第3話 おっさんと幼女 1

 その日は日差しが暖かく、雪解けの街に到着したのもあってなんとなく気分が高揚する日だった。

 ぼく――アーティアはいつも通り、今にも眠気で倒れそうな男――ヴァーレンハイトの袖を引っ張りながら宿を探す。この荷物がなければすぐなのに。

 街はのんびりとした空気の田舎にしてはちょっと大きめの街だ。

 道行く人間族(ヒューマシム)や小人族(ミジェフ)、巨人族(ティトン)の姿が見られる。ちらほら見える異頭は魔族(ディフリクト)だろうか。珍しい。

 道は石畳で補正されていて不便はない。

 街の入り口でペットの散歩をしていた婦人によれば、冒険者ギルド提携の宿は緑の屋根だという。

 赤や青の屋根が並ぶ中、緑の屋根を探しながら男を引っ張る。


「――あ、」


 急に男が足を止めてぼくの力に対抗する。

 なんだ、と振り向けば、外套が首に食い込んで苦しむ男の姿。

 それを無視して外套に力を加えるものの正体を探った。――いた。小さな影だ。

 美しい金糸の腰まで届く長い髪、これといった装飾のない質素な白のワンピースに桃色のサンダル。愛らしいぱっちりとした碧眼は気鬱なことがあったのか、悲しみを湛えていた。

 そして特徴的な尖り耳。――妖精族(フェアピクス)に類されるフレー人の少女がそこにはいた。

 男の外套を両手で掴み、潤んだ瞳で男を見上げている。


「……ママ……」


 どう見たらこの身長一八〇センチ越えの大男が母親に見えるんだ。


「……あの、絞まってる……絞まってるから……」


 忘れていた。

 慌てて掴んでいた腕を離してやると、男は子どもに合わせてしゃがみ込み視線を合わせる。ついでに少女の手をゆっくりと外套から外させていた。

 少女の身長はぼく(一三〇センチと少し)よりも頭一つ分は小さい。標準外見年齢で換算すれば五歳児ほどか。

 まぁ、不老長寿と言われるフレー人の子どもだから正確な年齢はそこに四か五を掛けた数字だろうと予測する。

 フレー人の成人は遅く、三桁越えないと成人と見なさない集落はそこここにある。

 それにしても他種族嫌いのフレー人がこんな田舎とはいえ、雑多な街にいるとは珍しい。

 妖精族で自分たちの集落から出てくるなんて、変わり者か犯罪者が相場だ。

 とはいえここまで幼い外見のフレー人がどちらかとは思えない。


「……迷子、かな」


 かなー、とぼくの呟きを拾った男が首を傾げながら少女を見る。


「……ママ……」


 少女が男の外套を掴んだ。


「……産んだの、あんた」

「うーめーまーせーんー」

「母親とはぐれたのかな……あんたに似たフレー人女性とか、あんまり見たくないんだけど」


 言いながら辺りを見渡す。

 人通りはそれなりにあるが、ぱっと見でフレー人は見当たらない。

 少女は泣き出しそうな顔で男の外套を握ったままだ。


「おれはママじゃないよ。おれはヴァル。こっちは相棒のティア。きみ、名前は? 誰と一緒だったんだ?」


 男が優し気な声で尋ねるが、少女は首を横に振るだけだ。

 こういう場合はどうすればいいんだ。街の自警団か警備ギルドでもあればいいのだが。


「ティア、こういうときってどうすればいいんだ?」

「知らないよ、保護者の情報聞きだして」


 えぇ……と男が嘆息する。ため息を吐きたいのはこっちも同じだ。

 少女の身なりは小綺麗で、このまま放置すれば人さらいにでも遭いかねないほどの美貌を持っている。幼いながらにこの美しさなら、成長すればさぞ麗しい美女になることだろう。さすが、美形揃いと名高いのフレー人だ。

 どうしたものか。


「あぁっ」


 もう一度、ため息を吐いたと同時に近くから声が上がった。

 声のした方を見ると、人込みをかき分けて丸い物体が転がり出てくるのが見えた。


「こげなとこさおっただかー。心配しただよー、エスイル」


 言いながら近付いてきたのは道化師姿の髭もじゃだった。

 折れ曲がったカラフルな三角帽子に赤くて丸い付け鼻、ずんぐりとした身体を帽子と同じカラーリングの服で覆っており、つま先の余った変わった靴を履いている。

 全体的に見れば誰もが道化師だと称するだろう恰好の小さな中年男だ。ただし、自前のこわいもじゃもじゃとした髭がなんとなく不格好だが。

 その特徴的な髭や低身長、丸耳と魔力の質から、彼は小人族だと判断する。

 エスイルと呼ばれた少女は男の外套を握ったまま、ほうと息を吐いた。

 安心している様子を見るに、この不審者――もとい、道化師は知り合いらしい。

 だが妙なこともあるものだ。

 妖精族のフレー人と小人族はあまり交流がない種族同士だ。一部では相反するとして仲が悪い集落すらあるくらいに。


「知り合い?」


 男が少女に尋ねると、少女は小さくこくりと頷いた。

 ほっとした男は「よかったー」と破顔する。

 少女と並んだ中年男の背丈は、少女とあまり変わらない。しかし中年に成長していることからテドディム人ではなくフラウド人だろう。

 彼らは主に洞窟内や山奥に好んで住み着く。こんな街中にいるのは珍しい種族だ。

 道化師の彼が持つ荷物の多さから、彼らも旅の途中なのだろうか。


「ちょっと目を離した隙にいなくなってただ。ひっくり返るかと思ったべよ。おめさんたちが保護してくれてたんだな、ありがとうー」


 妙な訛りで道化師は礼を言った。男の手を取ってぶんぶんと上下に振る。

 その目の奥には安心と慈愛で満ちていた。

 よほど少女がそばにいなかったことが恐ろしかったのだろう。

 少女も片手でそっと道化師の髭を撫でている。


「フレーとはいえ、子どもから目を離すやつがあるか。気を付けなよ」

「そうだなー、気を付けるだー」

「そういうティアも子ども……」

「うるっさい」


 赤銅の頭に拳を落とす。


「オラはウティ。この子はエスイルっちゅーんだ。おめさんたちにお礼ささせてほしいだ。見たとこ旅人さんだべ? 宿はもう決まってるだか」


 いいやと首を横に振ると、道化師――ウティはにっこりと笑った。よく見れば、左目の下に涙が描かれている。ピエロか。

 ぼくらも名前を名乗り、二人の泊まる宿へ一緒に行くことになった。

 にこにこと道化師が微笑む。


「さ、エスイル。宿さ行くべ」

「……」


 しかし少女は動かない。

 じっと男の外套を握ったままだ。


「イル、ママと一緒がいい……」


 思わず三人で顔を見合わせた。


「ああ、この子は暗い赤髪を見るとたまにこうなっちまうだよ。ここまで固執するのは珍しいべなぁ」

「ヴァル、もうそのままその子抱えたら」

「ええ……腕がしんどい……」


 働け、と腰の辺りを蹴ると男は渋々、少女を抱えた。

 妖精族の体重など、人間族の子どもに比べれば大したことないだろう。


「エスイル、この人たちも一緒に宿さ行くだ。大丈夫だよ」

「……うん」


 道化師の先導で、宿へと歩く。

 道中、少女は男の腕の中でじっとしていた。



 結局、夕食を奢ってもらえることになり、四人でテーブルを囲んだのはいいものの。

 少女は変わらず、男の外套から手を離そうとしなかった。

 困っただねぇ、と道化師は眉を下げた。


「ママ、どうするの」

「ママじゃない……。いや、もう全てを忘れてベッドで寝たい……」

「……妖精族とはいえ見た目幼女と同じベッドで寝るのは事案でしかないでしょ」

「一人で寝かせて???」


 最終的に少女が寝るまでの間、男が子守唄を歌うということになった。

 ぼくはさっさと寝ることにする。


「ティアの方が歌うまいじゃん……」


 残念ながらご指名はぼくではない。

 恨めし気な視線を背に部屋へと入る。

 ふかふかのベッドに飛び込むとすぐに睡魔がやってきた。

 それじゃあお先に! と誰に言うでもなく、ぼくは夢の世界へ旅立ったのだった。



 +


 翌日。

 太陽と共に起き出して、身支度を整える。相棒は隣のベッドでまだ夢の中だ。

 起こさないように気を付けて部屋を出る。庭の一角を借りて日課の素振り。身長と変わらない大剣は鞘のままでだいぶ重量があるが、ぼくにとっては軽いものだ。

 汗をかかない程度で治めて部屋に戻る。男は相変わらず幸せそうな顔で寝こけていた。

 ベッドの上で柔軟。最近は寒いので早朝ランニングはサボっている。

 鏡を見て、着崩れがないか、右目の眼帯がずれていないかを確認。……大丈夫だ。

 そろそろ相棒を起こすことにする。これがまた面倒くさい。


「ヴァル、起きて。朝だよ」

「んぅぅ……あと……五、年……」

「長すぎだ!」


 腹の辺りにかかと落とし。

 カエルの潰れたような声が布団の中から聞こえたが無視だ。

 布団を力尽くで引き剥がして遠ざける。

 枕を抱きしめて丸まる成人男性というのも見ていて楽しいものでもない。

「ほら、起きて。朝ごはん食べないの」

 たべる……と小さな声がして、男はようやく起き上がった。

 今日は幾分早い方だ。これが野営だとこのまま冬眠するだの越冬蛹になるだのとごねにごねる。正直、鬱陶しいことこの上ない。

 寝惚けたまま身支度を整える男を横目に、ぼくはもう一度、鏡で眼帯の位置を確認した。


「別にこの街では魔族差別は薄そうだし、気にしなくていいんじゃない」


 男があくび混じりに言う。

 そうかもしれない。

 でも、どうしても眼帯を取る気にはならなかった。


「……左右の目の色が違うことで、じろじろ見られるのが嫌だ」


 眼帯でも見られてるけど、と男が言うのを無視する。

 視線が嫌いだ。

 自分と違うものを見るときの目が嫌いだ。


「全部、潰して周れたらいいのに」

「朝から物騒なこと言うなよ……」


 男の身支度が終了したのを見計らって、戸を開く。

 宿に併設された食堂へ向かうと、昨日の二人組が目に入った。

 向こうもこちらを認識したようで、少女が男に駆け寄りしがみつく。


「……おはよ」


 少女は男を見上げ、すぐに目を逸らす。

 慌てて追ってきた道化師がぺこりと頭を下げた。


「あんま喋らんだーよ。ごめんなー」


 男は気にした様子もなく、今日は自分から少女を抱き上げた。

 少女はぱちくりと真ん丸な碧眼を更に丸くして男を見る。……またすぐに目を逸らした。


「……?」

「おめさんたち、今から食事だべ? ならオラたちと一緒にどうだ」


 道化師の言葉に甘えて同じテーブルを囲む。

 男は少女を自分の隣の席に座らせ、肩を回した。

 妖精族の体重などたかが知れているだろうに。

 結局、ぼくも少女も口数は多い方ではないし、男は面倒くさがって聞き役に回ることが多いので道化師が一人で喋っている。

 彼もそれで嫌な顔をするでもないし、元々お喋り好きなのだろう。

 運ばれてきた朝食はミルクのスープと焼き立てのパン。それから乾酪と芋のサラダ。野菜は基本、大きく切られている。

 少女がパンを取ろうとするのを手伝ってやりながら、道化師がそういえばとぼくに目を向けた。


「お嬢ちゃんもまだちいせぇのに、なんで旅さしてるだ。お嬢ちゃん、神族(ディエイティスト)だべ?」


 お嬢ちゃんという言葉で何故か男がスープを吹き出した。汚い。

 腹が立ったのでテーブルの下の足を蹴っておく。


「……もう小さくない。それに――ぼくは、神族じゃない」

「うん? ……その左の赤い目ん玉さ、神族の証だべ?」


 珍しかね、と道化師は一人頷いている。


「……ぼくは、神族じゃない」

「……そうか、オラの勘違いだべな」


 すまんすまんと笑う道化師。

 ぼくは笑えなかった。

 神族とはこの世界を総括する種族と言われる、神の如き種族だ。気位が高く、滅多に人前に姿を現さないことから一部では存在を疑われているとかいないとか。

 悪魔と称される魔族とは基本、敵対関係にあり、数百年前には大規模な神魔戦争という世界を巻き込んだ争いがあったとか。正確には歴史書を紐解けばわかるかもしれないが、興味がないのでぼくは詳しくない。

 道化師の言うように、この神族には赤目が多いと言い伝えられている。

 確かにぼくの外気に晒した左目の色は、赤。

 だけど、ぼくは神族ではない。

 だって、そのお綺麗な血は――半分しか入っていないのだから。


「別種族が一緒にバディとは、珍しいもんもあるべな。なして旅さしてるだか」


 道化師の言葉ではっと我に返る。

 道化師は男の方を向いて首を傾げていた。

 コップに注がれた水を一気に飲み干す。

 横で男が心配そうに見ているのが癪に障った。


「おれらは……成り行きだなぁ。……おっちゃんたちだって、異種族だろ。それも妖精族と小人族」


 道化師が言いよどむ。

 目を伏せ、サラダに入ったニンジンをそろりと避けた。


「エスイルの母親は……オラのせいで死んじまっただ。それ以来、この子は笑わねぇ。オラ、この子を笑わしてやりてぇんだ」


 ぽつりぽつりと呟くような声。

 そうか、少女の白いワンピースは妖精族の喪服か。

 ……。

 その少女は男の皿からニンジンだけを取り出して勝手に食べているが、そんな暗い背景がおまえにあるのか。

 少女は確かに目に光がないし、沈んだ顔をしている。

 だがやっていることは十分、元気な子どもそのものだと思う。

 道化師は顔を上げて、三つ目のパンを大口開けて食べている少女の様子を見た方がいい。多分この少女、特になにも考えていない。

 男も男で道化師に同情したのか、「おっちゃん……」と言葉をかけ辛そうにしているが、おまえも横を見てみろ。

 おまえも皿からニンジン盗られてるぞ。

 一気に馬鹿らしくなって、ぼくは黙ってパンをかじった。確かに少女が何個も食べたくなるのがわかるくらい美味しかった。



「よし、今日もエスイルを笑わせるために頑張るべよ!」


 宿を出た道化師が、おー、と拳を振り上げる。

 少女と男が釣られてぱちぱちと手を叩いた。


「……といっても、オラもうだいぶ頑張っとるだがな」

「おっちゃん……」

「ああ、そうだ。おめさんたち、この子笑わせられたらお礼するだよ」


 そう言ってこっそりと懐の財布を取り出して中を見せる。結構な金額が詰まっていた。


「――よし、ヴァル。やれ」

「えぇ……そこは、え? おれぇ? ティアが頑張るんじゃないのか……えぇ……面倒くさい……」

「ぼくはギルドで適当に仕事探してくる」


 手を振って男たちと別れる。

 一度だけ振り返ると、男と道化師は道の端で玉投げを披露していた。


(やれば出来る能力の無駄遣いだな)


 ヴァーレンハイトという男は、やる気さえ出せばほとんどのことをやってのける技量があるのだ。ただ本人に欠片もやる気がないだけで。

 旅をしているのも、定住するのが面倒くさいという理由だと言っていたことすらあるくらいだ。どれだけやる気がないのか。

 頑張っているようなら昼飯くらい買って戻ってやるか、とぼくは冒険者ギルドの看板を探した。



 +


 昼前。

 宿の前を通ると、ぐったりと座り込む男の姿があった。横では道化師が少女に五輪の赤い花を渡しているのが見える。


「まだやってたの」

「やれって言ったのティアじゃん……。ほんっとこの子、笑わない……」


 項垂れた様子の男の頭に、買ってきたサンドイッチの包みを乗せる。

 男の隣に座って自分の分の包みを開けながら、ぼくは少女の横顔を見た。


(十分、嬉しそうにしているように見えるんだけどな)


 男どもには笑っているようには見えないらしい。

 確かに少女は目に光がないし、沈んだ顔をしているが、決して無表情ではないのだ。

 ぼくも大概、愛想がないだとか笑わないだとか言われるが、面白いときには笑うし悲しいときには沈んだ顔もする。多分、少女は顔に出にくいだけなのだ。

 それが母親の件からなのか、それ以前からなのかはわからないが。

 現に今も、五輪だけの花束を嬉しそうに両手で抱えている。


「……アホくさ……」


 手早くサンドイッチを口に詰め込んで、ゴミを男に押し付ける。


「まだ仕事すんの」

「食事代はウティが払ってくれたけど、必需品買い出しとかまだしてないしね。ヴァルは邪魔にしかならないからエスイルたちでも構ってあわよくば笑わせてお礼貰って」


 うへぇ、と男が呻く。

 午前中は道中倒した魔物が懸賞金付きだったと気付き、慌てて冒険者ギルドに魔物の核を提出したのだ。

 魔物の核は加工して武器や防具にも装飾品にもなる。魔力の素、魔素が固まったようなものだから魔術師もよく欲しがる品だ。

 これが冒険者ギルドでは魔物を倒した証として提出を求められる。とはいえタダで提出するわけではない。

 懸賞金は貰えるし、核の質が良ければ追加で金に換えてくれる。いいこと尽くめなので拾っておいて損はない。

 午後は荷運びと薬草採取の仕事があったが、どちらが割のいい仕事だろうか。

 ぼくはまたギルド支部の建物へ足を運ぶのだった。

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