第10話 魔獣狩りの日 2

 とはいえ、勝負は勝負だ。

 遠くから土煙を上げてこちらに向かってくるなにかが見えた。


「来やがったか」


 男性――ルイが捕食者の目でそれを見た。舌なめずりをして、目を爛々と輝かせている。

 横にいたティアナは一歩下がり、ルイを補佐するように手を広げた。


「負けたらへんぞ」


 こちらを睨むのはギン。それに睨み返して舌を出す。

 ギンもべーっと舌を出して見せてから、ルイに並んで背中の長刀をすらりと抜いた。確か極東にあるというオオタチという珍しい剣だ。

 それを見てホウリョクが魔法陣を展開する。彼女の真下に現れたそれは強化魔法。それを自分にかけたホウリョクは「よーし」と声を上げて拳を突き合わせた。

 行くぞ、というルイの掛け声でティアナ以外の三人が駆け出す。

 土煙を上げてやってきたのは二メートルから三メートルの大猪の魔獣。

 戦陣を切ったのはギン。

 その長い刀身をものともせず、最前列の大猪を薙ぎ払った。

 ぎぃぃいぐひぃいいいいいっ、

 耳障りな悲鳴が大気を震わせた。

 それでも群れの猛進は止まらない。

 きらりと太陽に反射するものが先頭の大猪を貫いた。――ルイだ。

 ルイの大剣が大猪の脳天をカチ割る。


「じゃーまだってんですよぉ!」


 赤い影が疾走し、その小さな拳で大猪の鼻柱を粉砕した。

 負けてられないわね、とのんびり呟くのはティアナ。彼女はゆっくりと腕を上げると一気に振り下ろす。――その指に絡まるのは極細の糸。

 それがうっすらと顔を出した太陽に照らされきらきらと輝いている。

 目の前に迫っていた大猪がどさりと崩れた。

 よく目を凝らせば、部位ごとに綺麗に切り分けられた肉片となっているのが見て取れた。

 ぞっと背筋が冷える。

 魔獣の硬い肉をちょっとした動作だけで切ってのけたのか。

 その必殺の糸は薄く風を纏っており、ティアナが軽く指を振るだけで大猪を細切れにする。


「……負けてられないね」


 頬が上気する。興奮していた。

 ぼくも背中の大剣を抜いて構える。

 背後に下がった相棒が術を展開するのを感じながら、ぼくは大地を蹴った。

 大猪とはまた別に空からやってくる大量の黒い塊。――大鷲に似た魔獣だ。ただし大きさは翼を広げた状態で五メートルは下らない。

 高く跳躍し剣を振り下ろす。


「手羽先一丁!」


 重力に引っ張られて翼と落下する横を巨大な火の玉が爆発。


「……焼き鳥一丁」


 地面に降り立ち、男を振り返る。

 彼の周囲には二重三重、いや十は下らない数の魔法陣が展開している。


「さっさと終わらせて寝たい。ああ、でも腹は減ったな……」


 やる気のない声で呟くと、男は腕を薙ぐ。

 同時展開された複数の魔術が一斉に大鷲に襲い掛かる。

 きぃえいえええええええええっ

 大量の悲鳴に耳がおかしくなりそうだ。

 男の一撃で一掃できなかった大鷲に大剣を叩き込んでいく。地味な作業だ。


「やるじゃねぇか」

「そっちこそね」


 下がった先でルイと背中合わせになる。

 周囲は馬鹿みたいに集まった魔獣でいっぱいだ。実に、やりがいがある。


「人間族のくせに魔術の同時展開、複数展開、おまけに詠唱破棄! フレー人として自信失くしそうですねぇ」

「あのちみっこ、大剣は伊達やなかったんやな」


 けらけらと笑うのはホウリョク、悪態を吐くのはギンだ。

 その周囲には既に足の踏み場もないほどの倒れた大猪でいっぱい。

 ぞくぞくと総毛立つ。


(これほどやれるやつら、なかなかいない!)


 これが終わったら手合わせでもしてくれないだろうか。久々に血が沸き立つような興奮を覚えた。

 空を見上げてあと半数を睨み付ける。

 楽しい。


「――楽しい」


 剣を振りかぶって大鷲の脳天に叩きつける。

 援護する男の光の矢がぼくスレスレに放たれる。


「そりゃよかった」


 変わらないやる気のない声。

 矢に貫かれて落ちてくる大鷲の首を刎ねる。この分だとぼくの出番はいらないんじゃないかとさえ思うくらいだ。

 それは流石につまらないのでぼくは大剣を持ち直して一気に振りかぶって――投げた。

 ぎょぁうぐぶぁあぁああああっ

 ホウリョクに四方から飛び掛かろうとしていた二体の大猪の頭が団子のように大剣に貫かれた。


「ちょ、剣……!」


 残りの二体に拳と足を叩き込みながらホウリョクが目を丸くした。

 横から大鷲が急降下してくるのを見て、ぼくは笑う。


「誰が剣士だって言った?」


 尖った嘴が顔に刺さる前に鷲掴み、振り回す。手を離してやれば遠心力で次を狙っていた大鷲たちにぶつかった。

 ぼくは地を蹴って体勢を崩した大鷲の背にまたがる。

 じたばたともがく煩い翼を根元からむしり取った。

 ぎょああぁぁぁあぁっ


「うっさいな」


 拳で軽く小突いてやると脳症を飛び散らして沈黙する。

 うっわ、と何人かが呻いた。


「身体強化魔法もかけずにあの力……流石、魔族の血を引いているだけあって、基礎能力値がえげつないですねー」

「人型魔族でもあそこまでの馬鹿力は見たことねぇよ」


 ホウリョクとルイがなにか言っているが無視だ。

 次の獲物に狙いを定める。

 瞬間、目の前の大鷲が部品ごとに地に落ちた。

 見ればティアナが指を振っている。


「ふふ、わたしたちも負けていられないわね」


 ねぇ、ルイ。優し気な顔と声のままティアナが首を傾げる。

 ルイがにまりと口角を上げた。


「こっちは四人なのに、たった二人に負けてられねぇな」


 おうとギンも答える。

 ぼくらは一度だけ視線を交差させると――一斉に地を蹴った。



 +


 冒険者ギルドをあとにしたぼくたち六人は気分よく足取りも軽かった。

 殲滅数と質のいい大量の核が予定よりも多くの金を生んだのだ。

 ギンは上機嫌に財布の重みを何度も確かめている。

 ホウリョクは「お酒飲みましょう、お酒!」と弾んだ声を出していた。

 討伐数はお互い数え間違えていなければ五分五分。

 結局、依頼料はティアナの、


「これだけ貰えたのだもの、今回は半分ずつでいいんじゃないかしら」


 という言葉できっちり半分ずつということになった。

 これで大剣を研ぎにも出せるし、食料品や消耗品の買い足しも出来る。


「しゃーないなぁ。ティアナに感謝せぇよ、ちんくしゃ」

「ありがとう、ティアナ。でもあんたには感謝する必要はないよね、炙りトカゲ」

「んだと、この白髪金の亡者!」

「うっさいな、この訛り守銭奴!」


 やれやれと男が横で首を振っている。

 ルイがそれを小突いているのが視界の端に見えた。


「……止めなくていいのか」

「いいんじゃないかな……面倒くさいし」


 ねぇねぇと先を歩いていたホウリョクが振り返る。


「そんなことより打ち上げしましょう、打ち上げ! ぱーっと飲みに行きましょう! ほら、アーティアも一緒に!」


 ギンと向かい合っていた腕を引かれる。

 あそこなんてどうです、とホウリョクはぼくを引きずりながら酒場を指した。

 助けを求めてティアナたちを見るが、ティアナはにこにことしたままだし、相棒は眠たそうに目をこするだけだ。


「ちみっこ同士、気が合うんやろ」

「誰がちみっこだってんですか、その目ん玉ほじくり出して酒代にしてやろうかってんですよ」

「やるなら手伝おう」

「こっわ、手伝うなや! 小さいと余裕のうて嫌やわぁ」


 うふふとティアナが笑っている。ルイはもう肩をすくめて我関せずだ。


「あらあら、随分とアーティアちゃんのこと気に入ったのねぇ、ギンったら」

「ティアも猫被らずにあそこまで言い合うやつ、初めて会ったなぁ。よかったな、友達が出来て」

「気に入っとらんわい!」

「友達じゃない!」


 なんか言い出したティアナと相棒に言い返す。声が重なった。

 思わず相手の顔を見上げる。

 ギンは苦い顔をしてこちらを見下ろしていた。



 酒場にて。

 テーブルいっぱいに料理が並び、全員の手には酒の入ったグラスが。

 わいわいと騒がしい酒場の中でも負けない声でホウリョクがグラスを掲げた。

「いいですか、アーティア。ギンをヤるときはこう、抉るようにですよ! 抉るように打つべし!」


「抉るように……なるほど」


 既にホウリョクは一人で瓶をいくつか空けている。ぼくも弱い方ではないが、ペースが速い。


「なんがなるほどやねん」


 ホウリョクの隣でギンが呟く。


「おっまえ、ようこんなちんくしゃ金の亡者と一緒に旅出来よんなぁ」


 ギンは隣の男のグラスに酒を注ぎながら絡む。こちらはうっすらと頬が赤い。


「んん……いや、確かにティアは金の亡者だけど……うん、いいところもあるよ」

「……ちなみに、どこや」

「……………………」

「考えんのかい!」


 なんか色々言われている。

 久々の酒でぼくも少しふわふわしているのか、そちらに突っ込む気はなかった。


「……ちゃんと朝起こしてくれるところ、とか」

「オカンか!」


 誰がオカンだ。


「…………ティアのいいところは、おれが知っていればいいかなぁ、って……」

「……は?」


 思わず男を見た。

 男は――がくりとギンの肩に頭をもたれて眠っていた。


「……は?」


 きゃあっ、とホウリョクが楽しそうに声を上げた。


「なんやこいつ、惚気るだけ惚気て寝落ちかい……」


 すやすやと眠る男の頬はうっすらと上気していて、結構な量を飲んでいたのだと気付く。


「……酔っ払いの戯言」

「えぇ? うっかり出た本音じゃないんですかー?」


 ケラケラと笑うホウリョクを押しやって、グラスを一気にあおる。アルコールの苦みが嫌に口いっぱいに広がった。

 ふへへと笑うホウリョクもそろそろ一人で樽を空けそうだ。


「でもぉ~、でもですよぉ?」


 ぺたりとホウリョクはテーブルに片頬をつける。目がとろんとしていた。


「……アーティアにはヴァルがいるんですからぁ、ギンのこと好きになっちゃダメですよぉ」

「……ならないから安心して」


 ふへ、とホウリョクは嬉しそうに笑う。


「ギンはですねぇ、好きな人がいるんですよお。ずーっとずーっと好きで追いかけてる人。だぁからぁ、わたしも好きになっちゃダメなんですよぉ。ギンはずーっと彼女さんのこと想ってるんですからねぇ~。ふふ、アーティアはちゃーんとヴァルを捕まえとかないとダメですよぉ」


 ぶふっ、とホウリョクの横でギンが酒を吹いた。

 ティアナがあらあらと楽しそうに笑いながら甘そうな酒を傾ける。


「う~? ギン? きったねぇですねぇ~、もったいないことしてんじゃねーですよぉ」

「……悪ぃ」


 ぼくはなにを聞かされて、なにを見せられているんだろう。

 見ればホウリョクは力尽きたようで安らかな寝息を立てている。

 ルイは苦笑しているし、ティアナはにこにこと微笑んだまま新しい酒を空けている。

 ティアナの前にあった瓶をひっくり返し、グラスに注ぐ。

 甘そうな淡い桃色がグラスになみなみ注がれたのを確認して、ぼくはそれを一気に飲み込んだ。

 甘い。


「……あっま」


 だけどアルコールがほんのり苦い。

 甘くて甘くて、舌が溶けてしまいそうだ。

 このまま酔いに任せて眠れたら気が楽だろう。でも男が寝落ちしたから宿に運ぶのはぼくの仕事だ。

 気を取り直して地酒をグラスに注ぐ。手酌だとか、そういうのは気にしない。

 それにちみちみと口をつけていると、ギンが男を指差して、


「そんで、ヴァルはどうしたらええねん」

「その辺に転がしておいて」


 どうせ一度寝たらなかなか起きない。

 仲が良いわねぇと微笑むティアナの言葉に否定も肯定もせず、ぼくは取り皿に揚げ物を取る。

 ふとギンがぼくに目を向けた。


「そういえば、お前また眼帯してんだな」


 言いながら自分の右目を指す。


「流石にずっとじろじろ見られたいもんじゃないし」


 下手な地域だと魔族差別があったりもする。自衛のためだ。

 ふうんとルイはグラスを傾けた。

 少し考えて、声を潜めるようにしてぼくの名前を呼ぶ。


「アーティアは――そっちの親を憎んだことはあるか?」

「あるよ」


 手掴みで芋の揚げ物を口に放り込む。少し冷めていたが、まだ中心はほくほくと温かかった。


「じゃあ……殺したいと思ったことは」


 ルイの金に光る橙の双眸を見た。真剣な目。

 ぼくは口の中のものを片付けて、地酒をあおる。


「――あるよ」


 美味い酒と料理の場で話す会話ではないな、と思いながら海産物の揚げ物をかじった。じわりと海の味がする。


「実行したのか?」


 首を横に振る。


「出来なかった。まだ幼かったからね。……あんたは」

「……今でも殺してやりたいと思ってる」

「やらないの」

「居場所がわからねぇ」

「はは、ぼくと一緒だ」


 くつくつと笑うと、ルイは不愉快そうに顔をしかめた。


「……まさか、オレのきょうだいとか言わねぇよな」


 酒を吹きだすかと思った。

 流石にそれはないと思いたい。

 魔族の生殖は胎生だけとは限らない。突然発生するやつもいれば、卵生もいるし突然変異ということもあり得る。下位存在ともなれば人様の子どもの身体を乗っ取り、母胎を食い破って生まれてくるような外道もいる。

 異種族間での恋愛事は基本的に禁止されていないが、どこぞでは別種族が交わると魔族が生まれると言われているらしい。

 そんな馬鹿なと言い切れないことが恐ろしい話だ。

 しかし神族と人間族は胎生。しかも人間族以外は一目見ただけでは年齢などわからないほど不老長寿だったりする。

 やつらの長い生涯、何人妻に該当する者がいてもおかしくはないが……。

 一先ずの救いはぼくとルイに似通ったところがないことだ。


「……………………そっちの親の名前は?」


 ルイが顔を引き攣らせて尋ねる。

 そんなに心当たりがあるのか。嫌だな、そんな心当たり。


「……確か、父親の名前は――アライア」


 がっくりとルイの肩から力が抜けた。


「じゃあ違うか。……安心した」


 ふうん、とぼくは適当に相槌を打つ。


「そっちは父親? 母親?」

「……父親に当たる野郎だな」

「魔族の雄はなにしてんの」


 まったくだ、とルイは酒を一気にあおる。

 そういえば、魔族が胎生で生まれようとすると高い確率で失敗するという話を聞いたことがある。死産が多いが、だいたいが魔獣のような下位存在になってしまうとか。

 だから胎生を試みるのは自分の能力を残したいとか、恋愛の末だとからしい。後者はめったにないようだが。

 ……ぼくとルイは、こうして普通の人の姿を持って生まれてきたことは幸運なのかもしれない。

 例えその生を憎むしかないとしても。


(どういう理由でぼくを産ませたんだろう、あのヒト)


 一緒に暮らしていなかったし、そもそも顔も朧気だ。


(最後に会ったのは……いつだっけ)


 覚えていない。

 というか幼いころのことをあまり覚えていないことに気付いた。

 母が死んだころからだ。

 ずきりと頭が痛む。

 飲み過ぎたか。

 見ればルイもだいぶ顔が赤い。


「……全員、飲み過ぎじゃないかな」


 そうかもね、とティアナの優しい声がして、ぼくは意識を手放した。

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