第6話 寝ずの番の語らい

 さほど寒くもない過ごしやすい日だ。

 これなら野営で野良寝しても死にはしないだろう。

 ぼく――アーティアは目の前の焚火に枯れ木を放り込んだ。

 天気は快晴。星がよく見える。

 周囲は鬱蒼とした森だが、虫にさえ注意すれば大型の魔獣に襲われる心配はないだろう。

正面で膝を抱えた男――ヴァーレンハイトがうとうとと眠たそうに舟を漕いでいる。

携帯食料でさみしい夕食も済ませたのであとは寝るだけだ。

問題があるとすれば、目の前の男に寝ずの番をする気があるのかということくらいか。

いくらぼくが人間族(ヒューマシム)よりも頑丈に出来ているからといって、一晩中寝ずの番をするのはご免被る。ぼくだって寝たい。


「寝ずの番、どっちからやる」


 男はううんと嫌そうに首を振る。

 動ける者が二人しかいない以上、どちらかがやらなければならないだろうに。


「……先、やる……途中で起こされるの嫌だ……」

「わかった」


 いつぞやのようにそのまま二人で朝までぐっすり……なんて笑えない事態は勘弁してほしい。

 あのときは幸運にして夜行性の魔獣にも夜盗にも襲われずに済んだが、そんな幸運が何度も続くわけがない。

 あの日の朝は肝が冷えた。

 せんせいが起こしてくれれば、と一瞬過ったが、当の本人は腹を抱えて笑っているばかりで役に立つ気がしなかった。

 そういえばこの人、ぼくと二人きりだったときもなにもしなかったな。


「……せんせい、いる?」


 暗い木の影にこっそり呼びかけてみる。

 返事はない。

 なんだ、いないのか。


「――呼んだかね」


 ……いるじゃん。

 せんせいは焚火を見つめながらにやにやと笑っている。

 この調子では、先ほどのぼくの考えもお見通しなのだろう。ついでにぼくと男の会話も。

 いつから見ていたんだか。

 ぼくはため息を吐いて男を見た。


「ヴァルが寝てたら起こすくらいしてよ、せんせい」

「さて……それはわたしに寝るなということかね。アーティアも随分と非情なことをいう」


 よよよと泣き崩れる真似をしたせんせいに、男がふっと吹き出す。


「いやぁ、ちゃんとやるって。せんせーに手間かけさせる真似はしないよ」


 男が珍しく楽しそうに笑っている。

 それ以上言う気になれず、ぼくは黙る。


「ヴァーレンハイトくんの方が聞き分けがいいようだ。はぁ、アーティアをそんな風に育てた覚えはないのだが……」

「物理的になんとかしてもらった覚えが全くないんだよね、生憎。そりゃ……文字とか計算の仕方とか教えてもらったのはありがたいと思ってるけどさ」


 読み書きの勉強にととんでもなく分厚い歴史書や薬物学の本の合間に、ちょっと言葉にするのを憚られる読み物を渡されたときはどうしてやろうかと思ったが。

 具体的に言うなら、その……ガッツリした成人指定の娯楽小説だ。

 当時は知らなかったしわからなかったから無理はないが、あとで事実を知って思わず暴れまわったのは今でも思い出すに恥ずかしい。


「初心だねぇ」

「だから、人の心読まないで」


 せんせいはケラケラと笑っている。今日は随分と機嫌がいい。

 そういえば、と男がせんせいに視線を向ける。


「二人はいつ出会ったんだ? 話しぶりからするとティアが小さい頃から?」


 きょとんと眼を瞬かせる。

 この男が他人に興味を示すなんて。

 ぼくと組んだときですら、面倒くさそうに、目で深く関わってくれるなと言っていたくらいなのに。

 組んで季節が二巡りもすれば変わるものなのだろうか。

 男はぼくらを見たまま首を傾げている。


「どうだったかな」


 実際いつから一緒にいたのだっけ。


「……ああ、懐かしいね。わたしとアーティアは、彼女のお父上の手引きで出会ったのだよ」


 ぴくりと身体が揺れる。

 男はふぅんと頷いている。


「ティアの父親って聞いたことないな……どっちかだろう」


 どっちか――神族(ディエイティスト)か魔族(ディフリクト)か。


「……魔族」

「……ごめん」


 今更になって男が謝る。

 そもそもぼくの両親の話題なんて聞いたって面白くないだろうに。

 あんな生きているか死んでいるかわからない男のことなんて、特に。

 気まずそうに男はあーとかうーとか唸っている。

 気まずい雰囲気にしてしまったのは申し訳ないが、もう疲れたしさっさと寝てしまいたい。


「……寝る」

「……うん、おやすみ」


 せんせいもおやすみと声をかけてくる。

 今晩は男の話し相手でもするつもりだろうか。

 横になったところで目は冴えたままだった。目を瞑って数を数える。


「そういえば」


 ふとせんせいが男に声をかけた。

 なに、と男の驚いた声。なにを驚いているんだか。


「きみのご両親というものの存在を聞いたことがなかったね。高名な魔術師なのかい」


 あー、と男が口ごもる。

 どうやら血族の話題はどちらも地雷らしい。

 じゃあ、せんせいはどうなんだろう。


「おれ、孤児なんだよね」

「おや」

「所謂、戦争孤児ってやつ。せんせーは知ってる? 十二年くらい前に終わった、人と魔獣の戦争――今じゃ百年戦争って呼ばれてるんだっけ。人と人も争ったし、人と魔族になれなかった魔獣が争った。おれ、あの戦争の被害者。……で、戦争参加もしたから加害者」


 そうか、とせんせいが静かに頷く。

 百年戦争――現魔族族長<冥王>に反旗を翻した魔族による反乱を機に、世界各地で魔獣が猛威を振るった。人間族、妖精族(フェアピクス)、小人族(ミジェフ)、巨人族(ティトン)、亜竜族(ノ・ガルブス)、魔法族(セブンス・ジェム)……とにかく種族に関係なく魔獣は襲い掛かった。

 それに対抗するために多くの種族が協力し、魔獣たちと戦うことを余儀なくされた。

 それが約百年続いた。だから、百年戦争。

 大元である反乱した魔族を平定したとして十二年前に<冥王>は戦争終結を宣言した。

 確かに多くの魔族は無闇に人を襲うことがなくなった。だが、知性のないと言われる魔獣は違う。未だに地上にはびこり、今日も昨日も人は魔獣に襲われている。

 ずきりと右腕が痛んだ気がした。


「んでとある孤児院に引き取られてー、戦争参加してー、なぁんか面倒になって今に至る。……感じ」

「定住しようとは思わないのかね」

「日々の暮らしが面倒……ほら、旅するのにパーティ組むじゃん。パーティメンバーがいろいろやってくれたら楽だなって」


 この野郎、しばくぞ。


「……そうか、道理でその実力なのに組みたがる者がいないわけだ」


 せんせいもため息を吐いて、でもおかしそうにくつくつと笑っている。


「だがアーティアは厳しいだろう」


 ぱちりと焚火が弾けた音。

 別に厳しくしているつもりはないのだけれど。

 んー、と男は唸る。


「……厳しいっていうか……優しくない」


 ぶは、とせんせいが吹き出した。本当に珍しい。

 どういう意味だ、あんたら。

 遠くで夜行性の鳥が鳴いているのが聞こえる。

 ちょっとした沈黙。また焚火が弾けた。


「……でもさぁ、ティアって本当に嫌なことはわざとしたりしないよね」


 男が焚火に枯れ木を入れた音。ぱちり、ぱちり、と心地よい音がする。


「おれ、最初は不必要に関わってこられるの嫌で、多分、態度にも出てたんだろうなー。ティア、おれになにが出来るか、なにが出来ないかだけしか聞かないの。経歴とか、交友関係とか、家族とかぜーんぶ」


 ふふ、と男の笑う声。


「普通さ、犯罪歴くらい聞くじゃん。正確に答えるかどうかは別としてさ。でも本当になにも聞かない。初めての戦闘のときも、出来るって言った魔術ぜーんぶ信用して指示してきたし」

「まぁ、この子は騙されても自分で切り抜ける力は持っているからね」

「だから謎なんだよねぇ、ティアがずっと誰とも組んでなかったのが。見かけはともかく、能力的には引く手あまただと思うんだけど」

「その見た目が問題なのだろうがね」


 ああ、と男が嘆息する。

 せんせいがくつりと笑った。

 なんか好き勝手言ってるなぁ。

 目を瞑ったまま聞いているぼくもぼくだけれど。


「何故、急に話そうと思ったんだい」


 んー、と男は考えるように唸る。


「……なんでだろう」

「わたしに聞かれても困るのだが」

「なーんでだろうなー」


 二人が黙るとぱちぱちと爆ぜる焚火の音だけが周囲に響く。

 酒を飲ませた覚えはないが、二人とも酔っているのだろうか。


「……その生い立ちで、よくアーティアと組もうと思ったね」


 確かに、今でも魔族を嫌悪する人は多い。

 とはいえ、当時のぼくは男に対しても右目の眼帯を外すことはなかったが。


「初めてティアの目を見たとき、ちょっとだけ騙されたーって思ったよ。でも、あの戦争はティアが悪いんじゃないし。そのときにはティアのいいところや悪いところ、いっぱい知ってたしね」


 ほう、とせんせいが興味を示す。


「アーティアの悪いところとは?」

「金の亡者」

「違いない」


 本当に、好き勝手言ってくれる。

 だけど不思議と二人の話を割って入る気にはならなかった。

 身動ぎをして、焚火の光から逃げる。

 おっと、と男が少し慌てた。


「ではそろそろわたしも休むとしよう」

「ん。せんせーもおやすみー」


 おやすみ、と声がして、ぱったりと静かになった。

 夜鳥がほおう、ほおう、と鳴いている。

 その安心しきった声に、近くに危ないものがいないと気付き安心した。

 安全な夜に免じて今夜の会話は忘れてやろう。

 ぼくはいっそう身を丸めて意識を手放した。


「おやすみ、ティア」


 だれかのやさしいこえがきこえたきがした。

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