第137話 リゼット


 楽団がゆっくりとワルツを奏でだした。

 デビュタント・ボール(初めての舞踏会)は新成人の祝いなので、相手に恵まれれば体力に任せて一晩中踊り切る者も少なくない。最初はゆっくりした曲から始まって、だんだんにテンポの早い曲になって盛り上がっていくのだが、今回の会場はすでに熱気に満ちていた。


 若者たちは食べて飲んで踊り、そして先ほどの勝利の余韻から軍に志願するなどという話まで持ち上がる。王を始めとする来賓はほどほどのところで退席してしまうので、会場の熱気は更に増した。とはいえ、王宮の大広間なので、羽目を外すのにも限界はあるはずだった。


 だが、リゼットが再び会場に姿を現すと、新成人の男に限らず、その後見としてきた兄弟たちまでもが競ってその前に片膝をついた。

「先ほどはあまりに見事。

 クラヴリー伯爵家の嫡子にてエリク、どうか共に一曲お付き合い願いたく」

「デュルフェ公爵家、レミ。こちらこそ、ぜひ一指し共に」

「レルカン男爵家、マリユス。リゼット殿の手を取るためなら、決闘も辞しませぬぞ」

 その瞬間、場は殺気立った。


 男爵家は、家格としては一番低い。ましてその嫡男でもない。ゆえに頑張ってしまったのであろうが、他の者たちの反感を買うには十分であったし、それが命賭けのものになるのも口から出た言葉のせいである。

 脅されて引き下がる貴族の息子など、どこにもいはしないのだ。


 だが、リゼットはそこでしおらしい表情になった。

 場をおさめようという意識すら感じさせない、完璧な淑女の振る舞いである。

「ごめんなさい。

 最初と最後の相手は決めておりますの」

「その果報者はいずこに?」

 リゼットの返答に、男たちは色めき立った。


「国家公認魔術師、クロヴィス様、ぜひにも共に……」

 と言いかけて、リゼットの声が途切れた。

 リゼットの後ろから再び大広間に姿を現したクロヴィスは、顔の上半分を覆う仮面を付けた女性の手を取っていたのだ。


 顔は直接見えねども、その美しさは明らかだった。

 長く艷やかな金髪は美しく結い上げられ、余り髪は伸びやかな肢体を覆う白いドレスを彩っている。

 仮面から覗く碧の大きな目と輝く唇は、顔のすべてが見れなくともその美しさを雄弁に物語り、むき出しの紋様は忌むべきものであっても仮面で覆い隠せずに漏れた部分だけであれば美のアクセントになっていた。


「リゼット、我が妹よ。

 共に踊りたい相手がいる兄を許しておくれ」

 クロヴィスの言葉に場はざわめき、そのまま静寂が霜のように降ってきた。

 魔法省に知らぬ者がいないほどの堅物であるクロヴィスだが、さすがにここのところのリゼットの仕草には気がつかされていた。


 リゼットの成長は著しい。

 師アベルの薫陶を受け、異星からの捕虜ながらもゲレオン准教授の教育を受け、人格すら変わったかと思わされている。それゆえに、最初は眼中になかったクロヴィスの良さにも気がついたのだろう。

 だが、それでもクロヴィスが最初に心惹かれたのはレティシアだったのだ。そして、モイーズ伯との旅でその思いは確定的なものとなっていた。

 今は、自分以外にレティシアを守る者はいないという、堅物らしい使命感すら抱いている。


 リゼットがもう100日早く変わっていたら、また違ったのかもしれない。だが、人生に「たら」「れば」の後戻りはない。

 リゼットが、同じ師につくことになった顛末は決して褒められたことではなかったし、「弟子」に、思いは抱けないという自制も働いた。

 リゼットは運が悪かったと言えるのかもしれない。


「リゼットは、兄様と踊ることを楽しみにしておりました。

 ですが、想い人と踊られるのであれば仕方ありませぬ」

 リゼットの前に片膝をついた男たちは、安堵のため息をついていた。クロヴィスが「妹弟子」をあえて「妹」と呼んだことで誤解したのだ。当然、その誤解はクロヴィスの意図したものである。


 リゼットもどこかで覚悟はしていたのだろう。レティシアに向ける視線と自分に向ける視線が違うことは、とうに気がついていたはずだ。

 仕方なくとも「兄様」と呼ぶことで、リゼットはクロヴィスの意図を受け入れた。

 未だ幼さを残し、恋に恋するリゼットだからこそ、今は思い切れたのかもしれない。それとも逆に、クロヴィスとレティシアの関係を見抜き、許容してしまうまでの器の大きさと老成と勁さをこのところの数十日で身につけたのやも知れぬ。


「兄様に袖にされてしまいました。

 さて、みなさま。

 このリゼット、王国のため、この惑星ほしのため、引き続き戦わねばならぬ身。また、天耳通の魔術師である以上、殿方ならばの隠し事も決してできませぬ。ときとして忌まれるほどの、決闘の必要などなき者に過ぎませぬぞ。

 それでも、この手を取ってくださる方はいらっしゃいますでしょうか?」

 そう明言されると、手を伸ばしにくくなった者もいたらしい。だが、片膝をついた大部分の男はそこから去らなかった。


 リゼットは躊躇いを見せたが、一歩踏み出す。

 そこへさらに声が掛かった。

「ロベール公爵家、嫡男ジェラール。

 我が家は王とともにあり。

 また、先ほどの戦いを見せていただいた以上、リゼットどのが魔術師としての生を全うできるようにいたしましょう。

 されば、一曲」

 あまりに露骨な言いようではある。されど、ロベール公爵家の評価は高い。最初に天からの敵の大岩が地に落ちたとき、当主が「王家とともに」と玉座の間で啖呵を切ったのはのちの語り草になっていたのだ。

 その言だけに、「魔術師としての生を全う」という提案には説得力があった。

 家格も、嫡子であるということも申し分ない。


「では、ジェラールさま、よろしくお願いいたしますわ」

 ちらりと一瞬クロヴィスに視線を飛ばしたのち、リゼットはジェラールの手を取った。

 それはリゼットからクロヴィスへの、決別のあいさつだったのかもしれない。

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