第96話 惑乱


「そのようなこと、決して許されない!」

 ゲレオン准教授は、立ち上がって叫んだ。

 総作戦司令ダコールの攻撃命令は、軍人の先走りとしか思えない。

 これほど特異な文明を、宇宙から消し去っていいわけがないではないか!


 学会に報告し、新たな知見を得て、この文明の謎をきちんと解かねばならない。ゼルンバス王国は、なんとしても守り抜かねばならない。『王への忠誠は貫かれなくてはならない』

 なのに、このような暴挙、許されて良いはずがない。なんとしても、防がねばならない。『そのためには、どんな行動をとってもやむをえない』

 その思いに身を灼かれ、ゲレオン准教授はダコールに掴みかかっていた。手近に武器があったら、躊躇いなく使用していただろう。

 だが、次の瞬間、准教授は背中を襲った衝撃に、なにもわからないまま膝から崩れ落ちていた。



「ギード軍医。

 徹底した検査を。

 おそらく、たちの悪い暗示にも掛かっているだろうし、なんらかの心理的フラグが立てられているかもしれない。なんらかの行動に直結する、キーワードの刷り込みも考えられる。

 後遺症が残っても仕方ないが、間違っても死なすな」

 ダコールは、襟を整えながら言う。


 ギード軍医は、錯乱者保定用のスタンガンを下ろした。

 艦隊戦闘の際、恐怖のあまりに艦内から宇宙空間に生身で飛び出そうという、錯乱した新兵を取り押さえるための道具である。


「了解。

 ただ、この状況を見るに、表層心理以上に深層深くに干渉されていますね。となると、これは相当に複雑なテクニックが使われているでしょう。

 当然、然るべき薬剤の使用が必要かと思われます。

 医療倫理委員会の開催が必要となりますが……」

「軍機だ。

 医療倫理委員会の開催は許可できない。緊急避難によるトップダウンということで、書類にも残さず対処して欲しい」

 無理難題である。

 だが、その意味はギード軍医とてわかる。


 医療倫理委員会を開催し、諮問した回答が返ってくるまでに30日は掛かる。

 とてもではないが、そんな悠長なことはしていられない。戦闘中でも書類の提出を求めるのが現代の軍というものではあるが、30日はとても待てない。


「そう言えば、先ほどの空間戦で、補給艦が1隻落とされていましたな」

「そんなこともあったな。

 3RS(Resource recycling and resynthesis system)で作れないものは、通常、補給艦にしかないからな」

 つまり、現保有量の薬剤量と、使用データに齟齬があっても仕方がない。

 ダコールはそう言いながら、ゲレオン准教授を痛ましげに見やった。



 ゲレオン准教授の状態はよくなかった。

 この艦に戻ってからも、その目は快活さを失い、おどおどした恐怖を浮かべていた。この状態で敵の元から帰ってきた人間を、ギード軍医が無条件に信用しているはずがない。もちろんそれは、総作戦司令ダコールにしても、副司令兼艦隊旗艦艦長バンレートにしても同じことである。


「先ほどの生命が見える話も含め、ゲレオン准教授がなにを見てきたのか、いや、見せられてきたのか、どのような処置がされてきたのか、深層心理に刷り込まれた痕跡を確認して欲しい。そこからも、敵の技術が掴めるはずだ。

 ゲレオン准教授のためでもある。

 1日でできるか?」

「半日で。

 ですが、それ以上の詳細は聞かないでいただきたい」

 ギード軍医は、両手をひらひらと振りながら言う。


 さらに質問を重ねたら、その手で耳を塞ぐつもりに違いない。危ない薬の使用方法など、素人相手に語って聞かせることではないのだ。たとえ相手が上官でも、である。

「わかった。

 私は医療のことはわからないから、聞いても仕方ないな」

 このあたりは、上級士官同士の阿吽の呼吸であった。

 

「パウル、君は軍医に協力を」

 そう命令を残して、ダコールは立ち上がった。

 バンレートも後に従って立ち上がる。

 ギード軍医が情報の専門家ではないということと、ゲレオン准教授の体格の良さから、暴れ出したらギード軍医では抑えきれない可能性があるのを考慮したのだ。

 

 敵攻撃については、嘘ではない。準備に駆け回ったあと、またここに戻ってくることになるだろう。

 それまでに、ゲレオン准教授の心理と記憶は丸裸になっている。



 − − − − − − − − − − − − − − −


 

「空飛ぶからくりは、各国首都の上空に達しております」

 ゼルンバスの玉座の間では、王への報告がされた。

「召喚して、こちらのものといたしますか?」

 魔法省の長、フォスティーヌが問うのに、王は首を横に振った。


「我々が奪取したことを敵は疑わない。

 それほどまでに、敵から見て確実なことはするべきではない。

 我々が唯一敵に対して有利な点は、敵の知らぬ魔術があるということ。そして、敵の期待どおりには動かぬことぞ。

 先手は常に取る。取られたら終いよ」

「御意」

 フォスティーヌはそう頭を下げた。


「だが……。

 目障りなのは事実。

 大将軍フィリベールよ、なにか良い思案はないか?」

「……今は、放っておくのがよろしかろうかと」

「その『今は』とはどういう意味か?」

 フィリベールは、思い切り人の悪い顔になった。だが、下品な表情にならないのはさすがと言うべきであろう。


「この星を巡る敵のからくりによって、我らが観察されているのは皆様よっくご存知のこと。

 フォスティーヌ殿の尽力によって、敵の星を巡るからくりは嘘を見させられております。

 ですが、敵も馬鹿ではありますまい。そろそろ、己が見させられているものに欺瞞があることに気がつくはず。

 そこで……」

「星を巡るからくりと各国首都の上空のからくり、違う情報を流してやれば、どれが本当でどれが嘘か、混乱を呼べるというものだな」

「もちろん、両方嘘、ということもありえましょう」

「面白い」

 王も、相当に人の悪い顔になっている。


「では、各国に対し、その旨を伝えておきまする。

 撃墜には及ばぬ、と」

 フォスティーヌの言葉に、王は笑って頷いていた。



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あとがき

軍事医療とか軍事医療倫理ってジャンル、大変そうですよね。

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