していく。ヒールなんて本当に、いつぶりに使っただろうか。


 遠い記憶のなかで、微かに彼が笑った気がした。




 どれぐらい時間が経っただろう。


「…おお、…傷口がほとんど見えなく…!」


 といったところで私にも急な眠気が襲ってきた。慣れないことを、しかもこんな犯罪者たちにやるんじゃなかった。マナの限界が近いということだろう。

 私の催眠が解けて、ボスの意識もはっきりとしてきた。


「…っは、お、俺は…」

「ボス! 大丈夫ですか!」

「ネネ、お前が……」

「ちょっと寝かせてください。…服脱ぐ件はチャラでいいですよね。これぐらいの義理、……」


 意識が遠のいていくのがわかる。



◇◇



 起きると、ちょうど夜が明けたところだった。

 とにかく魔力が不足している間に殺されずに済んだようだ。自分の衣服も前後ろともにチェックする。よし、特に乱れてはいない。何かされて着せられた可能性もなくないが、あのガサツな誘拐犯たちがこうできるとは思わない。目覚めた場所は宴会場ではなかったが、前にいた部屋でもなかった。


「ネネ、起きたか」

 部屋の隅に、ボスと呼ばれていた男があぐらをかいて座っていた。

「あ…」

「何もしてない。義理は果たした」


 私はほっとする。髪を整えて、そういえばこの人の前で魔法を使ってしまったな、と思った。あとで腕輪を回収しなければ。


「お前、魔法使いだったんだな」

「……」

「知ってるか? 魔法使いが死んだら、骨は薬になる。その骨は…まあ、場所によるが、そこそこの値段で売れる」


 一瞬やるじゃん、と思ったけどクソ野郎だった。

 魔力が完全に復活したわけではないが、風ぐらいなら起こせるか? それでこいつを吹き飛ばして、自分はドアを出して逃げる。それぐらいならできるか?


 いや、それだとあの子たちは?

 警察がここにくるまで、無事でいられる確証もない。


「このパーティには医者がいない。ちょうどお前みたいなのがほしかったんだ」

「嫌ですよ。人攫いの仲間なんて」

「お前に拒否権があると思うか?」


 男が立ち上がり、私のそばに歩いてきた。わたしの上にちょうどまたがるように立って、しゃがみ込む。わたしの左手をとって彼の胸を触らせた。

 きっとこの温かさと強引さに絆された人が何人もいるのだろう。


「悪いようにはしないさ。俺のそばに置いてやる」

「嫌です。わたし、好きな人がいるので」

「……は?」


 窓の外でくすくす笑い声が聞こえた。いざ逃げるとしても、相手は一人じゃないってことか。


「好きな人も魔法使いか?」

「…」

「だとしても、お前が攫われてなにもしてこないんだな?」

「ち、違います。気づいてないだけで…!」


 男がわたしの服に手をかけた。とっさにその手を叩く。


「触らないで!」

「強情さは命取りだ」

「ぼ、ボス!!!」


 ノックもせずあわてて彼の部屋に駆け込んできたのは、きのうの宴会でもそばにいた側近の男だった。相変わらず汗をダラダラと垂れ流している。


「い、いないんでさぁ…」

「何がだ?」

「ぜ、全部…」

「だから、何がだよ。なんの全部だ?」


 男がイラついたように小さく舌打ちをした。


「奴隷を入れていた小屋ごと、なくなってる!」

「何!?」


 ボスと呼ばれる男がこっちを振り向いた瞬間、私は後ろに身体を引き寄せられた。


「寧々」


 その呼ばれた声と、やわらかな魔法の気配──彼はこれを匂いと呼んでいた──でわかった。頭の中に、何十年も、いや、何百年も前の記憶が蘇ってくる。


「ディ…」

「静かに」


 優しく、そして冷たい彼の声が私を制した。彼の声には逆らえない。そう教えられていた。

 ボスの男はどこからか武器を取り出して、こちらに構えている。


「お前、いつから…」

「それより、君を助けた魔法使いだ。いわば命の恩人を脅す趣味があるのかい? こんなに震えてかわいそうに」


 ディオンは私の肩を抱いたまま、そっと抱き寄せた。ああ、このまま死んでもいい。むしろ死ぬならとびきり幸せな今がいい。


「それで、この人たちってもう殺してもいいかな?」

「ま、待てって。その女はいらない。返してやる。だから見逃してくれ」


 彼の力を瞬時に感じ取ったのか、男たちは焦って交渉し出した。ディオンはふむ、と言って私を見る。彼の瞳に映る私は、これ以上ないほど恍惚の表情をしていた。


 我ながら単純な女だが、ピンチの時に助けに来てくれるのが何百年も片想いした男だなんて。こんなの嬉しいに決まっている。


「別に俺もこの子が必要なわけじゃないさ」

「……」


 ディオンは飄々と答える。何千回と言われた台詞に、寧々は今回も新鮮に傷ついていた。


「ところで、今日はオーナーの元へ行って品評会をする日だろう?」


 ディオンがにこやかに手を差し出したが、彼は恐怖でなのか、動くことができない。


「あれ。言葉も失っちゃったかな」

「…ディオン」

「ほら、寧々は人質たちのケアをしてくれる?」


 有無を言わせない彼の笑みに、私は頷くことしかできなくて、人質を連れて隣町に戻った。




 噴水のある広場で、それぞれの家族たちが再会を喜んでいた。知らぬ間に彼が手を回していたらしく、そこには子どもを連れ去られた親たちが集まっていたのだ。


 人質たちははじめどこにいるかと思ったら、ディオンの魔法で小さくしていたらしく、木の小箱の中に入っていた。元に戻ったことで逆に私を怖がっている人もいる。

いる。


「……あ、お、お姉さん」

「?」


 昨日同室だった、背丈が弟によく似た子だ。わたしの膝に乗っていて、出ていく直前で彼に預けた子は先程両親が迎えに来た。


「よかった。…心配してたんだ」

「え? あ、ありがとう…?」

「あの!」


 突然手を握られて、私は固まってしまう。


「ま、巻き込んでしまって、ごめんなさい。…あの男たちに、何もされてない?」

「うん。大丈夫だよ」


 あの男も、こんなふうに心配してくれたらいいのに、と思ってしまう。少年は躊躇って、私の手を握ったまま言う。

 

「僕のせいで、お姉さんが…だから、僕、責任取りますから」

「え!?」


 お礼の言葉のはずが、まるでプロポーズのような言葉をかけられて、思わず声が出てしまう。誰かに助け舟を求めようと思ったけど、周りには誰もいなかった。


「だ、大丈夫! 私、魔法使いだし、元々依頼でここに来てて…」

「僕を安心させるために嘘ついてるんでしょ? わかってますよ。……大人っていつもそうだから」

「…」


 この子の切ない表情を見ていると、なぜか罪悪感が芽生えてくる。


「僕はケリーです。お姉さんの名前は?」

「わ、私は寧々です」

「ネネさん。僕…」

「寧々」


 いつのまにかディオンがここに来ていた。わたしの肩を叩いて、私もようやく正気に戻る。いけない。完全に彼の世界に飲み込まれるところだった。こういう流されやすいところがいけないんだ。


「ケリー、お家の人は来てる?」

「あ、はい…」

「帰りたくない理由はある?」

「……ないです」


 私は頷いて、彼の手を解いた。


「それなら帰ろう。私は、他に帰りたくない子たちのところに行かないと」

「え、…」

「心配してくれてありがとう、ケリー」


 最後に頭をぽんぽんと撫でる。ほんの少しの加護を添えて。


 ディオンの合図で、家に帰りたくない子たちを精査していく。山を越えた向こうにある修道院で、私も何度か訪れたことがある場所。そこならひとまず安心だろう、と任せることにしたのだ。


 虐待されていたとはいえ、迎えを待つ数人の目は親を信じきっていた。ある程度私たちが悪い魔法使いに見えるのも仕方ない。だけど、……。


「いやだ! 待つの! お母さんが来るの!」

「……」


 ディオンと話し合って、ひとりの子はそこに残すことに決めた。


「チャンスはこの一回。私はもうこの街に来ない。この意味がわかるね?」


女の子はぶんぶんと頷く。

それなら、仕方ない。


「元気でね」


その子と一度だけハグして、私とディオンは空に飛び立った。

広場にたった一人、立ちすくむ女の子を残して。



◇◇



「おかえりー、ディオン!」


 宿に戻ると、エイブレッドの街を充分楽しんだのだろう、満足そうなモモが上機嫌でハグを求めてきた。コートを脱いで、部屋にある人物がいないことに気づく。


「アレクは?」

「あはは! 帰ったけど、呼んじゃったね?」


 食事中なのか、パンを持ったままのアレクが部屋に現れた。昼間とは違って、腹を立てている様子でディオンに詰め寄る。


「兄貴! ひどいっすよ。モモちゃんにお金を持たせてないならそう言ってください!」

「ごめんごめん。いくら使ったの?」

「銅貨30枚です。俺の生活費が〜…」

「それぐらいなら払うよ。お守りもありがとう」

「本当大変でしたよ。喋れないのに色んなもの見たがって動き回るし…って、ええ?」


 古いお金だが、銀貨を1枚渡すと、こんなに受け取れません!と逆に文句を言ってきた。今後も何回か呼ぶから、と言うと、なぜかちょっと嬉しそうにしている。


「あれ? ディオンさん、違う魔法使いの匂いがしますね?」

「…目ざといね? シャワーを浴びてくる」

「モモちゃんと言う人がいながら! 羨ましすぎますよ!」


 そんなんじゃない、と言いつつも、モモが早く今日のできごとを話したそうにうずうずしていたので、呼び出して早速だがアレクには帰ってもらった。



◇◇



「どういうつもり?」


 バスルームから部屋に戻ると、モモが「こっちがあたしね!」と言っていたところじゃない、つまりディオンのほうのベッドに寝転んでいた。


 この気まぐれな娘は、やっぱりこっちがいいとでも言うのだろうか。濡れた髪を拭きながら、彼女がいない方のベッドに腰掛けると、モモはがばりと起き上がる。


「ねえ! なんでそっちに座るの?」

「きみがいるからだろ。退いてくれ」

「昨日は一緒に寝たのに。ダメなの?」

「駄目と言うか、嫌だね」

「がーん……」


 口に出した擬音のとおり、モモは何かに頭を打たれたりようにして仰向けに寝転んだ。


 ディオンは魔法を使って髪の毛を乾かしてしまって、濡れたタオルをバスケットに放り込む。寝転んだままのモモはまだ口を尖らせていた。


「あたしができること、これぐらいしかないよ。女子高生が添い寝してくれるなんて。ディオンぐらいのイケメンじゃなきゃ妬まれて大変だよ」

「俺にも好みってものがあるからね」

「ひどい…」


 シーツにぐるぐるくるまって、眉を八の字に下げてこちらを見ている。その光景がなにかの動物みたいで面白く、笑いながら隣に腰掛けた。


「昔飼っていた犬を思い出すね」

「かわいいってこと?」

「拡大解釈にも程があるけど、まあそういうこと」

「嬉しい! ディオン大好き! キスしてもいいよ!」

「お断りだ」


 むにゅう、とやけに柔らかい感触で気づいた。シーツで隠れて見えなかったが、モモはパジャマがわりの大きなシャツだけで、胸元の様子からしておそらく下着は穿いていない。

 アレクにねだって街で買ったコロンだろうか、みずみずしい香りがした。


「…………なんて格好してるんだ」

「えへへ、ごめんね? 喜ぶかと思って」


 喜ぶわけがない、とディオンは言いかけたが、また拗ねられても困るのでとりあえず下着をつけてもらうことにした。魔法で彼女の下着を取り上げて投げつけると「えっち!」と文句を言われたが、こっちの身にもなってほしい。


「モモ、きみはバイトが得意だと言っていたね。それは春を売ることなのか?」

「春を売るって何? あたしは一年中頑張ってたよ」

「…そうか」


 ディオンは目を伏せた。はあ、とため息をつく。


「勘違いしてない? あたし、バイトって言っても──」

「覗き見とは趣味が悪いね」


 モモの言葉を遮って、ディオンは空中に向かって呟いた。


「……そんなつもりじゃ…」


 なんのこと、と戸惑うモモの前に現れたのは、昼間、彼と一緒に山の向こうの修道院まで子どもたちを連れて行った魔法使いだった。

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