第7話 姫と騎士

 大きな街に着いた。

 空は快晴、気温も心地よい。絶好の仕事日和だ。

 ぼく――アーティアは相棒の男――ヴァーレンハイトを連れて冒険者ギルドに顔を出した。

 カランと鐘がなる。

 頭が天井に突っかかって首を傾げた姿勢になっている女性が受付をしていた。巨人族(ティトン)だ。彼女たちは平均三メートルから五メートルの身長と岩のように頑丈な体躯が特徴的な種族だ。

 古代種になると数百メートルにもなるというが、ぼくはお目にかかったことがない。

 彼女は建物に入ってきたぼくたちに接客用では満点の笑顔を見せて声をかけてくる。


「こんにちは、冒険者ギルドへようこそ! ご依頼ですか、それとも請け負い、資源の交換ですか?」

「請け負える依頼はある?」


 受付に近寄り、依頼リストを見せてもらう。

 いくつか倒した魔獣がリストに載っているのを確認して、受付嬢にそのリストを見せる。


「これなら一昨日、討伐したよ。証拠はこの核」


 そう言って荷物の中から緑色に光る丸い玉を取り出す。これが核だ。

 色は様々で、大きさもまちまち。

 受付嬢は核を手に取り、鑑定の魔術を展開する。


「――まぁ、とても状態のいい核ですね。はい、リストの魔獣と一致しました。こちらが懸賞金と追加の核譲渡代です。ありがとうございます」


 そのやり取りを三度ほど繰り返して、ようやくぼくの荷物から魔獣の核が消えた。

 ついでに珍しい薬草も引き取ってもらえたので満足だ。

 横にいたはずの男はいつの間にか待ち合い用の椅子の上で寝こけている。まぁ、いつものことだ。

 ため息を吐いて、受付嬢に向き直る。


「宿の場所と、新しく請け負える仕事を教えて」


 はい、と受付嬢が変わらない笑顔でリストを捲る。

 他に冒険者職はいないようだ。もしかしたら受付嬢も暇していたのかもしれない。

 受付嬢と新しい討伐の仕事や護衛の仕事があることを教えてもらいながら、どれが割のいい仕事か考えている――と、カランと扉につけられた鐘が鳴った。

 新しい来客か、と受付嬢がリストから顔を上げる。

 ぼくも釣られて扉を見た。


「まぁ、とってもこじんまりとした可愛いお店ですのね」


 ふんわりと、鈴を鳴らすような清い声。丁寧な、のんびりとした口調。

 ぽかんとぼくは口を開ける。

 薄く桃色がかった髪は美しく櫛梳られ、毛先に少しウェーブがかかっている。それをゆったりと髪飾りでまとめ、大半を背中に流した髪型。

 首の詰まった襟には豪奢なレースが縁どられ、袖やスカートの裾には細かい刺繍が施されたツーピース。ほっそりとした手には白い手袋が嵌められている。

 ほっそりとした腰と張った胸元が目を引き、すらりとした足はブーツに覆われ露出は少ない。

 真っ白な肌は人形のようにきめ細かく、興奮しているのか上気した頬は薄い紅色。

 きらきらとした碧眼は嬉しそうに細められ、部屋の中をきょろきょろと見渡している。


(……ど、どこのお嬢様だ……)


 いっそどこぞのお姫様と言ってもいい女性がそこに立っていた。

 耳は丸耳、魔力は感じられないから人間族(ヒューマシム)だろう。

 よく見ればその足元に小さな子どもがおどおどと身を縮めているのが見えた。

 こちらもこちらで特徴的だ。

 銀色の胸当て、お揃いの篭手に脛当て、ブーツ。頭に被るのはやっぱり同色の兜だ。外套は短く、手にした槍には鞘がつけられている。

 暗い茶の髪が兜からはみ出ているのが見える。丸い目は女性とは違う青目。

 見事な見習い騎士がそこにいた。

 十人中十人が見習い騎士だと答えるだろう。

 ただ、その身長はぼくと同じか低いくらい。対して女性はヒールのせいもあって一七〇センチはあるだろう。

 凸凹な二人組だった。


(いや、ぼくとヴァルも大概凸凹だけどさ……)


 お忍び(忍べているとは言っていない)のお姫様と振り回される騎士だろうか。

 こんなどう声を掛けたらいいのかわからない二人組にも、受付嬢は優しく果敢にも声をかける。


「ご依頼でしょうか」


 女性は受付嬢を見上げてぱっと笑顔を咲かせた。

 丁寧にスカートを摘み上げ、ゆったりとお辞儀をする。


「こんにちは。ええ、お仕事をお願いできるのですよね、ここ」


 はい、と受付嬢は頷く。天井がごそりと擦れた。


「観光に付き合ってくださる護衛が欲しいのですけれど……あまり怖くない方がいいわ」


 そこでようやく女性の目が僕を見下ろした。いや、視界には入っていたのだろうけれど、意識には入っていなかったのか。

 まぁ、と女性が近寄ってくる。騎士の少年が慌ててそれに従った。


「まぁまぁまぁまぁ! とっても可愛らしいお嬢さんですわね。……でも、ここにいるということはきっと冒険者さまなのでしょう? ねぇ、そうでしょう?」


 唐突に両手を包み込まれる。ぎゃあと少年が悲鳴を上げた。

 ……悲鳴を上げたいのはぼくの方だ。


「あなたのお名前は? 一人ですの? この街の方かしら……よかったらわたくしの依頼を請けてくださいませんこと?」

「え……えぇ……」


 のんびりとした口調の割に矢継ぎ早にまくし立てられ混乱する。

 なんだこのお嬢様。


「姫さ……お嬢様、やっぱり止めませんか……帰りませんか……」


 おどおどと少年が女性の顔を見上げる。

 女性はにっこりと少年を見下ろした。


「……なんで見習いとはいえ騎士がいるのに、わざわざギルドで護衛を雇おうと?」


 こちらを向いた少年の耳がちらりと見えた。丸耳。うっすらと大地の魔素を感じることから小人族(ミジェフ)だろう。子どもの姿をしているからそのうちのテドディム人だと推測する。

 職人気質の小人族が貴族様の騎士とは珍しいなと思わず少年を見た。

 少年はびくりとぼくの目から顔を逸らした。失礼なやつだな。


「だってこの子、一人じゃ危ないっていうんですもの。だから、人数を増やせば安心でしょう?」

「いや、姫……お嬢様が一人じゃ危ないっていう意味です……」


 そういう意味ではないのですが、と少年騎士は肩を落とした。

 依頼内容的に簡単そうではある。問題は支払いだ。

 とりあえずぼくは受付から左にずれ、女性を受付嬢に任せる。

 女性は少々戸惑いながら、受付嬢の言うがままに依頼要請を完了した。


「資料の作成が完了しました。――ロードフィールド様、ご依頼請け負いますか」

「資料見せて。……ふぅん。いいよ、請ける」


 かしこまりました、と受付嬢は頭を下げる。また天井がぞりっと擦れた。


「まぁまぁ、請けてくださいますの? ありがとうございます!」


 女性は手をぱちんと叩いて喜んで見せる。後ろで少年はがっくりと肩を落としていた。

 金払いがいいからね、とは流石に口にしなかった。

 受付嬢と二、三やり取りをして依頼を請け負うと、待ち合い用の椅子で寝こける男を叩いて起こす。


「ヴァル、仕事だよ」

「えぇ……面倒くさい……」


 もう一度、叩く。ようやく男は立ち上がった。


「……依頼、なに……」

「観光のお手伝い」


 えぇ、と男は目を丸くする。

 それを無視してぼくは女性と少年の前に立った。


「ご依頼、承りました。ぼくはティア。彼が相棒の、」


 男に視線をやる。


「ヴァル」


 それだけ名乗ると、男はへらりと笑った。

 まぁ、ぼくらの名前なんてどうでもいいんだけど。


「まぁまぁ、ありがとうございますわ。わたくし、セシールと申します。こちらは護衛騎士のニコラですわ」


 うふふと女性――セシールは満足そうに笑った。



 まずはなにをしたいのかと問うと、この街を見て回りたいのだという。

 この街は大きい。とても一日じゃ見て回れないくらいに。

 それを指摘すると、女性は「そうなんですの?」と目を丸くした。

 ギルドで貰ったこの街の観光案内を流し読みしながら、比較的治安のいい場所を頭に入れる。


「まぁまぁ、ではこの街の人たちが暮らしているところが見たいですわ。それからみなさんが食べているものを食べて、遊んでいるところを見たいわ。それから、それから……」

「わかった、住宅地区を一回りしてどこかの食堂に入ろう。地域密着型なら……酒場かな」


 酒場! と二種類の声が重なる。


「まぁまぁまぁまぁ! あれですわね、酒場とは荒くれ者がカップを突き合わせて中身を零しながらお酒を飲む場所でしょう! まぁ、素敵!」

「さささささ酒場って! ひ――お嬢様をそんな下賤な場所へ連れて行くわけには!」


 うるさいな、この二人。

 女性は女性でなにか勘違いしているし、少年は少年で失礼だ。下賤で悪かったな。


「わかった、下町の食堂くらいにしておけばいいの?」

「えぇ……残念ですわ」

「お嬢様、少しはご自分の身分を弁えてください……」


 なし崩しにぼくが道案内として先導することになり、女性があれはなにかこれはなにかと尋ねるのに適当に答えながら住宅地区を目指す。

 観光には場違いなそこでは、主婦や主夫たちがあちこちで掃除をしたり井戸端会議をしたりしている光景が広がっていた。定住していたら見慣れている光景だろう。

 外で働いている人はこの地区からは出ているのだろう、そういうはっきりした作りをした街だ。子どもたちは大人の手伝いをしたり、子守をしたり、走り回って遊んだりしている。

 こんなものを見て、なにが楽しいんだろうか。

 ちらりと女性を伺うと、きらきらとした目で辺りを物珍しそうに見ていた。


「みなさん大変そうだけれど、随分と楽しそうにしているのですね」


 すたすたと進み出る女性を慌てて少年が追う。

 場違いな二人組を住人たちは目を丸くして見ていた。

 変なやつが近付かないよう牽制しつつ、ゆっくりと二人を追うぼく。男は半分眠っているので外套を引っ張って引きずった。首が絞まっているが知ったことか。

 女性は子どもに好きな食べ物や将来の夢を聞いたり、大人にこの街の領主はどんな人か尋ねたり、趣味やよく行く店を教えてもらったりしていた。

 後ろを付き従う少年は洗濯を手伝おうとしたり、走ろうとする女性を慌てて止めている。

 一瞬こちらを伺うように見られたが、そんな目で見られても依頼内容は案内と護衛だ。子守りは入っていない。

 戻ってきた女性は満足そうに、


「この街の領主様はとても腕の良い統治者なのですわね。みなさん、幸せそうですわ」

「ひ――お嬢様、お転婆が過ぎますよ」


 ひぃひぃと息を切らす少年はもう少し身体を鍛えた方がいいと思う。筋力のつきにくいテドディム人には酷だろうが。

 あと少年はいい加減、言い間違いを認めた方がいいと思う。

 そのとき、ぐぅ、と二つの音が重なった。

 横を見れば、男が切なそうに腹をさすっている。

 もう一つは恥ずかしそうに俯く少年だ。

 あらあら、と女性は上品に微笑む。


「……そろそろ昼食にしようか」

「……はい……」


 地図を見ながら店が並ぶ地区に足を踏み入れる。

 女性が「白い小鳥亭というところがみなさんのお気に入りだと聞きましたわ」と言うので、そこに向かう。

 白い小鳥亭は大衆食堂だった。

 女性と少年に好きなものと嫌いなものを尋ね、それを参考に適当に注文する。この昼食代も依頼料に含まれているから心持ち多めに頼んだ。流石に仕事中なので酒は頼まない。


「……酒は頼まない」

「……残念……」


 男が肩を落とすが、わかっているのだろうか。以前、飲酒しながら護衛任務に向かって耳が痛くなるほど怒られたことを。

 女性は辺りをきょろきょろと見渡している。少年はその椅子の後ろに立っていた。


「……座らないのか」


 男が声をかけるが、少年は首を横に振る。


「自分、職務中でありますので! それにひ――お嬢様と同じ席に着くなど……」

「まぁ、気にしなくてもよろしいですわ。だって、ティア様もヴァル様も座っていらっしゃいますわ」


 ……正直、身分というものになじみがないからマナーがなっていないだけだ。

 あと普通に女性に手を引かれたのでそのままの流れで座ってしまったとも言う。

 じっとりとした少年の目を見ないようにしつつ、給仕が料理を運んでくるのを待った。

 しばらくして運ばれてきたのは色鮮やかなソースのかかった分厚い肉、マカロニサラダに野菜のスープ。それから山盛りの揚げ物、焼き立てのパン、魚のムニエル、乾酪のグラタン、串焼き、穀物のリゾット……。

 正直、頼みすぎた気がしなくもない。まぁ、どうせルッコラ一つ残らないだろうけど。


「姫――お嬢様、毒見を……」

「まぁ、熱いうちに食べなければシェフに失礼ですわ」


 小うるさい少年の口に揚げたての揚げ物を一つ突っ込む。


「~~~~っ!」


 言葉にならない悲鳴を上げているうちに首根っこを掴んで席に座らせた。

 それから言われる前に取り皿に料理を盛っていき、全て一口、口を付ける。


「はい、毒見終了。お嬢様も冷める前に食べたらいいよ」


 まぁ、と女性は嬉しそうに微笑む。


「てぃ、ティア殿! いきなりなにをするのですか! 自分は……」

「はいはい、冷める前にあんたも食べて。腹が減ってはなんとやら、でしょ」


 ぐぬぅ、と呻く少年を無視して、今度は自分の分を取り皿に取る。

 横で男がやってほしそうにこちらを見ていたが無視だ。自分で出来るんだから自分でやれ。

 これはなんですか、これはなにで出来たお料理ですか、といちいち尋ねてくる女性に適当に返事をしながら肉を頬張る。

 確かに住人たちが名を上げるにふさわしい味だった。


「実はわたくし、三日後に結婚式なんですの」


 ぐっ。唐突な女性の言葉に思わず肉を吹き出しそうになる。必死に飲み込み、布で口を拭く。

 見れば少年も驚いたようで喉にものを詰まらせたようだった。

 男は話を聞いているのかいないのか、黙々とパンをかじっている。

 はぁ、と息を吐いて女性を見た。

 相変わらずにこにこと微笑んでいる。


「……確か、三日後はこの街の領主様の結婚式だったっけ。で、あんたはその婚姻のために遠くからやってきたお貴族様のお姫様。でしょ」

「あら、ご存じでしたのね」


 くすりと女性が笑う。

 この街で領主は慕われているのだろう。冒険者ギルドでも三日後の何時からお披露目だのと大きく書かれた紙が貼ってあったし、行く先々でも祝福する声を聞いた。

 流石に最初はまさかとは思ったが、女性がどこぞの貴族の姫君なのは疑いようがない。

 ただ疑問なのは、どう見ても見習い騎士だけを護衛につけていることと忙しいだろうに呑気にこうして街を観光していること。


「わたくし、自分が嫁ぐ街を見て回りたかったのですわ。午前中だけですけれど、とってもいい街だとわかりました。みなさんのおかげで、わたくし、この街が好きになれそうですわ」


 ゆるく微笑むその顔に、言葉に嘘はない。

 だが瞳の奥には悲しみが見えた。

 ああ、そういえばこの街の領主にはお気に入りの愛妾がいるのだという話を聞いた。

 それでか、とぼくは納得する。

 家のために嫁いできたのだろうに、領主にとって彼女は必要ではないのだろう。だから侮られて見習い騎士の一人しか連れていない。


(酷い話だ)


 けれど、ない話ではない。

 この時世、どこにでもあるような話だ。

 姫の横で、唯一の騎士は項垂れ鼻をすすっている。

 おまえが泣いてどうする。

 ねぇ、と女性が更に口を開く。


「ティア様、わたくしを攫って行ってくださらない?」

「はぁ?」


 流石に驚いて女性の顔をまじまじと見た。

 その目の色はきらきらしていて、本心をにじませていない。


「だって、ニコラったら、それは出来ませんっていうのよ」


 当たり前だろう。なにを言っているんだ、このお姫様は。

 驚いて立ち上がりかけた姿勢を椅子に戻し、肉を切る。

 女性も同じように銀食器を使って綺麗に肉を切り分けた。

 ぼくとは全く違う、丁寧で美しい所作だった。

 しばらく食器のぶつかる音と周囲の話し声だけが耳に届く。


「……攫われて、どうしたいのさ」


 皿を空けて、水を飲んで一息吐く。

 女性はパンをちぎりながらきょとんと眼を瞬かせた。


「お二人と一緒に冒険なんて出来たら、きっと素敵ですわね」

「…………きっと似合わないから、止めた方がいいと思う」


 そうですかー、と女性はしょんぼりと肩を落とした。

 どこまで本気なんだろうか。


「旅は危険だし汚いし、痛いし苦しいし、あんたが思うほど楽しいもんじゃない」

「あらあら……では何故ティア様は旅人さんをしてらっしゃるの?」


 言いよどむ。

 はぁと吐き出して女性と少年を見た。二人の視線はぼくに集まっている。


「それしか道がなかったからだよ」


 そう、結局、理由はそれしかないのだ。


「ぼくは理由があって定住出来ない。……犯罪歴はないはずだよ、一応。あんたみたいにしっかり教育されて、綺麗にしてもらって、人から愛されることに慣れている人には無理だよ」


 言い切って、パンを口に放り込む。

 横で男がこちらを見ていたが、すぐに目の前のグラタンを取り分けて食べ始めた。

 あれだけあった料理も、いつの間にか半分以下になっている。


「……ティア様は、お優しいのですね」


 ……パンが喉に詰まるかと思った。

 いきなりなにを言い出すんだ、このお姫様は。

 女性を見ると、ふわりと花のように笑う。どういう笑顔だ。


「ティア様は、わたくしを諦めさせようと色々言ってくださっているのですね。うふふ、叱ってくれる方がいるのはいいことですね」


 別に叱ったつもりはない。

 魚は水中に、鳥は空にいるべきだと言っただけだ。

 それでも女性はうふふと微笑む。


「だって、なにも言わずにすぐに断ってもよかったんですのよ。ふふ、ごめんなさい。半分本気だけど、半分は冗談のつもりでした」


 あんたの冗談はわかりにくい。


「わかっていますわ。わたくしにはわたくしの生き方がある。ふふふ、こんな小さい子に叱られてしまいました」

「……言っておくけどぼく、人間族のあんたよりはずっと年上だからね」


 あらまぁ、と女性は笑った。

 姫様、と少年が小さな声で言う。

 大丈夫、と女性は隣の少年に微笑みかける。


「わたくしには、こんなに可愛い騎士様がいらっしゃるのだもの。大丈夫ですわ」


 にっこりと笑ったその顔は、本日で一番輝いていた。



 +


 わぁっと歓声が上がる。

 大通りを豪奢な馬車がゆっくりと通る。

 その開かれた天蓋付きの馬車に乗るのは先日の女性とこの街の領主。

 二人は笑顔で民衆たちに手を振っている。

 それをぼくは宿の二階にある客室の窓から眺めていた。

 綺麗に化粧を施され、美しい婚礼衣装に身を包んだ彼女は、先日よりもずっとずっと輝いて見える。

 外で見ている人々もその笑顔を見てぼんやりと頬を紅潮させている者がちらほら見えた。


「ねぇー、ヴァル」


 窓の外をちらりと見たきり、ベッドに横になっている男に視線を向ける。

 ごろりと寝返りを打ちながら、男はなぁにーと間延びした声で答えた。


「男ってさぁ、愛してない、好きでもない女でも抱けるもん?」

「ぶふっ……げほげほっ」

「なにむせてんの」


 いや、と男は半身を起こしてぱちくりと目を瞬かせた。


「……いや、その……なに、いきなり……」


 ちょっとあの領主の顔を見ていたら思い出しただけだ。

 住民には慕われているようだが、裏では何人も女を囲っているらしいと噂を聞いた。

 あれであの女性が幸せになれるのか、とふと考えてしまったのだ。

 その、と男は口ごもる。よく見れば耳が赤い。


「その……そういうのは……人に、よるんじゃないでしょう、か……?」


 なんで敬語だ。

 ふぅん、と適当に相槌を打って、また窓の外を見る。

 よく見れば馬車の近くで行進する少年の姿もあった。

 がちがちに緊張しているのがここからでもわかるような動きだ。

 ふっと吹き出して、また馬車に視線を移す。

 ふいに女性と目が合った。

 にっこりと、あからさまにぼくに向けられた親愛の笑顔。


「……やっぱ攫って行けばよかったかな」


 そんなこと、万に一つもないのだけれど。

 また眼下で歓声が上がる。

 なんとなく、ただのセシールという女性の幸せを願わずにはいられなかった。


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