第76話 デビュタント・ボール(初めての舞踏会)


 ようやく、魔素の吸集・反射炉が毎日フル稼働している恩恵がどこの国でも行き渡りつつあった。魔素も貯まり、病人の治療や産業にも平時と同じように魔素が供給され、安定して魔術が使われるようになっていた。


 魔素の吸集・反射炉が持っている機能は、その壁の文様によって維持されている。

 同じように、魔素の簡単な力学変換であれば、文様によって自動化が可能だ。もっとも、一番最初は魔術師に設定してもらう必要があるのだが、一度術式が成立してしまえば魔素の供給とその消費は、魔術師の存在は必ずしも必要ではないのだ。

 だが、いくら自動化されていても、魔素の供給がされなければ無用の長物となってしまう。今の魔素が供給されている状況は、まさに「一息つけた」と言うに相応しい。


 各国で魔素を貯めたキャップも融通しあい、魔術師の数と発動する魔術の消費と照らしあわさせた適正な数が再配置された。このあたりは、今は戦時であるという判断からだ。

 本来であれば、その国の産業構造も考慮されるべきであったが、それはキャップの再配置に考慮されなかった。

 ただ、各国で民間まで含めた金の徴発も進み、キャップの生産も可能な限り進められていた。その新たなキャップについては自国に止め置けるので、そこで産業用の魔素の供給はされるようになっていたのだ。


 そのおかげで、経済はなんとか復旧した。

 それどころか、また魔素が使えなくなる日々が来るのはわかり切っていたことから、「今のうちに」と前倒しの生産が始められており、好景気が生み出されていた。

 さらには各王室、貴族領では魔素のみでなく、インフラの整備や食料などの備蓄が進み、戦時下体制が完成しつつある。


 一方で政治的には、ゼルンバスの魔法省の力によって敵の侵攻を撃退したことは明らかであった。

 さらに、北の隣国セビエの第二の都市ネイベンに対する影響力の発動とキャップの貸与、西の最果ての国コリタスの第二の都市バーニアへの攻撃を回避せしめたことから、ゼルンバスの王の功績は「この上なく大」とされ、他国の王もその判断を尊重するようになっていた。


 魔法省の国家公認魔術師たちも十分な休養を経て体力を取り戻し、体内の魔素も回復していた。

 天からの敵に対し、「いつでも来い」という高揚した雰囲気が国中に漂うのもむべなるかな、である。

 ただ、そんな中でもゼルンバスの王とその臣下たちは浮かれる余裕など、とてもなかった。そもそも、瀕死の状態まで追い込まれたフォスティーヌに、敵に対する余裕の感情など持ちようはずもない。

 玉座の間では、来る日々に向け、ぎりぎりの努力が重ねられていた。




 今も、天眼通の術のアベルは天を見続けている。

 魔法省の魔素の吸集・反射炉では、キャップに充填するべき魔素の一部をアベルに与え、決して体内の魔素を使わせないようにしていた。

 未だにアベルは、一日とて休日を得ることはできていない。とはいえ、弟子のクロヴィスと疲れる前に交代できることもあり、その血色は悪くない。


「交代に来ました」

「おう。

 助かる。

 で、あの話は本当なのか?」

「ええ」

 師の問いにクロヴィスは答える。


 この非常時にという非難はある。

 だが、ゼルンバスの王は、デビュタント・ボール初めての舞踏会を開催しようとしている。

 その噂で、王都は持ち切りになっている。


 デビュタント・ボールは、単なる舞踏会ではない。成人式という意味合いが強い。18歳の者の出席が大部分を占めるが、病気等で遅れたもの、逆に家業の関係から1年早める者もいる。学院まで進む者は稀であるから、卒業年に合わせて家業を継ぐ者が入れば、そこで婚姻する者もそれなりにいる。その場合、子供が子供を産むという形を避けるために、1年早く成人させてしまうのである。


 いくさが始まれば、そのような祝い事などとてもできない。その一方で、ゼルンバスの第二の都市、ニウアでは10万人もの人間が一瞬で灰になった。その者たちは、いきなり未来を奪われたのである。

 そのような中で、何年分かまとめてしまうにせよ、せめて大人になる者への区切りだけは付けてやりたいというのが、ゼルンバスの王の意思である。


 だが、これには当然別の思惑もある。

 非常時とはいえ、子供を軍役に就かせるわけにはいかない。その枷を、16歳から18歳の子供について、取り払うことが可能になるのだ。

 これは、ゼルンバス王の思惑に留まらない。どこの国の王も考えることである。


 その一方で、16歳、17歳の者からの申し入れも、相当数に達していた。「子供扱いせずに、戦わせて欲しい」という彼らが、10万人の犠牲を引き合いに出せば、王としても帰れとは言えない。民の守護は王の務めであるからだ。

 お前たちは守られる方だという説得も、現に前倒しで成人するものがいる中では力を持たない。

 そして応報は、残された者の義務である。そして、その機会すら与えられずに座して殺されるのは嫌だという声は、陳情に留まらず、王都でのデモにまで発展していた。


 彼らの親たちも、それを止めはしない。

 自宅にいれば座して焼き殺されるかもしれないが、王のもとで兵となっていれば助かるかもしれないと判断しているのだ。

 特に今回の戦は、直接、敵と顔を合わせて干戈を交えるようなものではない。

 魔術師の力を中心に据えた、見えぬ戦いである。なら、「逃げろ」という判断が伝わりやすいところにこそ、息子を置くべきという親の判断は極めて正しい。



 その結果、後世で非難されるかもしれぬことはわかっていながら、ゼルンバスの王はデビュタント・ボールの開催を決断したのである。

「そもそも、余が非難される後世が残ることが重要であろうよ。

 滅びてしまえば非難もされぬが、それでは意味がなかろう」

 との声に、大臣ヴァレールと内務省のマリエットは深く礼を持って応えたのでである。


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あとがき

学徒出陣ではありません。

この世界の学院生は、極めて希少価値が高いのです。

中等、高等教育までが主流の世界なのです。

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