第32話 暴走


 モイーズ伯は言を続けた。

「私は、クロヴィス殿に対し、『さすがはゼルンバスの魔術師』と心強く思いましたぞ」

「申し訳ござらぬ。

 師の顔に、泥を塗ってしまいました……」

「ゼルンバスの魔術師の、術の誇りの問題でござろう?

 それは、『義務と他者への配慮』という掟と同じくらいに、魔術師にとって大切にされねばならぬこと。

 したがって今回のこと、気にしてはならぬ。

 先々、コリタスがゼルンバスのものにでもなるようなら、改めて心配すればよろしい。

 それより……」

 さりげなく、とんでもないことをモイーズ伯は口にした。

「なんでございましょうか?」


 モイーズ伯の表情はいつものように隠されていて、そう深刻には見えない。だからこそ、クロヴィスにはモイーズ伯の言いたいことが読み取れぬ。


「……ふむ」

 だがモイーズ伯は、そう口をつぐんでしまった。

 コリタスの玉座の間のざわめきが高くなっている。

 密談自体はしやすくて助かる。だから、今のうちに話してくれればよいのだがと思いながらクロヴィスが辛抱強く待っていると、モイーズ伯はゆっくりと躊躇うように口を開いた。


「本題として語りたいが、治癒魔法ヒーリングすら使えぬこの身では、なにを言っても方向違いも甚だしいかもしれぬ。

 ゆえに、年長者の単なる戯言に過ぎぬものとして、軽く聞いてもらえれば良いかの。

 さて、クロヴィス殿。

 クロヴィス殿の天眼通の術の才は、どのように目覚められたのかな?」

 質問の意を捉えきれないまま、クロヴィスは答えた。


「子供の頃から、治癒魔法ヒーリングの術が使えました。体内の魔素も、他の村人より多かったような。

 16の歳、初めは肉眼で見えているものに重なって、遠方のものがうっすらと見えました。

 そのうちに、たくさんのものが、それこそ前後左右上下、すべてのものが見えるようになり、脳は見たものを受け取りきれずに混乱し、結果として生死の境をさまようほどの高熱を発し、床に就くしかなくなりました。

 床に就いたからといってもすべてのものは見え続ける上、体内の魔素は限りなく消費されますから、中にはこの段階で物故する者もいるとあとから聞きました。

 何回か昏睡に至る中で、ようように身体が見ぬことを覚え、これが魔法の天眼通の術の才の開花と思い至りました。運が良ければ、同じく天眼通の術の才に恵まれた師に見出され、心のうちの不安だけは取り除いてもらえましょう」

「……なんと壮絶な」

 モイーズ伯は息を呑む。


治癒魔法ヒーリングは効かぬのかの?」

「効きませぬ。

 治癒魔法ヒーリングは身体を本来の形に戻すもの。ゆえにやまいは治せても老化はどうにもなりませぬ。魔術師の才の目覚めも、病ではないゆえに……」

 つまり、その時の辛さを和らげる方法はないということだ。


「せめて、それにより、良いことはないのか?」

「そうですね。

 瀕死になるまで体内の魔素を消費することで、治癒魔法ヒーリング程度の消費には揺らがぬ身体となりまする。召喚、派遣についてもこなせますから、魔術師の仕事の基本はこれでできるようになります。この流れは、天眼通の術に限らぬこと」

 そういうクロヴィスの口調は、どこか誇らしげになった。


 だが、モイーズ伯は思う。

 本当の代償は、「才能には、義務と他者への配慮が伴う」と言われるほどの粛たる生き様を強いられることだ。

 とてもではないが、普通の人間に務まることではない。

 せめての誇りと自負は、許されて然るべきであろう。そうでなければ、人たる身、心まで病んでしまう。


「話を戻しまする。

 見ぬことを覚え、体内に再び魔素が貯まるようになり、脳も見たものをどうするかを覚え、ようやく床払いができるようになりまする。

 そして、そのあとも、『見ぬことへの修行は一生続く』と、我が師アベルは申しておりました」

 それを聞いて、モイーズ伯は小さく頷いた。


「やはりな。

 そのようなことかと思っておった。

 まずは才が花開き、次にその扱いを覚えるのだな。

 なぁ、クロヴィス殿。

 レティシア殿に、クロヴィス殿の手を差し伸べていただくことはできませぬかな?」

「どういうことでしょうか?

 そもそも私ごときが、魔法省の長の娘御に対し……。

 ……あっ!」

「おわかりですな?」

「……しかと」

 クロヴィスの顔は蒼白になっていた。

 これでは魔術師として、面目が立たないにもほどがある。これに比べれば、先ほどのコリタスの魔術師、ディルクへ言い過ぎた件など羽根のように軽い。


 モイーズ伯は、ゆっくりと穏やかに話し続けた。

「今、レティシア殿は封印を解かれ、他心通の才が暴走しているように見受けられる。

 知りたくもない他者の心のうちを、耳を塞ぐことも叶わず、知らされ続ける辛さは察するに余りある。

 表情は暗く、相手が我らであっても話そうともせぬ。

 それは我らの心を見ぬように必死で、それでも見えてしまうのが情けなく、また罪深く、それを我らも含め誰にも話すこともできず、悶々と独り苦しんでいるのであろう。

 なぁ、クロヴィス殿。

 この度の我らの旅は、王命とはいえ、なにかの縁に依るものかとも思うのだ。

 せめて、我らでその辛さを分かち合わねば……」

「まことに、まことに申し訳ない。

 魔術師として、私こそがなんとかせねばならぬものを……。

 自らの経験がありながら……」

 そうクロヴィスは、臍を噛んで平身低頭するしかない。


 レティシアはその才を目覚めさせると同時に、その顔に魔素の力をスポイルし、他人の心がわかるという力を封じ込める文様が描かれた。

 そのため、才を目覚めさせた時よりも体力があり、体内の魔素も多い。ゆえにまだ寝込むほどのことにはなっていないが、辛さに関してはよりきついものになっていよう。

 床に逃げ込むこともできないのだから。

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