第87話 触れられぬ知識

 

「言うこと為すこと、お前たちの行動と精神はすべてが無意味というものだな」

 魔法省の長、フォスティーヌは、自らの想像できうる限りもっとも冷淡な声で、そう天からの敵の使者に伝えた。


「自失して、なにも考えられなくなっております」

 次にフォスティーヌは、玉座の間に向けて今度は自らの声帯を震わせて報告する。

 2つの声の取り違いなどという初歩的なミスをしたら、それだけでこの惑星は滅びてしまう。自分自身で、この2者の使い分けを混乱させてしまうことが恐ろしい。念には念を入れて用心しなければならない。


「なにか、あやつに問うておくべきことはあるか?」

 ゼルンバスの王の問いに、各臣下は首を横に振る。

 敵の規模も聞いた。

 どこから来たかも聞いた。

 その力の依る先も、限界も知った。

 今はこれ以上聞いても、尻尾が出るだけだ。踏み込みすぎて良いことは1つもない。

 そろそろ潮時だという判断は、この場にいる者、皆で一致していた。


「では、仕上げだ。

 フォスティーヌ、こちら側に心を奪え」

 王の命令に、フォスティーヌは無言で頷いた。

 すでに、人質は暗い部屋で感覚を奪われている。そして、フォスティーヌの干渉で、自らの心の動きすら把握できていない。環境は整っている。

 心とは、条件次第で、あまりにも脆いものなのだ。



 − − − − − − − − − − − − − − − − −


「とはいえ……」

 威厳に満ち、冷酷で、恐怖そのものの声が言うのに、ゲレオン准教授はつと頭を上げた。

 救いなど諦めているはずなのに、期待してしまうのは自らの浅ましさを露呈するようなものだ。なのに、身体は動いてしまった。


「お前たちの行動と精神がすべてが愚かしく無意味だとしても、そこへ向かって走るしかないのは理解できなくはない。

 本来死ぬしかない運命だが、選ばせてやろう。選択肢は2つだ。

 このまま死ぬのが1つ。

 これが一番楽だ。これを選べば、お前は幸せなままにすべてが終わる。

 次は、我々の知を、1つだけ与えられて生きることだ。

 これは辛いだろう。お前がこちらを選んだら、我々は興味深くお前を見守ろう。お前が結果として自死することになれば、我々も出来損ないの種族に対し、より良い報復ができたというものよ。

 さぁ、どちらを選ぶか?」

 耳元で、冷酷な声が選択を迫ってきた。


 だが、ゲレオン准教授に迷いはなかった。

 自らを知に生きる者と決めて、その人生をひたすらに歩んできたのだ。その今までの人生に照らし、無知のまま死ぬのはあまりに情けなかった。いくら知が広大で、その海の辺で遊んでいるようであっても、である。

 いや、だからこそ、普通のものよりも珍しい貝殻を手に入れられる機会があったら、決して逃せはしない。


 知ることがどれほど辛くても、無知の辛さに比べれば軽い。

 人として生まれた以上、なにを言われようとも、知ることこそが重要なのだ。

 まして、その知を持ち帰る可能性があるのであれば、自分には解けぬ問題でも学会などの集団知でなんとかできるはずだ。

 たとえ、100年掛けても、である。

 知を得るということは、学問にとどまらない。人という種のアイデンティティなのだ。


 この思いは、ゲレオン准教授に崇高な使命感と限りない高揚感を与えていた。

 自分の命が助かるから選ぶなどという、その発想自体が見事にゲレオン准教授から抜け落ちている。

 それが巧妙に誘導された感情だということに、ゲレオン准教授自身は気がつけていない。


「知らねば死ねない。

 知らぬままの死を、私は断固拒否する」

 ゲレオン准教授は頭を高くあげ、言い放った。


 回答までは間があった。だが、その声は、ゲレオン准教授の望みを叶える意を示した。

「よかろう。

 では教えてやろう。

 お前たちの乗ってきた金属の箱は、上下があるな?」

「重力のことだな?

 ある」

 ゲレオン准教授は高揚を抑えて答える。

 重力について話されるとは、思っても見なかった。やはり、この惑星の住人は、科学力を隠し持っていたのだ。


「その開発には苦労しただろう?」

「専門ではないが、統一場理論を構築した後に成立した400年の近代科学史のうち、300年を使って可能になったはずだ。

 困難を極めたと聞いている」

「お前自身、なぜこれが困難を極めたかはわかっているのか?」

「……」

 どのような答えを求められているのかわからない。それが、ゲレオン准教授の口を噤ませた。

 だが、威厳に満ちた声は、ゲレオン准教授の回答など求めてはいなかったらしく、そのまま言葉を続ける。


「それは、見えないからだ。

 そして、その重力を遮断する、自然界の産物が何一つないからだ」

「それはわかる」

「同じように、お前たちの身体には重大な欠陥がある。

 お前たちには、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚しかない。だから、我々の知に触ることはできぬ。

 だからお前たちは、重力は見ることができず、生命そのものも見ることができず、この世界に重なって存在する知の根源に行き着くことができない」

 ゲレオン准教授は、打ちのめされた気持ちになっていた。

 これでは、なにも得ていないに等しい。

 いや、得ているのだろうが、掴みどころがどこにもない。


「……それが答えなのか?」

「そうだ。

 お前たちは、音を聞くからくり、遠くのものを探るからくりとさまざまなものを作ってきた。だが、それらはすべてお前たちの五感を延長し、効率的に力を使うように発展してきたものだ。

 だが、その五感に捉えられないものをどう測り、どう応用する?

 お前たちは、統一場理論を構築したという。

 だが、それはあまりに不完全なものだ。そして、その不完全さに、お前たちは気がつくことはないのだ」

 ゲレオン准教授は再び額を床に付け、肩を落としていた。

 すべてはこの声に言われたとおりだ。

 今まで感知できなかったものを感知するセンサーなど、作れるはずもない。この知への扉は決して開かれない。


 なのに、存在だけは思い知らされてしまった。



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あとがき

磁石が存在しなかったら、磁力の発見は電気の発見以降までできなかったでしょうし、モーターや発電機の発明なんてさらに……。

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