第2話
「最悪! この街に全然いい思い出ないんだけど!」
「ディオン様。いまモモは何と?」
「賑やかで最高の街だと言っています」
「まあ!」
「てかなんで女王様も一緒なの!」
「女王様とご一緒できて嬉しいと」
「まあ! うふふ…」
オリヴィアの市街地で、ディオンはモモと、そしてなぜか女王オリヴィアと3人(+護衛が数名)で歩いていた。
その理由は数日前に遡る。
モモがオリヴィア以外の街に行きたいと言うので、出国の手続きを取っていたとき。
「ディオンの転移魔法でパパッといけると思ってたな」
「モモがいるからだよ。さすがに異世界人の所在は黙ってるわけにはいかないだろ」
「でもだいぶ待たされてるよ。暇だね〜」
モモはディオンにぴったりとくっついて座っている。それを横目でひと睨みすると、すみませーんと口を尖らせながら拳ひとつ分離れた。
「ディオン様、モモ様」
「あたしたちの番だ! ディオン、行こう!」
モモはディオンを引っ張ってカウンターに行くが、なぜか別室に案内された。
「な……」
扉を開いて、数日前に初めて会った女王が待っていた時は、ここにいる全員の記憶を消してしまおうかと思ったぐらいだ。
「ディオン様」
「は、はい」
向かいに座った女王が自分を真っ直ぐ見つめる。変な汗が止まらない。
「この国を出て行かれるおつもりですか?」
「旅行です。モモが別の国も見たいと言うので」
「ディオン様と旅行に…!?」
「ねー、ディオン。なんで女王様がここにいるのかな? 聞いた?」
「モモ、うるさい」
ぷくっとわざとらしく頬を膨らませて拗ねてしまった。可哀想だが、話が進まないのでしばらく黙っててもらおう。
「う、羨ましい限りですわ。私だって旅行を楽しみたいのに」
「はあ。お仕事忙しいですもんね。でもたまにはバカンスに行かれては?」
女王は首を横に振った。
「そ、そうではなく。……いえ、黙っていても仕方がありませんね。…私もディオン様と旅行に行けたらいいな、と思ったのです」
「……え?」
「マードック。あれを持ってきてくださる?」
マードックと呼ばれた白髪の男性は、きびきびとした動きで本を5冊ほど持ってきた。そのどれもが見覚えのあるもので、燃やしたはずの本も混じっている。当時の自分でも、さすがに王城の図書館に忍び込むのは気がひけたからだ。
「これは…」
「ディオン様にまつわる伝記ですわ! 幼い頃から魔法使いに興味があったのです。そしてこの国に偉大な魔法使いがいると知った時、衝撃が走りました。そして私は決めたのです。──いつかこの気持ちを、ご本人に伝えられたらと」
「はあ」
「ねえ、女王様めっちゃ喋ってない? てかこれ見てもいいですか?」
いつの間にか復活したモモが本をパラパラとめくる。本当なら手袋をするぐらいの貴重な本だが、まあこの人に言ったところで素直に従うかは微妙なところだが。
「っぷ、あはは! ねえ、これディオンじゃない?」
「はあ?」
モモが指さしたのは、よりによって自分が燃やしたはずの本の挿絵のひとつだった。真っ黒のコートに、大きな鼻、口はへの字に曲がっていて見るからに性格が悪そうだ。
だけど。
「……俺の名前が書いてある」
「おもしろすぎる! 悪意まみれだよ、こんなの…っ、あはははは!!」
「モモにもこう見えてるってこと?」
「違う違う! こういうのって大袈裟に書くじゃん。黒いコートしか似てないよ、大丈夫大丈夫」
「じゃあなんでわかったんだ?」
「…っ、あはははは!!!」
モモはディオンの背中をバンバン叩いた。女王はその様子を見て目を丸くさせている。
その後もディオンが旅の目的を話して説得し、女王はというと仲睦まじい──ほとんどモモがツボに入っているだけだったが──二人の様子をしばらく眺めて、こほん、と咳払いした。
「……出国の許可はお待ちいただけますか?」
「えっ」
「ディオン、どうしたの?」
「…出国は待ってほしいって」
「ええ…っ」
女王はすくっと立ち上がる。
「まずはこの国を、私がご案内しますわ」
◇◇
「女王様。それにそのお方は…」
「ディオン様ですわ」
「ひっ…!」
温かい飲み物を買おうとしたが、店主の手の震えが尋常ではない。わかってはいたものの、行く先々では正体を隠そうとディオンはひそかに誓っていた。
モモが席に座ったのを、店主はちらちら眺めている。
「あの……」
「心配しないで。品物を買ったらすぐに出て行くさ」
そう言うとほっとしたような表情を浮かべた。
「え? 休憩はー?」
「外の広場で」
「そっか。あのお店可愛かったけど仕方ないね」
「ディオン様。申し訳ございません。……まだ誤解が解けきっていないようで」
ディオンは口角を上げて首を横に振った。あれが正しい反応だ。むしろ女王は珍しい部類に入る。
ディオンはかつて、残虐な魔法使いだったから。
今でこそ隠居のような生活をしているが、救世主が勇者の代は魔族を倒すために多くの犠牲を払った。あれは仕方ない。きっと王室の記録からは消えているだろうが、勇者を、なんの変哲もないただの少年を担ぎ上げるには、優秀な手下が必要だったからだ。
その姿や別の代の様子が各地に記録として残っていて、今でもディオンは恐るるべき魔法使いとして人々に語り継がれている。…多分。
「女王様も、俺のような魔法使いと一緒に行動すべきではありません」
「ですが……あ、」
女王は言葉を止めた。モモが走り出す。二人が同じ方向を見ているのに気づいてようやく、ディオンは子どもが転んでいることを認識した。モモに手招きされて、ディオンは小走りで近づく。少年の膝から血が滲んでいた。
「ディオン、これ治せる?」
「少し待ってね」
ディオンが呪文を唱えようとすると、女性の叫び声が聞こえた。彼女は青ざめた顔で男の子に駆け寄り、怯えた顔でこちらを見る。
「お母さん、心配性だねえ?」
「…いや、そうじゃないよ」
「?」
女性が震えながら頭を下げているので、モモが不思議そうにした。彼女にここの言語が伝わらなくてよかった。まあ、慣れた頃にはわかってしまうんだろうけど。
親子が治療も受けずに走り去ると、モモは立ち上がった。スカートの砂埃を払って、ディオンに笑いかける。
その笑みを見て、きっとモモは気づいたんだ、と悟った。
「婚活、大変そうだね?」
「コンカツ……?」
ディオンは再びしゃがんで、モモの膝に治癒魔法をかけた。ありがと、と屈託のない笑みを向けられると、自分と正反対で眩しく感じられる。
「ディオンは優しいし、胡散臭いのか根暗なのかわかんないけど…とにかくあたしに任せてよ。絶対にいいお嫁さん見つけるからね」
「だからその話はいいって」
「ディオン様! モモさん!」
3人分の飲み物を持った女王(プラスこちらを凄んだ目で見ている護衛たち)が一生懸命こちらに向かって歩いてきていた。
◇◇
帰宅してもずっとモモは不機嫌だった。
劇場も、カフェも、カジノも全部入り口で断られたからだ。女王が交渉しようとするのを、ディオンが止めた。そのうち女王を誑かして街に出ようとしたとかなんとか言われるに決まっている。
唯一モモが市場で目を輝かせた、平たくて小さい桃をサラダの隣に添えてやった。
救世主様の機嫌をこれ以上損ねないように、ディオンはモモに優しく声をかける。
「モモ、ごめんね。明日には新しい国に行こう。国境を越えてもいいって女王様は最後に言ってくださったし、今日は変装をするのをすっかり忘れていたから今度は──」
「ううん、いいよ。こっちこそ我儘を言ってごめんなさい」
モモの元気がないと調子が狂う。たった1週間だが、常にハッピーオーラを振りまいていたからだろう。
「他の国にももちろん行きたいけど、この世界のことを知りたいよ。ディオン、今日はいろんな人に嫌な思いをさせられたでしょ」
「流石に気づいちゃったか」
軽く流すつもりだったが、モモの表情が浮かないので自分も黙ってしまう。
「…気になる?」
「気になるけど。…でも、あたしがここの言葉をわかったらいつか知ることになるでしょ? バイト先でもよく言われてたよ。その会社のルールってものがあるから、それに従いなさいって。だから、ディオンがどんなふうに扱われているのか、魔法使いがどれだけいるのか、とか。まずはいろいろ知りたいし、わからないことは教えてほしいな」
ディオンはその言葉に返答せず、いつも通りにこやかな笑みを浮かべたままスープを掬った。
「ディオン、聞いてる?」
「聞いてるさ、もちろん」
「ほんとかなー? ね、やっぱり、明日も出かけたいな。明日は私もここの服を着て行くね。女王様がなんかすっごい買ってくれたし、ディオンだけが変装してもバレちゃうもんね。いいでしょ?」
「ああ」
モモにそんな価値観が備わっているなんて思わなかった。異世界人だからというわけではないが、どちらにしても彼女は「救世主」と呼ぶには心許ない見た目をしていたから。
バイトというものは、まだ若い彼女に成長をもたらしてくれたのだろう。
「バイト」の意味をディオンはまだ彼女に聞いていなかった。しかし、きっと簡単に表せないのだろうな、と思い込み、異世界から来た少女の資質をあらためて実感しているのだった。
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