第109話 紋様


  副司令兼艦隊旗艦艦長のバンレートの、旗艦についての報告は更に続いた。

「さらにですが……。

 敵は可怪しなものを残していきました。

 これをご覧ください」

 バンレートは、情報端末のディスプレイをダコールに見せた。


 それを見て、ダコールは落ち着かない気分になった。

 同心円と多数の三角形を組み合わせた紋様は、いつまでも見ていたいと思わせる吸引力があった。

 ゲレオン教授がいてくれたら、この紋様に対する知識も教えてくれたかもしれない。他の星にも類似する紋様があったら、必ず何らかの知見があったはずなのだ。


 だが……。

 不思議なことにダコールは、見れば見るほどこれをどこかで見たことがあるような気がして仕方なかった。


「なに一つ残さずきれいに撤収したのに、これだけ残したというのか?」

「はい」

「これは敵からの、こちらに対するメッセージなのか?

 こちらから円周率を送ったように?」

 ダコールの問いに、バンレートは首を横に振った。


「いや、それは考え難いです。

 この紋様ですが、どこに描かれていたと思いますか?」

「わからない」

 ダコールはそう答えた。

 このような際なのに、シンプルな報告で済ませないあたり、よほどに変わった場所に描かれていたに違いない。


「シャワーブースの天井です」

「なんでまた、そんなところに……」

「わかりません。

 これもまた……。本当に、わからないことばかりです。

 ただ、こちらに対するメッセージだとしたら、わざわざそのような場所に描く必然性がありません。もっと、目に付くところがいくらでもあります」

「それはそうだ。

 だが……」

 ダコールは考え込む。

 とはいえ、短い時間だった。


「敵の兵は、シャワーを知らないのではないか?

 水圧の確保された水道、さらにはボイラーがなければシャワーは実現させられない。それまでは風呂は贅沢品で、浴場で溜めた湯に入るのが当たり前だ。

 となれば、シャワーブースのことを、特殊用途の小分けされた耐水性倉庫と考えるのではないか?」

「その考察自体を認めるのはやぶさかではありませんが、耐水性倉庫ですか?」

 バンレートには、ダコールの言いたいことが良くわからない。


「軍施設であれば、必要だろう?

 まして、剣で戦うような軍には……」

 そう言われて、ようやくバンレートも思い至る。

 死体安置所モルグだ。

 小分けされた区画と言い、排水口と言い、耐水性の壁や床素材と言い、なのに無防備な各区画間の壁の薄さと言い、言われてみればそれ以外の空間とは考えられない。


 シャワーブースは狭く、遺体を寝かせて置けはしないが、敵にとっての戦争は斬殺が当たり前である。そういう戦争での戦死者ともなれば、流れ出続ける体液の方が問題視されるのではないか。

 となれば、敵の兵の思考の中で、矛盾は生じない。


「では、なぜ死体安置所モルグの天井なんぞに紋様を?」

 バンレートの問いに、ダコールは明確に答える。

死体安置所モルグの天井なぞ、普通は誰も見ないからな。

 そこでは誰もが目を伏せる。それに1度死体をしまってしまったら、その後は人がこまめに出入りする場所でもない。

 つまり彼らは、描いたこの文様を隠しているつもりなんだ」

「隠す?

 なぜ、敵の陣地に、絵を描いて隠すんでしょう?」

 そう聞きながら、バンレートは思う。

 敗軍の将になってしまったが、ダコールは運が悪かったのだ。これだけの緻密な考察ができる司令が負けるというのは、それ以外の何ものでもない。


「絵ではないからだ。

 これは、なんらかの機能を持っていると考えるべきだ」

「……なるほど」

 バンレートは圧倒されていた。

 自分では、どうやってもダコールに洞察力では太刀打ちできないと、素直に思わざるをえない。


「となると……。

 この図、母星の宇宙推進機関研究所に送れ。

 これは、ひょっとすると、ひょっとするぞ」

 突然のダコールの急激な興奮の理由が、バンレートにはわからない。

 きっと、なにかを思いつくか思い出すかして、この紋様に対する仮説を見つけ出したのだ。だからこそ、宇宙推進機関研究所という具体的な組織名がでてきたのだ。


「どういうことですか?」

 バンレートは理解できないままに聞く。

「この図、本当に見たことがないか?

 敵が描いたものと思うな。そのまま見ろ」

「……」

 改めて天井に描かれた図を見たバンレートの表情が、困惑から理解にいたるまで、そう時間はかからなかった。


「これは、ワープ時に構成される、亜空間回廊の外側の位相を理論的に描いたものでは?

 昨年、宇宙推進機関研究所とヴィース大学の共同研究チームが、次元方程式を元にコンピュータに描かしたと、論文になってましたね」

「そうだ。

 そのとおりだ」

「……」

 そう答えられたバンレートは驚きのあまり、声も出ない。

 なんで、そのようなものを中世の生活をしているような敵が描いていくのだろう? そして、描いて行けるのだろう?


 そもそも、ダコールたちの世界にしても、ワープ理論はまだ完成しきっていない。

 空間跳躍は、人間のでは推し量れない世界である。

 当然のことながら、理論が先行して組み立てられ。それに沿って実用化がされた。実用化試験も、無人装置とはいえ、ぶっつけ本番での稼働だった。

 0.5光年先にワープし、自爆した装置の光芒を半年後に観測したときの熱狂は、それこそ凄まじいものだったと聞く。


 だが、実用化のあとで理論通りにすべてが検証されたわけではない。

 実用上の問題がないまでに調整されたから、そのまま使い始めてしまっているだけだ。

 得てして発明など、そのようなものなのである。


 日常的に任務でワープを繰り返している高級軍人であるダコールやバンレートが、任務や自らの身の安全に直結するワープ理論に無関心なわけがない。その辺りの事情については、良く理解している。だから、その手の論文も読むし、軍も軍人向けの定期刊行物で特集したりもする。


 だからこそ、この図を覚えていたのだ。



------------------------------------------------------------------------------------------------


あとがき

ワープとかって、低エネルギーでもできませんかねぇ……w

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る