第33話 王の名代として


 クロヴィスは思い返す。

 ここコリタスに来る途中の宿で、モイーズ伯はレティシアに探りを入れていたのだ。「我が王のやり方には、言いたいことがないと言えば嘘になる」などと言い出し、その意図をクロヴィスは疑った。

 蜂蜜酒を飲んで酔った挙げ句の戯言か、魔術師である自分たちを抱き込みたいのかと、さまざまに疑いさえした。

 あれは、レティシアの心理状況を窺っていたのだ。


 下を向いてしまったクロヴィスの肩にモイーズ伯は手を置いた。

「若いとは、良きことよ」

「は?」

 モイーズ伯ほどの百戦錬磨が相手だと、クロヴィスの洞察力はどうしても及ばぬものがある。当然のこととして、天眼通の術では人の心の動きまで見ることはかなわぬのだから。


「クロヴィス殿。

 頑なに生き、自ら目を塞ぐことが多いのも、また若さゆえ。

 クロヴィス殿ほどの魔術師に憎からず思われて、そのこと自体を嫌悪する女子おなごなどおりますまいよ。

 ただでさえ、若き娘はおのれを賛美する視線には敏感なもの。

 クロヴィス殿の自制は無駄に近い」

 モイーズ伯の言葉はクロヴィスの心に沁み入る。


「仰られることはありがたく……。

 ですが、天眼通の術を持つこの身、特に若き女子おなごにあらぬものを覗いていると疑われるのは日々の常にして……」

「さもありなん。

 されどもレティシア殿は、クロヴィス殿の粛なる生き方を理解し、その真率善良を見ぬき、要らぬ疑いを持たぬ唯一の娘御ではないのかな?」

「あ……」

 モイーズ伯の言葉に、クロヴィスは咄嗟になにも返せない。


「真の情と真の憂慮をもってレティシア殿と話せば、共に魔術師の歩む厳しき綱渡りの細き道から救われることもあろうかと」

「申し訳……、申し訳もござりませぬ」

「よいのだ。

 もうよいから、レティシア殿と話されよ。

 ただ、時たまは、天の大岩に目をやっていて欲しい。

 まだ安心はできぬからな」

 そう言われて、さらにモイーズ伯の手で背中を軽く叩かれて、クロヴィスは玉座の間を離れ、レティシアの後を追った。



 クロヴィスの背を見送り、再び盃に手を伸ばしたモイーズ伯に、コリタスの王室の儀官が歩み寄って声を掛けた。

「モイーズ伯爵。

 伯をゼルンバス王代理の全権を持つ者として相談したき儀ありと、我が王が申しておりまする」

 そう言われて、モイーズ伯は立ち上がった。

 クロヴィスとレティシアがいない中、自らの腹芸だけで切り抜けねばならぬ。だが、モイーズ伯に不安はなかった。

 辺境伯として治めていた領地の経済規模は、ここコリタスに匹敵するのだ。気後れする所以ゆえんはなかった。


 その後すぐにモイーズ伯は、コリタス王の前に立っていた。

 玉座の間の隣の控えの間である。さすがに、不特定多数に聞かせられる話ではないと判断したのだろう。密談に適したつくりで、魔素の接地防壁も設えられている。積極的に覗かれる可能性のある、国家の機密を語れるようになっているのだ。


 コリタス王の他には閣僚が円卓に着き、さらに副王までが同席していた。

 副王という制度は、ゼルンバスにはないものだ。国が違えば、いろいろと異なる制度も多いるものだと、モイーズ伯は思う。


 モイーズ伯は慇懃な態度ではあるものの、コリタス王の前に膝はついていない。コリタスの王に仕えているわけではないし、単なる使者ではなく、ゼルンバスの王の名代であるからして、儀礼としても膝をつくわけには行かないというのもある。


「まずは、モイーズ伯よ、座られたい」

 そう円卓の椅子を勧めることから始まるあたり、コリタスの王に敵対するつもりはないらしい。もっとも、この一点だけではなんとも言えぬが。

 目の前に、眠気覚ましの飲料コーヴァが置かれ、香ばしい香りが空気に溶け込む。


「モイーズ伯、我が国の魔術師、ディルクから容易ならざることを聞いた。

 天からの大岩、落ちてこないとはいえ、その機能はまったく失われていないとか?」

「そのとおり。

 我がゼルンバスの魔術師、クロヴィスの見立てではそのように」

 この回答は一線を引いたのである。

 この発見はゼルンバスの手柄である。コリタスの手柄ではない。この場にディルクがいない以上、遠慮は要らぬ。


 コリタスの王は、円卓の1人の男と目を合わせると、苦々しげな表情になった。

「……わかっておる。

 とりあえず、早急にこの件について確かめておきたいのだが……」

「なんなりと」

 モイーズ伯の、市井の居酒屋で安酒でも飲んでいそうな茫洋とした雰囲気に反する鋭い口調に、コリタスの王は面食らったような表情になっている。

 まずはこのギャップで、伯は場の主導権を握るのだ。


「余にも、天の大岩がどういうものかはわかる。

 ゼルンバスの魔術師が、そしてコリタスの魔術師が見たものからも、敵が押し寄せてきていることもわかる。

 となると、この先の選択肢は3つになろう。

 順当に考えれば、戦わず降伏するか、戦って降伏に追い込まれるか、戦って勝つかの、この3つしかありえぬ。

 そしてその中で、コリタスの運命として受け入れがたいものが、それぞれにある」

「なるほど、それぞれについてお聞かせ願いましょうや?」

 泰然とモイーズ伯は問い返す。


 モイーズ伯の腹が読めないためか、コリタスの王の表情に苛立たしげなものが一瞬よぎった。

 それに気がついてなお、モイーズ伯の表情は変わらない。


 ため息を1つ吐いて、コリタスの王は話しだした。

「どれも、ゼルンバス王の胸三寸にて決まることにて、な。だから、今こそ問うておきたいのだ。

 まずゼルンバスの王としては、10万という国民を焼き尽くされたことから、戦わずして降伏という選択はできかねよう。となれば、多大な犠牲を出しながら戦うことになり、戦うとなれば勝つか負けて降伏するか、どちらかになろう。そして、負けたら降伏しても、皆殺しにされる運命しか余には見えぬのだ」

 モイーズ伯は無言のまま、視線で話の先を促した。



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あとがき

モイーズ辺境伯の独壇場ですね。

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