第13話 迷子の迷子の

 とある日。

 空は快晴で、気温は落ち着いて暖かい。

 次の街まではもう少し。この辺りは一部地域を除いて魔獣が飛び出してくる危険はない。

 ぼく――アーティアと相棒の男――ヴァーレンハイトは散歩でもするかのようにのんびりと平原を歩いていた。

 次の街についたらまずは宿を探して熱いシャワーを浴びたい。それから食事をして、いっそそのまま寝てしまうのもいい。

 今は少し余裕があるから、冒険者ギルドに仕事を探しに行くのは翌日で十分なはずだ。

 気分もいい。

 いっそ鼻歌でも歌い出したいような……。


「~♪」


 ……まだ歌ってない。

 隣の男を見る。……いつも通りぼんやりとしていて眠たそうだ。歌っているのはこいつではない。


「……ティアが歌ってるのかと思った」

「ぼくじゃない」


 そんなに浮かれていない。

 男を睨みながら、声のする方を確認する。


「……あ、あれかな」


 男の指す先を見ると、花畑があった。

 色とりどりの見渡す限りの花。蝶まで飛んでいて、そこだけゆったりとした時間が流れている。

 その真ん中に、淡い稲穂のような頭が揺れていた。


「~♪」


 よく耳を澄ませば鼻歌の犯人はその頭のようだ。

 歌に乗っているのか左右にゆっくり揺れている。


「……女の子一人で危なくない?」


 男が言うのを聞いて、それが女性だと気付いた。いや、男性だと思ってはいなかったが、なんとなく性別なんてものないのではないかと思っていた。

 ふわりふわりと歌うその声は天上の歌声。この世のものではないほどに美しく、耳を優しく撫でつける。うっかり聞き入ってしまえば眠ってしまいそうだ。

 まるで妖精族(フェアピクス)のネリス人やディアメル人のように船でも沈める能力がありそうなほど、ずっと聴いていたいと思ってしまう。

 ふと横を見ると男は立ったまま気持ちよさそうに寝ていた。

 そうだけど、そうじゃない。というか道端で寝るな。

 しかしこの距離で男を起こす声を上げれば、歌声の主も気付いて歌を止めてしまうだろう。それは避けたかった。

 どうしようかと悩んでいると、淡い稲穂がこちらを向いた。

 若い女性だ。肩に小鳥を、指に蝶を留まらせてふわりと微笑む。

 あら、と女性はぼくと男を見た。

 歌が終わってしまった無念さと、歌声の主の正体を見た高揚感。


「こんにちは」


 女性はこてりと首を傾けた。鳥と蝶に気を使った挨拶のつもりらしい。

 よく見れば横座りした膝の上に丸くなった毛玉が見えた。時折、長い耳がぴくぴくと動いて見えるのでウサギだろう。


「……こんにちは」


 返しながら男の背中を叩いて起こす。


「こんなところでなにを?」


 気になったことを聞いてみる。

 どこかの一座の歌姫でもおかしくない女性は外見も整っていて、淡い稲穂の髪は肩口で切り揃えられ、丁寧に櫛梳られているように見える。着ているものも安価ではない布地が使われていることが見て取れるくらいだ。髪と同じく淡い色使いで合わせてあり、柔らかい印象を与える。

 ぼんやりと開かれた瞳は優しい青色。耳は丸耳で、魔力を感じない。――人間族(ヒューマシム)だ。

 なにを、と女性は首を傾げる。

 そしてうーんうーんと頬に手を添えて考え込んでいた。

 そんな女性の指から飛び立った蝶が今度は髪に留まり、髪飾りのようになっている。


「……なに、かしら……そう、なにかを、探しているの……」


 なにか、と繰り返すと、女性はこくりと首肯した。


「……そう、なにか……あなたたち、なにか知らない?」


 のんびりとした喋り方だ。

 いや、ぼくたちに聞かれても困る。


「ちょっとわからないかな……」


 そう、と女性は肩を落とした。

 肩に乗っていた小鳥がこちらを非難するようにピィと鳴いている。知るか。

 あのね、と女性はゆっくり続ける。


「一緒にいると、とっても世界がきらきらするの……嬉しいの。でも、それがなにかわからなくて……なんだったかしら……」


 女性が立ち上がり、鳥や蝶が飛び立つ。膝のウサギがぴょんと跳んだ。

 ふらりと女性が歩き出す先は、少々危なげな森の方角。


「……いや、待って待って。そっちは危ないから」


 なんだこの危なっかしい女性は。

 慌てて駆け寄り腕を掴む。

 ぼくより背の高い。頭一つ分と少し。

 女性はきょとんとぼくを見下ろした。


「……あなた、だぁれ」


 ぼくはがっくりと肩を落とす。

 じゃああんたは誰と話していたつもりなんだ。


「……ぼくはティア。向こうは相棒のヴァル。あんたは?」


 ええと、と女性は首を傾ける。

 まさかわからないとか言わないよな。

 それは流石になかったようで、女性はふわりと微笑み、


「わたしはノエル。ただのノエルよ」


 名乗った。

 女性――ノエルを連れて街まで行くことになった。



 +


 またある日。

 木枯らしも吹く肌寒い夕方。

 冒険者ギルドで請けた依頼をこなした帰り道。天気が悪くなる前に宿に戻りたいと街道を急いでいた。


「~♪」


 どこかから美しい旋律が流れてきた。違う、誰かの鼻歌だ。

 横の男を見ても首を振っている。いや、流石におまえだと思ったわけじゃない。

 わからないと首を振る男と周囲を見渡す。

 右は平原、左は林だ。

 平原に人の姿どころか魔獣の姿もなく、林は足場が悪そうで獣道すら見えない。

 気のせいか、とぼくらが歩みを再開しようとしたとき。

 突然、横道からがさりと現れたのは一人の女性だった。

 驚いた。

 思わず背中の大剣に手をかけてしまった程度には。

 冒険者にも女性は普通にいる。だから驚くことはないはずだったのに、その女性はまさかの丸腰だった。

 丁寧に手入れされていただろう黒く長い髪を背中に流し、よく広がるくるぶしまでの長い質素なスカート姿。瞳は魔族の金とは違う淡い黄色。丸耳で、人懐こい笑みを浮かべている彼女は――雷魔法族(サンダリアン)。

 自分たちの集落からほとんど出てこない魔法族(セブンス・ジェム)がどうしてこんなところに。


「こんにちは」


 よく見れば女性は折角の綺麗な髪のあちこちに葉や枝をつけている。まさかおしゃれではあるまい。

 にっこりと笑った女性があまりに自然で、警戒するのを忘れそうだ。


「……こんにちは。その頭は流行?」


 え、と首を傾げた女性に、荷物の中から持っていた魔獣の核を見せてやる。ちょうど鏡のようになっているそれは、綺麗に女性の顔を映し出した。

 あらぁ、とのんびりした声を出して、女性は照れたように手で葉や枝を払う。


「ふふ、道に迷っていたの。お嬢さん、ありがとう」


 お嬢さんという言葉がむず痒い。

 どう道に迷ったのか知らないが、随分とアグレッシブな迷い方でもしたのか。でなきゃどうして街道があるにも関わらず横の林から出てくるのか。

 ぼくは男と目を合わせる。

 男は肩をすくめた。


「……あんたは、向こうの町の人?」


 これから戻る町の方角を指す。

 きょとんと目を瞬かせるのは女性だ。


「向こうの町?」


 町の名前を告げてみるが、女性はぱちくりと目を瞬かせるだけだ。

 まさか雷魔法族の集落からここまで歩いて来たわけではあるまい。


「どこから来たの」

「ええっと、後ろの方よ」


 女性は林の方を見る。

 そういうことじゃない。


「……どこに行きたいの」

「……どこかしら……」


 なんだこの人。話にならん。

 どうしましょうね、と女性はにこにこ笑っている。

 どうしましょうねはこちらのセリフだ。

 どうする、と男に目で訴えるが、男は首を横に振る。

 ……置いて行ってもいいだろうか。

 アイコンタクトで男に訴える。男は、それはそれで面倒だと再び首を横に振った。


(……置いて行こう)

「……それじゃあ、ぼくらはこれで」


 軽く手を振って女性から目を離す。

 女性は「はぁい」と手を振って返してきた。

 息を吐いて街道に戻る。なんだったんだろうか、あの女性は。

 ああいうのを残念な美人と言うのかもしれない。

 男と並んで無言で歩く。


「~♪」


 どこかで聞いたような鼻歌が後ろからついてきた。


「……」

「……」

「~♪」

「……」

「……」

「~♪」


 そっと後ろを振り返る。

 にこにこしながら鼻歌を歌う女性がついてきていた。

 ふいに女性がこちらに視線をやりながら道端の花を指差す。


「ねぇ、お嬢さん、あの花はなにかしら」


 そして当然のように話しかけてくる。


「……アセビの一種、かな」

「じゃああっちの白いのは?」

「……多分、ケシの仲間」

「あら、あの鳥はなにかしら」

「……ヒワの類」

「まぁ、こんなところにウサギさん」

「それ魔獣! 近付かない!」


 慌てて女性の腕を取る。

 小さな魔獣はぼくの声に驚いてどこかに去っていった。弱い魔獣だったのだろうか。

 息を吐いて女性の無事を確かめる。どこも怪我はしていないようだ。

 ほっとして並び立つ女性を見た。

 女性はぼくより頭一つ分と少し背が高い。

 冷たい風が女性の髪を揺らした。

 ぼくはそっと女性の腕から手を離す。

 ぼくを見下ろす目は優しい。

 どこか、懐かしささえ覚えるくらいに。


「ありがとう、お嬢さん」

「……お嬢さんじゃない、ティア。ついでに、あっちは相棒のヴァル」


 そう、と女性は微笑む。


「わたしはルネローム。ただのルネロームよ」


 よろしくね、と女性――ルネロームはぼくの手を握ってぶんぶんと振り回した。肩が痛い。

 ぼくの手を離すと今度は男に向かって行った。そして同じように音が鳴りそうなほどぶんぶんと振り回す。

 ぼくほどではないが、意外と力が強い女性だ。


「~♪」


 なにが嬉しかったのか、ルネロームは再び歌い出す。

 優しい歌声。聞いていると草花さえ元気になりそうな、そんな不思議な歌声だ。

 それに、それはどこかで聞いたことがある。


「……それ、どっかで流行ってんの」

「え?」


 ルネロームが歌を止める。

 尋ねてから、歌を止めてしまったことを後悔した。惜しいことをしたと思ってしまう。

 頭の芯に直接響くような、美しい歌声。

 どこかで聞いたそれは、全く違うものなのに、同じような錯覚を覚える。


「流行ってるのかしら」


 それを尋ねているのはこちらだ。


「誰かに教えてもらった気がするのだけど……どこの歌なのかしらねぇ」

「……聞かれても困る」


 そうねー、とルネロームはくすくす笑う。

 その姿は自由。

 本当に雷魔法族だろうか。

 ふとそんなことを思った。


「そういえば、どこに行こうとしてたんだ?」


 男が眠たそうに目をこすりながらルネロームに尋ねる。

 さっきの鼻歌で眠気を刺激されたらしい。

 どこ、とルネロームの紅色の唇が動く。


「どこ……なのかしらね」


 さぁっと風が吹き抜ける。


「ずっと、探してるの。誰かを」


 でも、とルネロームは視線を落とした。

 足元になにかある様子はない。――足元じゃない、見ているのはなにか小さいものだ。

 そこにないなにかの面影を探している。そんな仕草だ。


「とっても愛しい、わたしの宝物。それから、とっても大切な……大切な、なにか」


 顔を上げたルネロームの顔は微笑んでいるのにどこか寂しそうだった。

 その理由はぼくにはわからない。


「……町まで送っていく」

「ありがとう、ティアちゃん、ヴァルちゃん」


 ふっと吹き出した。男を見るとぽかんと口を開けている。

 笑いの波が納まるのを待って、ぼくらはルネロームを町まで送っていくことにした。



 +


 真昼にも月が見えるほど透き通った青空の広がる日。

 この辺りは過ごしやすい気候で、この数日とくに天気が急変していないこともあって歩きやすい道だった。

 ……周囲がジャングルのように謎の大型植物に囲まれていなければ。


「なんっだ、ここは!」


 腹立たしさに思わず叫ぶ。

 青空なんていつの間にか見えなくなったわ!

 ぼくは普段、腰に差している短剣を右手にあちこちから伸びる蔦や枝を切っていく。多少は通りやすくなるが、それでも焼け石に水。

 どこかから伸びてきた枝は頬を切るし、獲物を求めているのかにゅるにゅると近付いてくる蔦は腕や足を取ろうとする。

 実際、何度か足を取られて転んだし、男に至っては逆さ吊りになった。

 なんなんだあれは。生き物か。魔獣なのか。

 幸い多少力を籠めれば千切れる程度の強度しかなかったので、遠慮なくぶちぶちと千切っている。

 それにしても方角は合っているのか。

 ぜえぜえと肩で息をしながら空を見上げる。

 太陽は見えない。鬱蒼としたジャングル地帯に入ってしまったのは嫌でも思い知らされる。


「ティア……」

「わかってる、方位磁石を失くしたのはぼく! でも地図を焼いたのはおまえだ!」

「いや、ティア……」


 なに、と後ろを歩いているはずの男を振り返る。


「……なにしてんの」

「……助けて」


 宙ぶらりんでひっくり返っている男。しかも持ち上げが足りなくて頭は地面についている。


「さっきも同じことしただろう!」

「ごーめーんー」


 地を蹴って男の足に巻き付く蔦を切る。

 どさりと男は首から地面に落ちた。

 ぐきっという嫌な音が聞こえた気がしたのは気のせいだと思いたい。


「というか上も横もぼくよりあるヴァルが前を歩いてくれたら、ぼくが楽なんだけど」

「蔦とか枝とか切るの面倒くさい……というか後ろでも結構、枝とか蔦で顔面殴打するんだけど。……ティアが小さいから」

「うっさい、あんたがデカいだけだ」


 この辺りは魔素が多く、魔獣かただの生物かがわかりにくい。魔力感知能力の弊害だ。


「……これ、道間違えて魔族の領土に入ってない?」

「……そうかもしれないなぁ」


 最悪だ。

 確かに噂で目的地の近くには魔族の世界――魔界へと通じる裏道があると言われていたが。本当にあったのか。

 そうとわかれば長居は無用だ。……と言いたいところだが、地図も磁石もない太陽も見えない現状では脱出するすべがない。


「詰んでるじゃん」


 どうするんだこれ。

 ようやく立ち上がった男と顔を見合わせ落胆する。

 せめて空が見えるといいのだが。


「ヴァルに肩車してもらったくらいじゃ届かないし、かといってここにある木を登るのは無理」


 うんざりした顔で木を見る。嫌がらせのようにとげとげとしたなにかを幹にびっしり備えた木々があちこちで顔を覗かせていた。

 魔素が濃いとこんなことになるのか、とどうでもいいことを考えて現実逃避する。

 どうしたものか。


「……今、なにか聞こえなかったか」


 男に言われ、耳を澄ます。

 風に乗ってかすかに声が聞こえる。――悲鳴だ。


「誰か襲われてる……?」


 あっちだな、と声のする方へガサガサと草を掻き分けて進んでいく。


「きゃーっ」


 少女の声だ。


「ヴァル、これ邪魔!」


 こくりと頷いた男が指先で魔法陣を展開する。男が指を振るとぼくの目の前の木や蔦が一瞬で氷漬けになる。

 それを拳で砕いて開けた場所に出た。


「誰か……っ」


 声がする方を探し――上だ。

 にょろりと伸びた例の蔦が見知らぬ少女を絡め取って宙へ持ち上げていた。幸か不幸か、男とは違い上下は反転していない。


「ヴァル、着地頼んだ!」


 言いながらぼくは跳躍、同時に大剣を抜いて振り上げた。

 振り下ろし、少女を絡め取る蔦を一気に切断。少女は落下した。


「きゃあああああっ」


 ぼすん、と音がして、着地したぼくが振り返ればそこには少女の下敷きになる男の姿。


「……着地任せたって言ったじゃん……」


 呆れながら大剣を背中に戻し、服をはたく。

 男は放置して少女に巻き付いたままの蔦を短剣で切っていく。


「あ、ありがとう」


 少女が潤んだ瞳でぼくを見上げる。手を貸してやると慌てて立ち上がった。

 男は地面に座り込んで肩を回している。受け止めたのは背中だから腕は使ってないだろうに。

 服の乱れを直す少女の様子を観察する。

 黒髪を顎の下ラインで切り揃えた短い髪型。だがボーイッシュにはならず、少女らしさを出している。左耳の上には赤いヘアピンが二つ並んでおり、それが可愛らしい。

 首元がゆったりした半袖のシャツは襟元に変わった模様が入ったデザイン。右の二の腕には赤い布を巻いて、短いスカートを穿いている。

 瞳は薄い黄色。丸耳で、魔力の質は遠雷のような色――雷魔法族だ。

 集落は近いとはいえ、こんな場所に好んで来るような種族ではないはずだが。

 そもそも少女は丸腰で、戦闘慣れしているとも言えない動きだ。

 雷魔法族で丸腰外出でも流行っているのか。いや、いつぞやのルネロームは集落とはだいぶ離れた地での出会いだったが。

 身だしなみを整えた少女は改めてぼくたちに向き直って頭を下げた。


「助けてくれてありがとう。わたしはモミュア。……あ、外の人にはモミュア・サンダリアンって名乗った方がいいんだったかしら」

「どっちでもいいよ。ぼくはティア」


 こっちが、と男を見る。

 男はようやく立ち上がると、軽く服を叩きながら、


「おれはヴァル」


 とだけ答えた。

 少女――モミュアは男の身長の高さに目を丸くする。

 モミュアの方はぼくより頭一つ分くらいの差か。一五〇センチちょっとかな。


「それで、モミュアはどうしてここに?」


 人のことは言えないが、ここは人が来るような場所じゃない。

 モミュアはさっと目を逸らした。


「……」

「……」

「……その、笑わないで聞いてくれる?」


 別にいいけど、と言うとモミュアは俯きながら、


「……………………道に迷ったの……」


 と言った。

 人のこと言えないが(大事なことなので以下略)、自分たちの集落から出てくる魔法族はなかなかいない。別の魔法族の集落に行くにも道は舗装されているし迷うほど離れてもいないと聞いていたが。

 迷子が三人。どうするんだ、これ。


「どうしよう……お昼までに帰るって言ったのに……」


 モミュアが泣きそうな声で言う。目には薄く膜が張っていた。

 現在の時刻は八つ時くらいだろう。

 親かなにかと約束していた様子のモミュアはがっくりと肩を落とした。


「……ティア」


 そっと男が小さな声でぼくを呼んだ。

 モミュアには聞かせたくない話か、と近寄ると、男はその分後ろに下がった。


「……ヴァル?」

「……………………ごめん」


 は、と口を開く。

 謝られることなどあっただろうか。

 すうっと男は息を吸い込み、一気に吐き出すように勢いよく頭を下げた。


「使い魔いるの忘れてた!」

「…………はぁ?」

「いや、よく考えれば使い魔に周囲を探らせて方向調べれば迷わずに済んだ……な、って」


 なに言ってんだ、こいつ。

 男は掌を見せるようにして魔法陣を展開し、使い魔を召喚した。

 キィ、と現れた子ザルが挨拶するように手を上げる。

 どっと疲れが肩に来て、ぼくは怒る気力もなく子ザルを見た。


「……これでちゃんと目的地着く?」


 こっくりと男と子ザルが頷いた。

 はぁ、と息を吐くと、男はびくりと肩を震わせた。


「……もういいよ。迷わなかったらモミュアにも会わなかったし」


 そう言うと男はほっと息を吐いて、モミュアに顔を向けた。


「えーと、モミュアは雷魔法族の集落から来たのか」


 いきなり話しかけられたモミュアは驚いたようだが、すぐにこくりと頷いた。


「じゃあ目的地は雷魔法族の集落でいいよな」


 いいよと言うと男は子ザルに指示を出し、歩き出す。

 ぼくはモミュアに、男についていくように言って殿を務める。

 いつの間に拾ったのか、モミュアは土で汚れた袋を大切そうに抱えていた。


「モミュアは集落を出てどこに行こうとしてたの」


 道中、暇を持て余して聞いてみた。

 モミュアはちょっと振り返りながら袋を見せてくれた。

 中に入っていたのは塩と胡椒とよくわからない調味料。


「お塩を買いに海までは友達がついてきてくれたんだけど、帰りに迷っちゃって……」


 塩。

 確か雷魔法族の集落の南側には小さな港があったはずだ。そこに行こうとして、どうしてこんなジャングルの中にいるのだろうか。

 えへへ、とモミュアは気まずそうに笑った。


「見えてきたぞー」


 男のやる気のない声でぼくたちは前を向く。

 やっと鬱陶しいほど主張の強い緑から視界が解放された。

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