第121話 総統の情報力
他愛もない話をしながらランチを終え、食後のお茶が運ばれてきた。
「ダコール君が、旗艦に持ち込むほどの茶葉ではないがね」
そう言う総統は、相当に謙遜してみせている。実際のところ、ダコールもこれほどのものは飲んだことがない。たぶん、購入金額は桁が違うだろう。
そして、その香りとともに話は本題に入った。
「ダコール君。
再度君に、はさみ座方面軍総作戦司令の任に就いてもらいたいと、私は考えている」
「ありがとうございます。
ですが、私は手酷く負けた人間です。それでも構わないのですか?」
そう聞いてくるダコールの顔を見ながら、総統はティースプーンでティーカップを弾いた。
ちんという澄んだ音に、秘書官が1枚の紙を差し出す。
総統は、それを受け取りながら、返事を返す。
「構わないさ。
これについて説明してくれるならば」
そう言いながら総統が差し出した紙には、旗艦レオノーラのシャワー室の天井に記された紋様の写しが描かれていた。
背筋にひやりとしたものを感じながら、ダコールは素知らぬ体で答える。
「誠に申し訳ありませんが、聞かれても説明はできません。
敵が旗艦に侵入した際に、シャワー室の天井に描いていったものです。
ですが、その意味となると未だわかりかね……」
「ほう。
では、君の後輩のバンレート君と図って、これを消すのではなく、塗りつぶしたのはなぜなのかな?」
総統の追求は容赦がない。
こうなると、茶の香気は思考の邪魔ですらある。
「安上がりだからですよ。
敵の使った塗料がなにかもわかりません。
それを落とすのに下手な溶剤を使えば、艦に損傷を与えるかも知れません。なら、有毒物でもなければ無理に落とすより上塗りしてしまう方が予算を使わなくて済みます。ペンキ代と刷毛代だけで、あとは下士官に任せれば済みますからね」
顔色も変えずに答えるダコールに、総統は笑い出した。
ダコールは、内心で冷や汗をかいている。
この程度の言い訳なら、バンレートとバーで酒を飲みながら考えておいた。
だが、総統がなぜここまで知っているのかはわからないし、笑い出した総統の真意となるとさらにわからない。
ダコールの腹芸が通用する相手ではないのだ。なんせ、持っている情報の量が違いすぎる。
総統は笑顔を崩さぬまま、さらにダコールに聞く。
「1つ聞きたいのだが……。
君が従前の地位を回復した場合、艦隊は新造艦で作り直すことになる。知ってのとおり、旗艦レオノーラ以外生還しなかったからね。
で、君はレオノーラに乗るのかい?
それとも、旗艦も新造して欲しいと言うのかな?」
「レオノーラは不沈艦ですから、これにあやかるのが当然でしょう」
「ということは、この紋様が描かれた艦に乗って、勝てると君は言うのだね?」
「はい」
ダコールの返事に、総統は再び声に出して笑った。
「もう1つだけ聞こう。
この紋様について、ディートハルト君が君に質問したら、君はどこまで答えたのかな?」
「すべて、です。
個人的感情以前に、小官は軍人ですから。
ただ、ディートハルト……、司令は、小官からの引き継ぎを不要とされたものですから」
ダコールが口ごもったのは、ディートハルトが総作戦司令権限を剥奪されたことを知っていたからだ。結果的に、肩書は濁した言い方でごまかすことになった。
「総統たる私の問いには答えないのに、かね?」
これはよくない。
ダコールは内心でさらに焦っていた。
総統の目は笑っていない。そして、すべてを知っている。
おそらくは、宇宙推進機関研究所から総統に情報が上がったのだ。でなければ、総統がすべてを知っていることなどありえない。
内密で聞いたはずのことが、すべて漏れている。となれば、この紋様がワープ時に構成される、亜空間回廊の外側の位相を理論的に描いたものに類似しているということまで知られているのは間違いない。というより、類似していたからこそ、総統まで報告が上がったのだろう。
「当然です。
軍人同士が勝つために行う情報交換は、一国のトップの耳を汚しかねないものもあります。
確実で、ご報告できること、報告せねばならぬことを小官は報告いたします」
「そうか。
上手く逃げたね」
そう言って総統は再び笑った。
ダコールの下着の背は、冷や汗でじっとりと濡れている。ティーカップを持つ指は白く固着し、引き剥がさないことにはソーサーの上にカップを置くこともままならないほどだ。
ダコールは戦場の雄であるとしても、政治的駆け引きは話が別である。
「ヴィース大学の空間理論物理のライムンド教授がね、これを見てなんと言ったか知りたいかい?」
「ぜひ、お教えください」
「教えてもいいけれど、ダコール君は私になにか見返りをくれるのかな?」
「……総統に対する個人的忠誠を」
ようやくダコールはそう口に出す。
「そういうのは、ダコール君の故郷の娘、いやもう、女性と言ったほうが良いな。その女性が、未だに独身だという情報の見返りにして欲しいね」
これで、完全に陥落だった。
総統には、どうやっても敵わないとダコールは思い知らされた。
「改めて総統に忠誠を。
軍の再編に興味がお有りなのも存じ上げております。
そのために、小官をお使いください」
「まぁ、ディートハルト君が相手だったら、こんな話はしなかったよ。
では、ダコール君。君は敵の王をここに連れてこい。
それができたら、軍功この上ない。
君の栄達も、私の目的も、自動的に達成できようというものだ」
「了解いたしました」
さすがに総統は用心深く、ダコールにもそれ以外の答えようがない。
「一命に代えても、などと言わないところが良くわかっているね。君の一命は単なる一命ではなく、将兵の命の上の一命だからね。
だから私だって、ディートハルト君が負けたら良いと思ったことはないし、将兵に死んで欲しいとも思わないし、勝てるはずの戦力の艦隊を付けて送り出したんだ。
とにかく、君には期待をしている。
ライムンド教授には話が通してある。
明日と明後日、ヴィース大学の学食で昼の食事をするそうだよ」
ダコールは無言で立ち上がり、総統に最敬礼を捧げたのだった。
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あとがき
総統から、明確な作戦目的が示されました。
ダコールはこういうのに強いタイプなのです。
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