第110話 宇宙


 恒星間艦隊が移動時に膨大な距離を一瞬で跳躍するワープとは、3次元空間を超える技術である。

 この技術の基本的な概念モデルは、以下のようなものである。


 世界は、ゴムチューブのようなものであり、時間軸で切られた宇宙の様相は、ゴムチューブを横から切った断面みたいなものだ。つまり、ゴムチューブ本体の長さは、時空の流れの長さ、始原ビッグバンから終末ビッグクランチまでに等しい。

 ワープとは、まずは空間穿孔によって、このゴムチューブの外に出る技術なのだ。


 ゴムチューブの外に出たあとは、戻らねばならない。だが、同じ場所に戻らねばならない必然はない。別の位置からゴムチューブ内に戻れば、当然、空間的には大きくジャンプしたことになる。

 空間跳躍は一旦この空間から出てしまうので、当然のように特殊相対性理論の縛りを受けることはない。

 なお、この経路を亜空間回廊と呼び習わされているが、回廊というべき通路があるわけではない。本質的には、空間、距離という概念すらないのだ。


 この理論に拠れば、ワープとは他空間を使用した跳躍であると同時に、時間軸においても跳躍が可能だと告げている。

 ゴムチューブに対して横方向に出入りすれば空間跳躍だが、縦、つまり長さ方向に出入りすればタイムマシンということになるからだ。 

 だが、未だにその技術開発については、未着手である。


 時間にも慣性の法則が働くのか、ゴムチューブ外に出てもゴムチューブの中にいるときと同じように縦方向に移動が続くのだ。なので、なにもしなくてもワープによる時間軸の移動は起きない。


 とはいえ、ゴムチューブからの出入りの技術自体は確立しているのだから、あくまで再度チューブ内に戻るときのX軸Y軸Z軸に加え、t軸の座標設定法の開発で済むのではないかとされいる。ワープ時のチューブ外での移動に、エネルギーは必要ない。従前の3次元空間の移動とは、本質的に異なっているからである。



 この理論は実用化され、ワープが可能になるとダイレクトにもう1つの命題を生んだ。「ゴムチューブの外側の世界とは、どのように在るものなのか?」ということだ。

 つまり、宇宙の外である。

 もっても、これはビッグバン宇宙の果てとは異なる概念から生まれた「外」の概念ではあるが、結果的に事象として一致するはずである。だが、未だ証明されてはいない。


 その「外」でも時間は経つのか、他にもゴムチューブは存在するのか、他のゴムチューブにも行けるのか、そもそもそこは空間なのか、物質と呼べるものは存在するのか等、果てしなく生まれる疑問は未だ手つかずである。



 なお、時間跳躍した場合の因果律の問題などは、「お話」としては数多く有っても、厳密な思考実験となると未だ行われていないのが実情である。

 とはいえ、このフィクションとしての「お話」が科学に与えた影響は大きく、そもそものゴムチューブ仮説自体も出自をたどればこのような「お話」であった。

 ただ、「お話」としても思考実験としてそこそこ完成されていたため、その単語は専門用語テクニカルタームとなったのだ。


 ビッグバン以降からビッグクランチまでの宇宙の時間の流れを、筒のような図で表示するのは、昔から概念モデルとしては一般的な方法であった。

 そして、さまざまな事象の観察から、歴史の大きな流れは決まっていて、個々の努力によってもそれは変わらない。変えようとしても復元されてしまう。だが、個々の努力によって、その周囲の運命を変えることはできるということが判明してきた。

 これはある意味、当然の帰結である。

 始原ビッグバンから終末ビッグクランチという流れは変えようがないのだから。


 時間の流れは細かな変更は常にされていても、おのずからの弾力による復元力で大筋の流れを変えることはない。すなわち筒の内部でいかに流れの乱流が起きても、終末ビッグクランチに向かうチューブ本体の向きは変わらない。

 その復元力、弾力性から、この筒がゴムチューブと言い習わされ一般化したのは、どこか本質を突いていたからなのだろう



 これは母星のみならず、侵攻した各惑星の歴史をも精査することで、状況証拠が多数見つかり、確度の高い仮説となっている。


 例を挙げるならば、生命の発生であり、大きな天災的事件である。

 生命は同時多発的に発生し、宇宙は生命に満ちる。どこの星で、というのは、必ずしも特定されない。

 また、巨大地震を根絶する方法は、未だ発明されていない。

 だが、それによって死ぬ者と助かる者は、個々人の対応によって変わる。だが、大枠での死者数は誤差の範囲でしか変動しない。


 またさらに小さな例を挙げれば、戦争を起こした凶悪な独裁者を産まれてすぐに排除したとしても、その戦争は避けられない。

 その独裁者は、時代の要請によって生まれたのだ。だから、第2第3の独裁者のスペアが同時代に存在し、細かな差異はあっても結果として戦争は起きてしまう。


 どれほどの歴史的傑物であっても、詳細に調べればそのスペアたる人物がいなかった例はないし、それどころか歴史的傑物といわれた人物自体がすでにスペアに相当していたのではないかという例すら見られる。

 本命とされた人物が暗殺されたり、事故で亡くなったりしても、その人物が作った歴史の流れが変わることはないのだ。



 異なる惑星での、時代を変えた分岐点と思われるさまざまな歴史的事件への考察が数多く積み上げられるにつれ、このような時間の流れという牢獄から逃げることできないのではないかという深刻な疑問が提示されることになった。

 それは、時空間科学からだけでなく、歴史学、哲学などの多数の分野で同時に検討されることになった。


 だが、喧々諤々の議論は続いていても、未だその結論は出ていない。

 そして今や、もしかしたら生物の脳ではその本質を理解することは不可能ではないのかという、深刻な疑問まで提示されるに至っている。

 

 

 そのような中で、数式でしか表すことができずにいたゴムチューブの外のありさまがようやく図示されるようになり、それが敵の手で艦内に残されているとなれば、ダコールとバンレートが言葉を失いつつも興奮するのは当然のことであった。




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あとがき

ようやくここまで来ました。

書いたものすべてがここに行き着くのです……

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