第130話 金という物質、その2


 充填されたキャップから空のキャップへ移動する魔素の量は、充填量の半分である。

 2つのキャップの量が釣り合った段階で、それ以上は流れないからだ。

 そして、それは一瞬である。なんの制御もないのだから魔素の特性として当然のことだ。


 そして、これはおよそ100回ほど魔素笛ピーシュを使用したのと同等の魔素の量である。

 これで結果を確認しても良いが、せっかく魔術師のフォスティーヌとロレッタがいるのだ。これだけではもったいない。彼女たちは1つのキャップから魔素を体内に取り込み、その分をもう1つのキャップに移し替えた。

 これでもう一度、鉄芯が入った金の棒に魔素を流すことができる。


 この、もう一度魔素を流すというのは、シルヴァン教授の思いつきである。

 実験と言うほどのものではない。

 あくまで、ここまでやって駄目だったのだから、この路線の可能性はないと切り捨てるための確認であった。


 だが……。

 1回目では金の棒になにごとも起きなかったのに、2回目では金の棒が赤熱したのだ。

 実験台の表面は炭化し、高熱を発したことを裏付けていた。

 その場の4人は、思わず互いに顔を見合わせ、なんとも言えない表情になっているのを互いに確認し合った。


 実験室に薄く煙がたなびく中、フォスティーヌがロレッタに声を掛けた。

「そなたは、天足通の術の魔術師と聞く。

  思いどおりに、もの形を変えることができるはず。

 この金の棒を、縦に割ってもらいたいのだが、お願いできようか?」

「容易いこと」

 ロレッタはそう答えると、金の棒に手をかざす。


「しばし!」

 慌てて声を掛けたのはシルヴァン教授である。

「キャップへの金線を外してからでないと、なにが起きるかわからない」

 今、外すから……」

 と言いながらシルヴァン教授は金線を外そうとし、すでに熱で金の棒と融着してしまっていることに気がついた。

 仕方なく、教授は実験棚からハサミを取り出し、金線を切断した。


 改めて仕切り直しである。

 ロレッタは金の棒に手をかざし、口の中で呪文を唱える。

 その姿を見て、フォスティーヌは驚き、そしてその驚きを押し隠していた。


「これは……」

 魔術を使うロレッタの姿を、フォスティーヌは初めて見る。若い女性の立ち姿であるのに、風格すら感じさせた。魔術師としての能力は、フォスティーヌに匹敵するだろう。

 天賦の才と教育、どちらが欠けてもこうはならない。敵に回さずに済んでよかったと、心底胸を撫で下ろす思いである。


 そして、その技量はすぐに目に見える形となった。

 金の棒は音もなく縦に真っ二つに割れ、その断面は磨き上げたようになめらかだった。鋭い刃物で一閃したように、である。

 そして……。

 その中に、鉄の芯はどこにもなかった。すべて、金になっていたのである。


「熱を発した段階で、もしやと思ったが……」

 からくり師の呻きが、静まり返った実験室に響く。

 こうなると金の生成の条件として、2つの可能性が生じる。

 立て続けに2回魔素を流した結果なのか、アドゥアートゥカで採れる砂を足したためなのか、である。


 シルヴァン教授は、縦に割れた金の棒を手に取った。

 この場には魔法省の長のフォスティーヌもいれば、王都で一番名高いからくり師もいる。だが、まずは自分が確認したいという欲望が抑えられなかったのだ。


 元々の金、鉄芯が変わった金、観察すべきはその境界である。なにかが起きたとすればそこなのだ。

 シルヴァン教授は目を近づけてしげしげと見、そして気がついた。

 アドゥアートゥカの砂は、白かったはずだ。だが、今は赤く変色したものが点々と浮き上がって見えている。

 熱で焦げたにせよ、赤という色に変わるのはほぼありえない。

 良く観察しようと、シルヴァン教授はハサミの切っ先で赤い砂粒を金からほじくり出そうとした。


 だが、ハサミの切っ先はぐにゃりと曲がり、シルヴァン教授のあては外れた。

 だが、シルヴァン教授は驚愕とともに叫んでいた。

「賢者の石!」

 と。


 ハサミは、切っ先から刃の中ほどまで金に変わっていた。

 鉄の部分と金の部分の境界は、きれいなグラディエーションを描いている。

「……やはり、鉄が金に変わるのではなかったのですね。

 アドゥアートゥカの砂が賢者の石に変わり、その賢者の石が鉄を金に変えた」

 からくり師の言葉は、幾度となく実験を繰り返し、失敗してきた者の持つ重みがあった。



 賢者の石は魔術理論というより、哲学の分野から想起された物質である。

 この世のものは多様性を増し、総たる相として高度で洗練されたものに進化していく。その原動力はなにかということだ。


 物質を究明する分野では個々の研究はされても、総たる相として全体を検討するのは馴染まない。当然、魔術理論の分野でも、魔術実技の分野でも馴染まない。

 結果としてこれは、世界はどこから来てどこへ行くのかという問いに集約されたことから、哲学に落ち着いたのである。


 混沌から分離、分離した個々への降り注ぐ魔素の恵み。分離した個々は変容し、相互の関係を深めていく。その際に生じた不純物が完全に除去されると、魔素と同義の純たる物質が生じる。それが金である。

 ただし、その不純物の除去は極めて難しい。その不純物が鉄を鉄たらしめ、銅を銅たらしめているのだから。だが、金は存在している。つまり、不純物を消失させるか、変容させる存在を想定せねばならない。

 それが、「賢者の石」だったのである。



「なぜ石なのかとは思っていましたが、実際に石がそもそもの由来だったのですね」

 フォスティーヌの感嘆を、シルヴァン教授は冷静にたしなめた。

「まだ、そこまで考えるのは……。

 他の分解された魔素笛ピーシュからは、賢者の石は観察されていないのですから。

 まだまだ検討が少なく、ものが言える状態ではありません。

 ですが、王命は果たされた」

 それを聞いたからくり師は、安堵のあまりその場に崩れ落ちていた。



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 あとがき

「ニグレド」黒化(腐敗)、「アルベド」白化(再結晶)、「ルベド」赤化(賢者の石)とも若干違う世界観なのです。

魔素がありますからw

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