第88話 帰還


「そうはいっても、すべてのエネルギーは最終的に熱になる。

 この惑星の街も、他の星よりも熱を出している。

 これは、その我々には認識できない力も、最後には熱になっているということではないのか?

 つまり、エントロピー増大則からは逃れられないのだ」

 せめてもの、ゲレオン准教授の抵抗である。


 だが、威厳に満ち、冷酷で、恐怖そのものの声はなんら動揺しなかった。

「……薪を燃やし、暖を取る。

 お前の話は、暖から薪を知ることができるということなのか?」

 またもや、粉砕と言って良いほどの論破である。


「せめて……。

 せめて、なにか……」

「もう、終わりだ。

 お前たちは認識できないところからの攻撃を受け、鏖殺なみごろしになる。

 文字通り、1人として生きて帰さん。

 いや、それでは約束に反するか。

 お前の乗る金属の箱だけは、手加減してやる。

 沈まぬだけだろうが、それ以上は知らぬことよ」

 航行能力を失った艦に取り残されたら、文字どおりそれは棺桶である。しかも、本星から救助が来る前に、ここの恒星に墜落して火葬されるサービス付きだ。

 だが、それに対してゲレオン准教授はなにも言えない。


 冷酷なな声は続けた。

「お前らの言う、艦隊なるものに乗っている人間をすべて殺せば、こちらの10万人に釣り合う痛み分けとなろう。

 さらに攻めてくるなら全滅させるが、それはもはや自業自得であろう。

 では、お前は約束通り開放してやるから、さっさと帰るがいい。こちらとしても、お前がここにいるのは目障りだ」

「待ってくれ。

 頼むからもう1つだけ。

 私は戻ったら、すぐに艦隊に本星に帰るよう進言する。

 この星へはもう来ない。

 だから、それまでの間、待ってもらえないか?

 私たちが生きて帰り、説得すれば次派の艦隊は派遣されない可能性がある。しかし、私たちを皆殺しにしたら、次派の艦隊はかならず来てしまう」

 必死である。

 短い間とはいえ、顔を合わせて話した軍人たちが全員死ぬのは耐えられない。


「なるほど。

 1日待ってやるからその間に、などと言うと思ったか?

 お前たちはさまざまな兵器を持っていたな。猶予を与えたからと、その間にそれらの兵器で飽和攻撃を掛けるなどという、愚かしいことを考えない保証はないではないか。

 我々としては、それらを撃墜することは容易いが、我が母星の周りにゴミを撒き散らされるなど、冗談にもならぬ。

 使者としての務めを果たそうとするはよいが、無駄なことよ」

 なぜ、冷酷な声は、ここまで話してくれるのだろう?

 交渉の余地があるのではないか?

 ゲレオン准教授は、一筋の希望に縋ることにした。


「そのようなことはさせません。

 なんとしても、司令を説き伏せ退却を……」

「一使者に過ぎぬお前が、中枢の策に口を出せるのか?

 大言壮語も大概にせよ」

「そ、それはそうですが、ヴィース大学の学長から伝手をたどり、統幕の上の政治家に、いや、総統に口を利いてでも……」

「お前は、それを本気で言っているのか?

 我々に、お前のそれを、本気で期待しろと言っているのか?

 殺せる者を殺す時に殺さないで後悔する例は、歴史上あまりに数多い。

 お前たちの歴史においても、そこに違いはないはず」

「約束など要りません。

 なんとしても説き伏せますが、そちらの都合のままに攻撃を始めていただいて結構です。間に合わなくても、恨みはいたしません」

「お前が勝手にやることであれば、こちらは口を出さぬ。

 それだけのことだ」

「ありがとうございます。

 では……」


 とたんにドアが開き、部屋の中に光が射した。

 ここでこうしていた時間が長かったのか、短かったのか、ゲレオン准教授にはわからない。

 ただ、それでも幾許かの希望は得たのだ。


 先ほどの長剣を装備した兵たちが、ゲレオン准教授を縛り上げていたロープを解く。

 そして、そのまま中庭に連れてこられた。

 着陸艇は先ほどとまったく変わらずそこにある。

 だが、これを降りたときと今とでは、自分が別人になってしまったような気がした。あのときの自分は、なんと無邪気だったのだろう。



 着陸艇によじ登り、コックピットに座る。

 途端に各ディスプレイが点灯し、通信も復活する。

 着陸艇は、自力での大気圏離脱はできない。

 対流圏ぎりぎりまで飛行し、スカイフックで回収してもらわねばならない。着陸艇には重力制御の設備を積める余裕はないし、化学燃料で大気圏離脱するとなれば、機体より燃料タンクの方が大きくなってしまう。なので、そもそも着陸艇は、宇宙空間に戻る常用運用は想定されていない。

 スカイフックは、そのあたりの妥協の方法なのだ。


「開放されたのか?

 怪我はないか?

 大丈夫か?」

 立て続けに、総作戦司令ダコールの声が耳元に響く。

 心配させてしまった。そう思って、ゲレオン准教授は戻れて安堵するより、忸怩たるものを覚えていた。


「怪我1つしていません。

 敵の首魁と思われる相手と話しました。戻り次第報告します。

 一刻を争うので、検疫、検査と並行して報告を聞いていただけますか?」

 ゲレオン准教授の返答に、総作戦司令ダコールは一瞬黙り込んだ。

 数瞬のあと「了解した」と返答され、あとは饒舌なAIが引き取って帰還時の手順の説明を始めた。

 スカイフックとのドッキングはAIがしてくれるとはいえ、その時の衝撃は大きい。死亡事故の危険性もある。だが、そのとくとくと続く説明を聞いているうちに、ゲレオン准教授は冷静さを失った。


 AIの説明を遮って、帰還の全行程をAIに任せてしまう。心理的に、説明を聞いている余裕はなかったのだ。

 安堵は考え、感じる余裕を生んだ。

 獣が常に周囲をうろついている危険なキャンプの晩に、テントの中で感じる心が冷えるような孤独感と同じものが、ゲレオン准教授を襲っていた。独りのコックピット内から見る着陸艇の内壁は、まるでテントの布の如きの頼りなさだったのだ。

 もう、この感覚が完全に抜けることは、一生ないだろう。

 この星の敵は、いつも自分を見ている。その視線から逃れることはできない。


 情けなくも涙が込み上げてきて、ゲレオン准教授は嗚咽した。



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あとがき

可哀想に。

正確に心理状態をモニターされながら脅されたら、こうにもなりますよね……

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