第122話 空間理論物理学ライムンド教授


 ヴィース大学の学食は賑わっていた。

 当然のように学生が多いため若い層が目立つが、大学の職員だけでなく、業者やなにかの工事で来たと思しき職人までもがいて、一見では町場の食堂と変わらない。


 ただ、それでも違いを見出すとすれば、華美な服装をした者があまりに少ないというのは言えるかもしれない。群れとして、色合いが地味なのだ。

 ここヴィース大学は入るのも難しいが、卒業はさらに難しいと言われている。オシャレをしている時間などないのだろうし、経済的余裕はすべて書籍やフィールドワークに廻っているのだろう。


 そんなざわめきの中、スープと芋という質素の極地の食事をしている初老の男がいる。

 時代遅れの金縁眼鏡に白髪、白衣は痩せこけた身体にぶら下がっているように見えた。


「失礼します、ライムンド教授」

 そう声を掛けて、ダコールはその前の席に腰を下ろそうとした。

「君は、飯は済ませたのか?」

 いきなりの問いかけである。


「……いえ、まだ」

 ダコールは中腰のままで答える。

「無作法な男だな。

 人が飯を食っているときは、付き合うもんだ。

 まだ飯を食っていない者を前に食うってのは、極端に飯が不味くなる。

 少しは、こちらのことも考えて欲しいものだね」

「これは失礼しました。

 すぐに買ってきます」

 そう言って、ダコールは学生とともに列に並んだ。まさか、こう出てこられるとは思わなかったのだ。


 サンドイッチの皿を持って席に戻ると、ライムンド教授はすでに姿を消していた。



 2日目、ダコールは、再びトライする。

 いちゃもんをどう付けられても対応できるよう、重めのスープをトレーに乗せて、ライムンド教授が来るのを待つ。

 スープであれば、噛まずに食事が済む。

 ライムンド教授との会話が目的である以上、それを邪魔しないものが好ましいと思ったのだ。


「お、来ておるな」

 背後から愛想よく話しかけられて、ダコールは悟った。

 ライムンド教授は遊んでいるのだ。

 つまり、今日も隙あらば逃げる気満々だ。総統から紹介されたという事実は、このライムンド教授にはなんの効力もないらしい。


「ええ。

 今日は逃しませんよ。

 部下が、すべての出入り口で張っていますからね」

「つまらん。

 軍人という奴は、本当につまらん」

 ライムンド教授はそう吐き捨てる。


「物理的に逃げ道を塞いだからですか?

 ライムンド教授、見えますか?

 ここの5つの出入り口のすべてに、学生風でない男が立っているでしょう。それが私の部下です。

 ですが……。

 そのうち、2つを固めている部下は教授が観察対象だと知らせていません。

 教授がその気ならば、ゲームを続けることは可能ですよ」

「……なるほど。

 ダコール君だったな。

 付いてきなさい」

「はい」


 ライムンド教授は一番短い列に並び、再びスープと芋だけを手に入れた。

「聞けば答えが得られる。

 そんな甘えた考えが許せなくてな。

 学生にもこうやって試練を与えているんだ」

「学生に、考えるということを放棄させないためですか?」

「その答えで合っていると思うか?」

 ライムンド教授は、質問に質問で返した。

 素直に答えを与えるのが、心底嫌なのかもしれない。


「半分でしょうね。

 残りの半分は、ライムンド教授、あなたが追っかけっこを楽しんでいる」

「つまらん。

 総統から聞かされたとおりの男で、本当につまらん」

「申し訳ありません」

 ダコールはそう言って頭を下げる。


 ライムンド教授はスプーンで芋を潰し、スープに入れると一気に飲み干して席を立つ。至極当然のように、ライムンド教授のことを知らせていない部下がいる出入り口に向かう。

 ダコールもスープを飲み干して、その後を追った。


 ここで、ライムンド教授はダコールを撒けないと諦めたらしい。

「私の研究室は、学生が占拠している。

 隙あらば、人の知識を盗む気なのだ。

 仕方ないので、実験室で話そう」

「ありがとうございます」

 ダコールはそう答えながら、学生はさぞや熱心に勉強するようになるだろうと感じていた。


 情報自体の重要度と、入手時の苦労は本来無関係だ。

 だが、苦労して得た情報は重要なものと、普通は考えてしまう。その辺りの心理を、ライムンド教授はよくわかっているのだ。

 絶妙なヒントで導かれたら、これはもう自発的に勉強するしかないではないか。

 だが、ダコールは学生ではない。そのルールに付き合うつもりはなかった。


 2人はそのまま、空間関係学部の広大な一画に足を運んだ。

 もしかしたら理論空間物理学の方が学問ジャンルの名称としては適切かもしれないが、組織名としては空間理論物理学になってしまう理由がダコールにはわかった。


 痩せこけた身体に掛けた白衣のポケットから鍵を取り出し、ライムンド教授は実験室のドアを開ける。

 中は20台ほどのメインフレームが並び、かすかな唸りをあげていた。そして、空気は冷たく乾いていた。



「ほれ」

 そう声を掛けられて、ダコールは丸椅子に座る。

「ここは飲食禁止でな。

 だから、なにも出さんが、悪く思わんでくれ」

「お心遣い、ありがとうございます」

 ダコールはそう返事をして、持ってきた紙を広げた。


「この図形なのですが……」

「宇宙推進機関研究所に行った教え子から見せられたよ。

 確かにこれは、ワープ時に構成される、亜空間回廊の外側の位相の理論値というより、理論式の展開値を形にしたものと言えるだろうよ」

「これを敵は、旗艦艦内に残していきました。

 どういうことか、ライムンド教授に教えを請えと、総統に言われて参りました」

 ダコールの言葉に、ライムンド教授はふんと鼻を鳴らした。


「まあいい。

 総統は研究費を付けてくれるし、反抗する気もない。

 話そうか」

 そう答えると、ライムンド教授も丸椅子に腰掛けた。


 そして、ずばりと一言、ダコールに言ってのけた。

「魔法だよ、これは」

「は?」

「なんと言ったら良いかな……。

 君に話す以上、あくまでなにかに例えるしかないのだろう?

 ここに式を並べても、わからんのだろうからな」

「はい」

 ダコールとしても、そう答えるしかない。ライムンド教授の言いようは失礼さを感じさせるものではなく、単に事実を並べただけなのだ。



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あとがき

ライムンド教授、外見はダンチェッカー教授から。中身は……、内緒ですw

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