第65話 円周率を問う意味


「よくはわからぬが、つまり、天からの敵はその円の直径と円周の比を10桁まで求めていて、その数字を送ってきたのだな。

 それから、あー、四角のそのなにやらという数字と、訳のわからないものをさらに送ってきた、と?

 例えば、そのその円の直径と円周の比を10桁まで求めるということに、どのような意味があるのか?」

 ゼルンバスの王の下問に、からくり師は満足に答えられなかった。


 玉座の間には、王の臣下たちが揃っている。

 天からの敵の意図を推測するに、魔術師たちだけでは役者が足らない。「政治」は、その道の玄人が必要なのだ。


「では、からくりを作るにあたり、円の直径と円周の比の10桁目が必要なときはあるか?」

「我がからくりの師であれば、さらに卓見もありましょうが、私にはなんとも……。

 普段は、3.1でよく、よほどのときは3.14を使いまするが、それで困ったことは一度とてなく……」

 そう答えるからくり師の顔は、露骨に「自分にはわからないから、もう聞かないでくれ」と訴えている。

「……わからぬ」

 ゼルンバスの王は、その言葉とともに顎の下に手をやったまま固まった。


「敵から、なんらかの意志を持って送られたものに相違はあるまい。

 だが、その意図すらわからぬ。

 円と直径の比になんの意味がある?

 真円など、この世に存在しないではないか。

 この星ですら、楕円の形で楕円に回っているのが天眼通の術で見えておるのだろう?」

「御意。

 この惑星の大きさも楕円に回っている周の距離も、みなわかっております」

 クロヴィスもそう答えるしかない。

 その気になれば、自分が今このときでも見ることができる事実で、それ以上でもそれ以下でもない。


「10桁まで求めているということだったが、それは求めることができたことを我々に誇っているのか?

 天からの敵には、そのような風習があるのか?」

「我々に、11桁目を示せという意味かもしれませぬ」

 緊急に呼び出された司法省ルイゾンが、思いついたように口にする。


「この桁数の求め合いで、戦いの勝敗を決しようとてか?

 なら、最初からそうすればよいではないか。

 ニウアで10万人も焼き殺しておきながら、なにを言っているのだ?」

 王の重ねられた問いに、誰も答えられない。


「それとも、10万人の生命に匹敵するほど11桁目を出すのは難しいことなのか?」

 ようやく、王は1つの仮説を立てる。


「円に内接する多角形、円に外接する多角形、それぞれから求められますが、それなりに大変かと。それでも、とてもとても10万人の生命には匹敵しませぬ」

「では、なんだというのだ……。

 さっぱりわからぬ」

 王は、仮説を一瞬で否定され、呻いた。


「それに、11桁目を出したところで、即座に相手が12桁目を答えてくるような泥試合に巻き込まれるのはどうかと」

 と、これは外務省の長のラウルの言である。


「いや、この問答をしている間は敵が攻めてこないというのであれば、一考に値するのではないか?

 今は、魔素のため、1日でも余計に欲しいとき」

 と意見を言うのは、魔法省のフォスティーヌである。


「で、勝てるのか?」

「数字のことはわかりませぬが、勝てませぬ」

 と、結論を求めた王に対し、大将軍フィリベールの言はそっけない。


「なぜか?」

「敵が決めた死地に、王なら踏み込みまするや?」

「愚かな……」

 王は、そう大将軍フィリベールの言を肯定した。

 敵の出した問いであれば、敵は回答を用意している。その土俵にのこのこ上がるのは、あまりに愚かな決断である。問いの難易の問題ではないのだ。


「それに加え……」

 天眼通のアベルが、口を開く。

「なにか?」

「クロヴィスが言うには、あのからくり、前に海に落ちたものと違い、まだ機能しておりまする」

「そは、どのように動いているのか?」

 驚いた王の声は深刻である。


 敵のからくりが、偵察を目的としているのは想像がつく。飛竜旅団を取り囲んだのは、その目的としか考えられなかった。

 つまり、今もこちらの状況を報告し続けているかもしれないのだ。


「複雑に絡み合った銅や礬素ばんそ(アルミ)が見え、それが光を発し続けております。

 ですが、こちらのことを筒抜けにさせるわけにはいかぬゆえ……」

「それで、どうした?」

 王の問いに、アベルは口をつぐみ、代わりにからくり師が答えた。


「中を改めたところ、前から予想していたとおり光の源ともいうべき塊がありましたので、そこと全体との接続を切りました。

 いや、切ったというのは正確ではありませぬ。

 切ったり繋いだりができるように、嵌合の部品があったので、それを外したのです。再度繋げば、生き返ります」

「……なるほど」

 王は右手で、自分の顎のあたりを撫でた。懸命に思案を続けているのだ。


「1つ、聞こう。

 その光の源ともいうべき塊は、魔素を貯めるキャップのようなものか?」

「おお、それは言い得て妙。

 線が2本出ていて、片方だけ繋いでも用をなさないあたりも、同じでございましょう。

 ただ、中身はキャップのような層は見えず、混沌としておりまする」

 と、これはクロヴィス。

 その答えに、王は肝心なことを確認していないことに気がついた。


 魔術師とは、おのれの術を当然のものと考えるがゆえに、他者への思慮が足らぬ。アベルですらそうなのだ。

 見えているというのは良いが、それがどのように見えているのかは、説明してもらわねば見えぬ方にとってはなにもわからぬと同じだ。

 魔術師の能力を使いこなすには、その辺りの問いを抜かりなく行う必要があるというのは、どこの国でも帝王学の基礎なのである。


「……改めて聞きたい。

 天眼通の術の魔術師にとって、複雑に絡み合った銅や礬素ばんそ(アルミ)が光を発するというのは、どのような光なのか?」

「天の稲光に似た光かと……」

 と答えたのはアベルである。


「クロヴィス、その方はどう見ている?」

 王は、さらに尋ねた。



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あとがき

アベルは気を使っていますが。それでも感覚の断絶の溝って深いですよねー。

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