第11話 探し人

 町の宿で目が覚めた。

 それなりにふかふかのベッドの中だ。

 呆然としながらぼく――アーティアは自分の身なりを確認する。眼帯はサイドテーブルの上。ベルトの類は外されて、上着もソファーに掛けてあった。

 ひゅうと喉が鳴る。

 慌てて隣のベッドを見れば相棒の男――ヴァーレンハイトがすやすやと眠っていた。

 窓から朝日が差している。

 今、何時だ?


「今は昼前、アーティアが寝落ちてから一晩経っているよ」


 びくりと身体が震えた。

 思わずシーツを引っ張って肩まで隠す。

 せんせいだ、と気付いてぼくはシーツを落とした。


「……誰が、ぼくをここまで……? 誰が……服や眼帯を……」


 声が震える。ごくりと喉を上下させた。

 せんせいはくつりと笑う。


「ここへ運んだのはあの一行だよ。アーティアは軽いとしても、ヴァーレンハイトくんと二人揃って抱えるとは、あの隻腕でよくやったものだよ」


 その光景を思い出したのか、せんせいはくつくつと笑った。

 隻腕――ルイのことか。


「ここに入ってきたのはその彼と、風魔法族(ウィンディガム)の女人だ。アーティアの眼帯や上着を脱がせたのも彼女さ」


 つまり――。

 ぼくはそっと右腕をさする。いつも長袖とグローブで隠している方だ。

 そこには大きく抉られた傷があった。腕が再起不能になってもおかしくないほど深かったであろう大きな傷。そのせいで右腕全体に彫られた刺青は見る影もない。もとがどんな紋様だったのかわからなくなっている。

 傷をぎゅっと握る。痛みはない。

 この傷のせいか、基本的にこちらの腕の感覚はない。だが指先までの神経は生きているようで、動かすのに支障はない。


「……見られた?」

「だろうねぇ。彼女も少々驚いていたようだったよ」


 そう、とぼくは小さく返す。

 黙っていると隣のベッドで眠る男の寝息しか聞こえない。


「それで、どうするつもりかね」

「……どうしようか」


 おそらくルイたちはもう起きているだろう。もしかしたらもう旅立っているかもしれない。

 そうなったら、どうしようもない。

 だが、彼らに会ったところでどうする?

 ぼくはぎゅっと右腕を握った。


「……とりあえず着替えたらどうかね。どうせ、彼が起きる前に身支度を済ませなければならないだろう?」


 うん、と頷いてのろのろとベッドを這い出る。

 酒精は残っていないようだ。気分や体調に変わりはない。

 上着を羽織ってベルトを締める。髪を整えて三つ編みにし、眼帯を右目に着ける。

 鏡を見るといつもより多少不機嫌そうなぼくが映っていた。ため息を吐いて、頬を叩く。


「今更どうしようもないことを考えるのは無意味だ。考えるならそれをこれからどうするか」


 そうだね、とせんせいが微笑む。

 出来の悪い教え子を見ているときの顔だ。

 ため息を吐いて、男を起こす。


「ヴァル、朝……っていうかもう昼前だってさ。起きて」


 ううん、ともぞもぞ動く布団の塊を叩く。


「……頭痛い……」

「……そんなに飲んだの?」


 男も大概、酒に強い方ではある。

 まぁ二日酔いだろうと容赦するつもりはないが。

 一気に布団をはぎ取って、とりあえずまずは腹ごしらえだなと考えた。



 宿の正面にある食堂へ向かったぼくらを迎えたのは、昨日の四人だった。

 まだ昼食には多少早い時間のせいか、食堂は彼らの貸し切り状態になっている。


「あ、おはよーございます」


 まず声をかけてきたのはホウリョク。隣にいたギンに詰めるように追い立て、こっちこっちと隣のテーブルをくっつけて手を振る。

 テーブルをくっつけるのならギンに詰めてもらう必要はないのでは、と思ったが口には出さない。

 男は当然のようにホウリョクの正面に座っていたルイの隣に座った。


「おはよう、ございます……。昨日は宿まで運んでもらったってティアから聞いた。助かった」


 ぺこりと頭を下げる男に、ルイは軽く手を振って、


「いや、潰したのギンとホウリョクだからな。むしろこっちこそ悪かった」


 確かに嫌に早いペースで注がれていたなと思い出す。

 ぼくも一応礼を言っておこうとルイに頭を下げた。

 ホウリョクの隣に座ってメニューを開く。


「アーティア、ヴァルは昨晩のこと覚えてるんです?」

「昨晩のこと?」


 きょとんと男は目を瞬かせる。

 ぼくはメニューに視線をやって男から目を逸らした。


「……なんかあった?」

「……なぁんだ、つまんねーですねぇ」

「ホウリョクかて覚えとらんやないかい」

「えー、わたし忘れてねぇですよ。アーティアとおしゃべりしてましたもん。それともわたしになんかしやがりました?」


 してねぇ、とギンはそっぽを向く。

 確かにギンはなにもしていない。ホウリョクもしてないと言えばしてないし、確かにぼくと話していただけだが。

 どうやら二人とも寝落ち寸前のことは覚えていないらしい。

 ……ぼくはどうだったんだろうか。


「ぼく、あれからなにかしてなかった」


 向かいに座るティアナとルイに声をかける。二人はきょとんとしたあと、首を横に振った。

 ほっとして、注文を取りに来た給仕にいくつか頼む。

 しばらくしてやってきたのはクラブサンド、トマトサラダ、コーンスープに野菜の酢の物、アップルジュース。何故かクラブサンドはぼくの頭くらいでかかった。

 ふと見ればティアナ以外、全員が同じものを食べている。

 どう考えても食べにくいだろう……ここは巨人族(ティトン)用の食堂だっけ。いや、特にそういうわけでもないようだ。


「……量はともかく、食べにくいよ、これは……」

「慣れたらそうでもないですよ」

「……」


 しばらく無言の昼食タイムが続く。


「そういえば、勝手に眼帯を外しちゃったけど大丈夫だったかしら」


 ティアナが首を傾げる。


「……ティアナたちだけなら、問題はないけど……」


 問題があるとすれば。

 無意識に右腕をさすっていた。

 ティアナはそれを見て、しぃ、と人差し指を唇に当てる。


「……」


 ふ、と息を吐いた。

 どうしたんですか、と問うホウリョクになんでもないと答えてジュースを飲む。

 さっぱりして、なかったはずの二日酔いもどこかへ行くような気がした。



「アーティアたちはこれからどうするんだ」


 ルイが尋ねる。

 どうすると言われても、変わらず旅を続けるだけだ。

 ふいにルイは考える素振りを見せる。言いたそうな、言いにくそうな、そんな顔だ。

 ぼくと男はただ待つ。

 やがて意を決した様子でルイはぼくを見下ろした。


「ヘルマスターという魔族(ディフリクト)を知っているか」


 ヘルマスター。

 男を見るが、首を横に振っている。

 ぼくも首を横に振った。


「知らない。というか今までそんなに意思疎通出来る魔族に会ってないんだよね。名前があるってことは中級以上?」


 そうか、とルイは視線を落とす。


「オレは事情があってそいつを探してる。もし見つけたら教えてくれねぇか」

「……伝える手段を思いついたらね」


 それでいい、とルイは笑う。

 それからぼくの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に混ぜっ返すと、満足そうに踵を返した。


「じゃぁな」

「じゃあね」


 またねとは言わない。

 ぼくらも彼らも旅人だ。いつどこでなにがあるかわからない。

 再会もあるかどうかわからない。だから、それでいい。

 ルイに続いてティアナ、ギン、ホウリョクと去っていく。


「それじゃあ、元気でいるがいいですよ」


 大きく手を振るのに、小さく振り返す。

 去り際にべーっと舌を出したギンの姿が目に入った。


「ハゲろ、クソトカゲ」

「ちったぁ背ぇ伸ばす努力せぇよ、ちんくしゃ」


 こちらも舌を出して威嚇する。

 結局、彼らが町を出るまで見送って、ぼくらは宿に戻った。


「騒がしかった……」

「でも楽しそうにルイたちと喋ってたじゃん」


 うん、と眠たそうに頷く。

 身長が近いことでなにやら意気投合することがあったらしい。

 宿で荷造りをしながら、去り際のルイの言葉を思い出す。


(魔族、ヘルマスター)


 どこかで聞いたことがあるような気がするのに、思い出せない。

 誰だっけ。

 誰かの口から聞いた覚えがある。


「……思い出せなくて、もやもやする」


 誰だっけ、と首を捻るが、せんせいも答えてくれなかった。



 +


 真っ黒な雲が空を覆っている。

 時折鳴り響く雷は龍の怒号のようだ。

 その建物の中、最上階で眼下を眺める影があった。

 小さな影。

 それは子どものような姿をしていた。

 薄紫の髪はヴェールに覆われ顔が隠されている。ゆったりとしたローブは白とも黒ともつかない不思議な色をしている。

 その影はふいに口角を上げた。


「――<五賢王>」


 まるで成人男性のような低い声。決して子どもの声ではなかった。

 やがて影の後ろに五つの姿が現れる。

 一つは凍てつきそうな女性。

 一つは無表情の少年。

 一つは幸薄そうな青年。

 一つは顔のない男性。

 一つは眠たそうな少女。

 それらは自らを呼んだ存在に跪く。そうすることが当然のように。

 影はちらりとそちらを見て、更に満足そうに笑う。


「周期が来た。神族(ディエイティスト)側の封印が綻んでいる」


 おお、と誰かが声を上げた。

 影は続ける。


「貴様らもそろそろ飽いたろう――イルフェーブル」


 は、と無表情の少年が首を垂れる。


「風魔法族を見張れ」

「……見張るだけですか」

「今は」


 かしこまりました、と少年の姿が消えた。


「ダークスピネル、貴様は地魔法族(ノールド)を」


 はい、と幸薄そうな青年の姿が消えた。


「クロウェシア、貴様は水魔法族(ウォルタ)を」


 はぁい、と眠たそうな少女の姿が消えた。


「レッド・アイ、貴様は――光魔法族(シャイリーン)へ襲撃を」

「へぇ、やっちゃっていいんですかい」

「出来るものなら、<精霊>を奪って見せろ」


 承知、と顔のない男性の姿が消えた。

 最後に、と影が振り向く。


「ミストヴェイル、こちら側の封印の強化を。――出来るな」


 はい、と盲目の女性が静かに頷いた。


「忌々しい百年戦争が終わり、ようやく落ち着いたといえる」


 かつり、影が動いた。

 女性は頭を垂れたまま退く。


「さて、<聖帝>ヴァーンよ、次のゲームを始めよう」


 くくくと笑う。

 一際大きな雷が落ちる音。

 一瞬だけ光ったそれが影を照らす。

 美しく白い肌をした金色の双眸を持つ少年だった。だが彼に子どもらしさなど欠片もなく、そこにあるのは全てを威圧し屈服させる王者。

 女性が顔を上げたとき、君主は王座に座るところだった。


「失敗は許されぬと知れ」


 はい、と女性は再び頭を下げる。


「はい。――<冥王>ヘルマスター様の御心のままに」


 赤い唇が三日月の弧を描いた。

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