第9話 魔獣狩りの日 1
そこそこ賑わっている町に着いた。
薄い雲が空を覆っているものの、雨も雪も降りそうにない。かと言って息が白くなるほど寒いわけではないが。
ぼく――アーティアは横で外套の前を掛け合わせる眠たそうな男――ヴァーレンハイトを見た。
「ぬくい……お布団が恋しい……」
確かに野営ばかりでとんと久しく柔らかいベッドで眠っていない。
だが今はまだ昼前だ。そろそろ早めに昼食を確保した方がいいかもしれない。
そうは思ってもまずは仕事の確保だ。今ばかりは早く仕事をこなさないと死活問題なのだ。
……荷物の中から財布を取り出す。嫌に軽い。
「先に仕事するよ。でなきゃお昼も食べられない」
「……うん……」
珍しく素直な男も、こればっかりは仕方ない。
何故なら金がないのだ。悲しいくらいに。
なんでそんなに金がないかと言えば、この町に来るまでの道中、魔獣に食われたからだ。きらきらしたものを主食とする珍しい魔獣だった。
そいつを捕らえて討伐すれば戻ってきたかもしれないが、残念ながらぼくも男も空は飛べない。空を駆けるその魔獣はぼくらを嘲笑うように一鳴きして遠くの山の方へ飛び去って行った。
せんせいはむせるほど腹を抱えて笑っていたが、ぼくは呆然とそれを見送るしかなかった。
男の魔術が間に合わないなんて、と思ったらやつはやつで別の魔獣に食いつかれていたらしい。それだけならまだしも、その魔獣に荷物を振り回されて、なんの嫌がらせか財布だけ近くの谷底に落としたのだという。
……呆気に取られてなにも言えなかった。
せんせいが大笑いするはずだ。二人揃って財布をなくしているのだから。
なのでぼくらは腹が減っていても食堂を探すわけにはいかないのだ。
「……唯一の救いは道中で狩った魔獣の核がいくつかあることか……」
それだけでは軽食くらいしか買えないが。
これ以上考えると悲しい気持ちになって泣きたくなる。ぼくはぱちんと頬を叩いて息を吐いた。
男も流石にやる気を出したようだ。
なんたって、先立つものがなければ愛しのお布団に会うことすら出来ないのだから。
ぼくらは真っ先に冒険者ギルドの看板を探し、その扉を開く。
カランカランと扉につけられた鐘が鳴った。
いらっしゃい、と低い声。受付台を見ると無愛想な妖精族(フェアピクス)が台の上で胡坐をかいていた。その身長は三十センチあるかないか。妖精族の中でも小さなエティプス人だ。
その証拠に彼の背中には蝶のような色鮮やかな翅が生えているのが見える。
依頼書リスト見せてと言うと、彼はちらりとぼくを見てからリストの束を示した。勝手に見ろということか。
複写の束を持って待ち合い用の椅子に座る。男も横に座った。
他にも数名、冒険者パーティらしきグループがいるのが視界に入る。
パラパラとめくっていると、ぼくの財布を奪った鳥のような魔獣に懸賞金が掛けられていた。やっぱり他でも似たような事例が後を絶たないらしい。
男を襲った魔獣の姿は見当たらなかった。新参だったのだろうか。
道中狩った魔獣が数体、懸賞金を掛けられているのも目に入ったがいずれも少額。二人分の宿代になるかならないかだ。
まぁ、換金しないわけにはいかない。
無愛想な受付台の住人と何度かやり取りをして、今日の宿代を確保する。
「まだ食糧とかの買い出し分すらない……仕方ない、ちょっと大きい仕事探そう」
「……お手柔らかに……」
というか男も仕事を探してもいいのだが?
ぺらりとめくった依頼リストを見る。魔獣の群れ討伐。数が多いのか、随分と気前のいい金額だ。
(これだ!)
男を見る。
男は面倒くさそうに、けれど他の仕事よりはわかりやすいと頷いた。
意気揚々と椅子から立ち上がり、受付へと向かう。
「No.S-二〇八の依頼請けたいんだけど」
「No.S-二〇八の依頼請けたるわ」
ぼくの声にぴったり重なる男性の声。
は、とぼくは隣を見上げた。
対する男性もぼくを見下ろした。
妙な訛りのある男性だ。黒髪を帯状の布でぐるぐる巻きにした頭、褐色の肌は健康的で首に巻いた白い布がよく映える。ダボッとした砂色のパンツとぴったりした黒いシャツにサンダル姿は今の時期では少々寒いのではと心配してしまいそうだ。
切れ長の目は灰色で、丸耳に見えるがよく見れば少し歪な形。魔力の質が砂漠を思い起こさせる色をしていることから、彼は亜竜族(ノ・ガルブス)だろう。
亜竜族は大昔に龍族(ノ・ガード)から分かたれた種で、龍族の劣化版と揶揄されることもある。獣人族(ビァニスト)の流れも組むとも言われる竜人だ。
身長は男と同じか少し低いくらい。高身長から見下ろされるのは不愉快だなと思った。
男性はぼくをじろじろと見やると、ふっと鼻で笑った。
「オレが先や。ちみっこはおうち帰ってママのお料理でも食うとき」
かちん。
はは、と乾いた声が漏れる。
後ろで男がはわわとかなんとか言っているが知ったことか。
「ぼくが先だ、変な訛りトカゲ。寒さで動けないんじゃないか」
びきりと男性の額に青筋が浮かぶ。
亜竜族は龍族よりもトカゲや蛇にも近しいともされ、そう言われるのを酷く嫌う。
「んだと、このちんくしゃ! 年長者への態度がなっとらんのぅ!」
「黙れ、焼け焦げ肌。寒くて光合成しすぎて脳みそまで焦げたんじゃないの!」
減らず口ドチビと言われればぼさぼさ頭全刈りしてろと返し、どっちが年長者かわからないほど低能だなと言えば可愛げない上にしつけがなってないガキがと返される。
男が後ろから呼ぶのが聞こえたが無視だ。
「お、おう……ティア、どうどう」
「うっさい黙ってろ、ヴァル。このオオトカゲ、ぶちのめす!」
「おお、よう言うたなぁ、この白髪ネギ! 吠え面かかしちゃるわ!」
「えぇ……」
諦めた男を放って男性と睨み合う。
その後ろにぼくと同じくらいの影がふらりと寄ったのが見えた。
「もう、生温いですねぇ。こういうときはこうするんですよ☆」
楽しそうに弾んだ声が聞こえたと思った瞬間、男性が頽(くずお)れる。
はっと目を瞬かせれば、ぼくより多少背の高い少女の拳が男性の腹にめり込んでいた。
言葉にならない声を発して男性が床に倒れ込む。
少女を見れば、にっこりとぼくらに笑いかけながら、
「ね、簡単でしょ」
と言った。
「そ、そうです、か……」
男も思わず敬語になる早業だ。
ぼくは少女をよく観察する。
新緑色の髪は肩につくかつかないかの長さで切り揃えられ、そこから覗く耳は長い尖り耳。薄い臙脂を基調とした長袖のシャツとケープがよく似合っている。七分丈に折られたズボンと短いブーツ、旅の軽装だ。目は赤みがかった秋桜。――妖精族のフレー人。
この亜竜族男性と知り合いだろうか。
……知り合いでもないのに出合い頭に腹パンはドン引きするから知り合いであってほしい。
少女はにこにこと、しかし困ったように眉を寄せた。
「連れが失礼しました。……でも、わたしたちもこの任務請けたいんですよねぇ、どうしましょうね」
ううん、と少女は首を傾げる。
そしてふわっと笑うと、手をぱちんと叩いた。
「そうだ、わたしたちと共闘――というか、競争しませんか。どっちが多く魔獣を狩れるか! そうです、そうしましょう、それがいいですよ」
競争? ぼくと男の声が重なる。
はい、と少女は元気よく答えた。
「このお仕事、魔獣の群れを退治してほしいってことじゃないですかー。だから、どっちが先に殲滅させられるか、どっちが多く魔獣を狩れるかってぇことです」
「……勝った方が依頼料総取り?」
「はい、って言いたいところですけどぉ、流石に全部持ってくのも持ってかれるのも嫌ですし、勝ったら七割くらいでどうでしょう」
「……八割」
おお、と少女は目をぱちくりさせる。
「強気ですねぇ! いいですよいいですよ、わたしそういうの大好きです。でもわたしたち、二人じゃなくて四人なんですよねぇ。……だいじょぶです?」
「望むところだ」
後ろで男が「えぇ……望まないでほしい……」とか言っているが無視だ。
ぼくと少女はがっしりと手を握りあう。
「ふっふふー、負けないってんですよ」
「そちらこそ、あとで泣きを見ないようにね」
ふふふ、と二人で笑い合う。
「もう好きにしてくれ」
男が背後でため息を吐いた。
+
依頼を請け付けて、町の外に出る。魔獣がいるのは町の南側だという。そちら側は田畑が広がっていて、おそらくそれを狙った群れがやってくるのだろう。
そうなると猪型か小型鼠系か、それとも鳥型か。依頼書にはいくつか目撃証言があったがはっきりしないものだった。もう少し詳しく依頼してほしいところだ。
先に着いたぼくと男は周囲の様子や地形を把握するよう辺りを見渡す。
そういえば昨晩、雨が降っていた。地面がぬかるんでいて不安定だ。気を付けないと。
そうこうしているとトカゲ野郎と少女が新しく二人の男女を連れてやってきた。
どうも、と挨拶をしつつ新しく来た男女を観察する。
まずは男性の方。
相棒と同じくらいの身長で、肩にぼくと同じような大剣を抱えている。その姿は隻腕、左腕の断面を隠すように羽織った外套は襟が大きく開いている。ぴったりとした袖のないシャツに足が長いことがよくわかるすらりとしたズボン。金色に光る橙の目は捕食者のそれ。
特徴的なのは右目を失っていないのが不思議なほど大きな縦傷。
一目でこの四人パーティの顔役だとわかった。
次に女性の方。
優しそうな淡い葉色の右目。左目は長い前髪で隠され、ふわりとした優しい色の金の髪は長い。
肩が大きく開いたマーメイドドレスは、女性のスタイルを最大限に引き出しており、同性と分かっていてもどきどきするような魅力的な女性だ。身長は高い方で、ヒールを含めて一七〇センチはありそうだ。
二人とも面白い魔力の質をしている。
女性は魔法族(セブンス・ジェム)――風魔法族(ウィンディガム)だ。自分たちの集落から出ているのは珍しい種族。
そして男性の方は――。
「……魔族(ディフリクト)のにおいがする」
はっと男性がぼくを見下ろした。
ていうかこのパーティ、首が痛くなるな。
一番背の低い少女はぼくより十センチから十五センチほど高い程度だから首に優しい。
なんで、と男性が呟く。
「――なるほど、魔力感知能力か」
男性が頷くのに、ぼくも頷いて返した。
魔力感知能力はあまり持っている人はいない能力だ。対面した相手の魔力の質を嗅ぎ取り、種族を特定する。役に立つか立たないかは微妙なところだ。
人によっては嫌がられる能力だし。あまり公言はしない。
そうか、と男性が考え込む。
「魔族のにおいだけど、なんか違う気がする」
「違うって?」
「わかんないけど」
男も首を傾げている。男が嫌悪する様子がないし、よからぬ魔族ではなさそうだけれど。
ふいに男性がまぁいいか、と呟いた。
再び見上げると、困ったように眉を寄せて頷く。
「確かに魔族の血は入ってる。……半分だけ、な」
「!」
ぼくは目を瞬いた。
ぼくと同じか。
「魔族と人間族だ」
そう、と答えてぼくは――右目の眼帯を取った。
隣で男がはっとぼくを見た。
「その金眼……」
「同じ人に会うとは思わなかった」
男性たちがぼくの目を見て目を丸くする。
右目が金、左目が赤。魔族と神族(ディエイティスト)の証。
相棒以外に晒すのは久しぶりだ。
ちょっとだけ心臓がどきどきしている。
ふ、と男性が笑った。
くしゃりとぼくの白髪を、大きな手が撫でた。
「オレは人間族のルイ。隣がティアナで、そっちがギンとホウリョクだ」
女性――ティアナを見る。名前がちょっと似ているな。
「……ぼくは混ざり者のアーティア。こっちはヴァル」
トカゲ野郎――ギンの隣で少女――ホウリョクがよろしくーと笑った。
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