第138話 レティシア
楽団が少し華やかな曲を奏でだす。落ち着いた曲の時間は終わりなのだろう。夜はまだまだこれらなのだ。
すでにリゼットは踊りの輪の中に紛れ、どこにいるかもわからない。
そんな中、クロヴィスはレティシアと共に飲み物を取り、壁際に置かれた椅子に座って戦いの余韻と疲れの中で、初めて本音を吐露し合っていた。
宴はたけなわになりつつあり、他に座っている者はいない。
「レティシア殿。
共に踊っていただけること、感謝の極み」
「クロヴィス様。
クロヴィス様が、私の手が取られることなどないと思っておりました」
「他心通の術の魔術師でありながら、なぜそのようなことを?」
「……どこまでも、視る勇気が湧かなかったからでございます」
そういうことか、とクロヴィスは思う。
クロヴィスはレティシアと共にいることで、他心通の術についての理解が深まっている。これは魔術としてのテクニカルな話よりも、人の心の仕組みについてということに尽きる。
術に目覚め、制御を学ぶまでの暴走状態の中、レティシアは見なくて良いものを嫌というほど見た。その際の些細な表情の変化から、クロヴィスもまた学んだのである。
悪意ですら覚悟をもって受け止めてきたレティシアが、受け止めきれぬほど辛かったのは、自分のことを大切に思ってくれている相手の些細な苛立ちだったのだ。
本来気が置けないはずの相手からの「遅いな」や「つまらない」といった何気ない思いは、鎧を持たない柔らかい心の襞に鋭く刺さってくるのだ。
普通であれば、「待たせてごめんなさい」とか「話題を変えよう」で済むことなのである。また、全肯定してくれる相手などいないということも良くわかっている。
だが、嫌い合っている相手ではないからこそ、その悪意未満の苛立ちは辛いものとなる。そして、それを口に出すことも許されない。悪意未満をあげつらっていたら、友人など1人もいなくなるからだ。
自らの視界に精密な解析を繰り返しているクロヴィスだからこそ、そんな葛藤を繰り返しているレティシアの表情に気がついた。
まして、レティシアとは共に旅をし生活したのである。
レティシアの表情の変化に気がつき、「めんどくさい」と思いもした。レティシアへの好意とは別に、人の心は雑多な思いを無意識に想起し忘れ続けているものなのだ。
その無意識に気がついたクロヴィスは、いつしかそのような雑多な思いを布で包むように抑え、むきだしのままレティシアに当てないことを覚えた。
例えば、「遅いな」と思うことではレティシアは傷つかない。だが、そこに苛立ちが伴うと駄目なのだ。
レティシアの魔術を、他心通とは良くも言ったものである。他知通ではないのだ。感情こそがよりダイレクトに伝わるのである。
クロヴィスはそこに気が付き、事実を考えることと感情を切り離したのだ。
ただ、こうなるとレティシアはクロヴィスの感情が見えなくなった。
見ようとして術を使えば見える。だが、それは人としてやってはいけないことだ。
術に目覚めたときの暴走状態も過ぎ去った今、レティシアはさらに臆病になっていたのだ。
「それに、デビュタント・ボール(初めての舞踏会)の場で手を取っていただくことは、気心許せる相手としていただくこととは意味が異なりまするゆえ……」
「レティシア殿は、そのような思いで……。
ですが、このクロヴィス、そのような器用なことはできませぬ。
気心許せぬ相手の手を取ろうとは思いませぬ」
そう言いながら、クロヴィスはいくらか語調が強くなり過ぎたかと反省する。
ただ、それでも言っておかねばならない。人の心を見る魔術を使うことを覚え、見ぬ術も得たのならば、だ。
「知っておりました。
知ってはおりましたが、この不安、わかっていただけたら……」
「わかりませぬ。
逆に、レティシア殿、このクロヴィスを信じくださること、叶いませぬか?」
クロヴィスはあえてそう被せた。
不安や怯えは、不信から生じるのだ。
自分は感情を布で包むことを覚えた。だが、レティシアの周囲の人間すべてにそれを求めることはできようはずもない。そこは、レティシアの方が適応せねばならぬのである。
些細な感情は見て見ぬことにし、傷ついても、笑って忘れられるだけの勁さも身に付けねばならぬ。それは、信じるべき相手の本質を信じることから始まる。人の感情の表面は波立っても、芯は揺らがぬと。
だから、まずは少なくとも自分だけは信じてくれと、クロヴィスは言ったのである。
「信じてよろしいものでしょうか?」
おそるおそる問うレティシアを、クロヴィスは突き放した。
「それは、レティシア殿が自ら決めることか、と」
「……」
レティシアは息を呑んだ。
「少なくとも、今、このクロヴィスは真情をもって話しておるつもり。
だが、それが自分自身ですら騙されている思いなのか、それが真実だとしても相手に伝わるかどうか、皆そのようなことを禄に考えもせずに行動に移しているのです。
その機微を知ったレティシア殿が動けなくなるのはわかりまするが、それではなにも得られませぬ。そう、なにも得られぬのです。
レティシア殿は美しいゆえ、天から雨が降るように与えられることはあるでしょう。それで良しとすることもできましょうが、選択はできぬかもしれませぬ」
レティシアの反応はない。
クロヴィスもこれ以上口を開く気はなかった。
流れていた曲が終わり、一緒に踊っていた男女が礼をし合う。
礼とともに会話に移るので、会場のざわめきが一段と増した。次の曲までの大切な時間である。
気に入った相手が次の曲も踊ってくれるかどうか、真に気に入った相手が誰なのか、相手に自分以外の本命がいるのかどうか、さまざまなことを考え行動せねばならぬのだ。
そのざわめきに紛れ、レティシアの言葉がクロヴィスの耳朶に届いた。
「これからは、レティシアと呼んでいただけますか?」
「次の曲が始まります。踊っていただけますか、レティシア」
クロヴィスは天にも昇る心地でそう応えていた。
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あとがき
恋の描写は苦手です。
いや違った、恋の描写も苦手ですw(じゃ、なんで書いているんだ??)
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