第4話 おっさんと幼女 2

 夕方。

 宿の前に――男たちの姿はなかった。

 もう部屋に戻ったのだろうか。

 首を傾げていると、慌てた様子の道化師が走って宿へ向かって行った。別方向から男も小走りで走ってくる。

 あの男が小走り。なにかあったのだろうか。


「どうかしたの」


 そういえば少女の姿が見えない。


「ちょっと目を離した隙に、エスイルの姿が見えなくなって……」


 あれほど子どもから目を離すなと言ったのにか。


「さっき向こうの通りでそれっぽい子を抱えた怪しいやつを見たって話し聞いて……おっちゃんに知らせようと……おっちゃんは?」

「さっき宿に飛び込んで……出てきた」


 道化師が肩を落として宿の扉を開ける。

 男は手短に今ぼくに語ったことを伝えてやっていた。

 最初から懸念していたが、少女の見目を狙った犯行だろうか。それとも身なりがいいから身代金狙いか。

 この街は幸か不幸か港には遠い。船で高跳びされる心配はないだろう。


「辻馬車は」

「この時間なら店じまいしてるだ。ただ、私的に出て行く分には規制がねぇ」

「この街の馬はさっき全部マーキングしてきたから、動きがあればわかるよ」


 でかした、と男を叩き、ぼくはさっと街の様子に目を走らせる。

 ギルドの様子から、この街での犯罪率は低い。しかも起こったのは妖精族の誘拐だ。

 目的が奴隷にしろ金にしろ、妖精族は身内に甘いことが多い。

 いくら家族のいない子どもだとしても、別の集落の者だとしても、妖精族は妖精族を助けようとする。


(知られたら厄介だなあ)


 しかも保護者として同行しているのはあまり仲が良いとは言えない小人族のフラウド人。一緒にいたのは人間族の魔術師だ。

 面倒くさいことが起きるに決まっていると言わんばかりの配置だ。


「オラ……オラが目を離したから……。ああ、エスイル……」


 道化師のこげ茶色した瞳から大粒の涙が零れる。描き入れられた頬の涙が本物の涙でにじむ。


「泣いている場合じゃないでしょ」


 ぼくの言葉で道化師は短い手でぐしぐしと涙を拭う。化粧が歪んで見れたものではない。


「……おめさんたちに、お願いがあるだ」

「うん」


 道化師は懐から財布を出してぼくに突き出す。


「オラの全財産やるだ。だから、あの子を探してけれ!」


 ため息を吐く。

 男がこちらを伺っているのが横目に見えた。


「――ご依頼、承りました」


 ぱっと男どもの顔が輝く。

 依頼を受けただけだ。まだ少女が見つかったわけじゃない。


「ヴァルはさっき聞いたっていう怪しいやつらがどこに向かったのか精査。ウティはもし宿に犯行声明なりなにかがあったときのためにここで待機」

「わ、わかっただ……」

「それからヴァル、使い魔いくつか貸して。馬車でなくとも徒歩で街を出ることだって出来るし、連絡用として。ウティにも一匹」


 あいよ、と男は七ツの召喚陣を素早く展開した。陣から七色の鳥が現れぼくと男の肩に乗る。


「赤はおっちゃんに、青はおれ、あとはティアについてくれ」


 ピュォイと鈴のような声で鳴く使い魔たち。いつも思うが、名前が適当過ぎる。


「ぼくは警備ギルドに話をしてくる。なにかあったら使い魔を通して」


 わかったという二つの声を聞きながらぼくは身を翻してもと来た道を走った。



 +


 ウティは今にも走り出したい気持ちを抑えて宿の前に立っていた。肩には赤色の愛らしい鳥が乗っている。


「エスイル……」


 あの子の身になにかあったらどうしよう。

 そんなことばかりが脳裏を過る。

 あの子を不幸にしてはいけない。それも自分のせいでなんて、許されない。

 泣き出しそうになるが、本当に泣きたいのはエスイルの方だ。

 ウティはぶるぶると首を横に振った。

 あの旅慣れた様子の二人ならば、きっと大丈夫。

 片方はやる気なさそうで、片方はつんけんとした態度だが、どちらも優しい子だから。

 ウティは凸凹な二人を思い出し、肩の鳥を撫でた。

 自分の武骨な手でも嬉しそうに鳥はピュイと鳴く。

 ああ、ああ。どうか、誰か。

 小人族はあまり宗教にこだわりがなく、なにかを祭る習慣はない。

 だけど。

 だけど今だけはどこかの神と呼ばれる存在に祈りたかった。

 知らず、両手を握りしめる。


(もしまたあの子がオラのせいで不幸になるよなことがあったら……)


 両の手にぎゅうと力が入る。

 そのときは、決まっている。

 肩の鳥が心配そうにキュウイと鳴いた。


「あの、お客様」


 はっとウティは我に返る。

 宿の娘だ。丸耳に細い手足、人間族だろうか。


「お客様のお名前、ウティ様でしたよね」

「……? そう、だども……」


 よかった、と娘はほっとした顔をする。

 聞けば裏口に投げ込まれたものがあるのだという。


「ウティ様宛てのお手紙のようなのですが」

「オラに?」


 ざわりと身の内のなにかが騒いだ。

 娘からクシャクシャの手紙を受け取る。どうやら石に巻き付けて投げ込まれたらしい。

 ウティは手紙を見てはっと息を飲んだ。


「すまねぇだ、きっとあとで弁償するだ」


 いいえと慌てる娘の顔も見ずにウティは彼女に背を向ける。


「急ねと」


 お客様、という声を背にウティは走る。

 手紙には、「フレーの少女を預かった」と書かれていた。



 日が沈んだ。暗い。

 だが自分たち小人族には関係ない。

 ウティは走った。

 場所は町外れの物置。放置されて久しいのか、人通りはない。

 もとよりこの時間だ。人の気配は――怪しいものでしかない。


「来たか」


 くつくつと笑う声が室内に響く。

 アサシン用の黒い外套に身を包んだ男が数名。

 ウティははっと目を見開く。

 その男たちの後ろに倒れて寝かされている美しい少女――エスイルの姿。

 一見して外傷はない。

 そのことにほっとして、ウティはリーダー格であろう男を睨み付けた。


「……ゴルジュ……」


 にまり、とゴルジュと呼ばれた男が笑った。


「久しいな、ウティ。随分と愉快な恰好じゃあないか」

「生きて……いただか……」


 ハッとゴルジュが吐き捨てる。


「生きてた? うるせぇ、殺し損ねた、だろ」

「なんの……用だか。オラはもうおめらとは関わりねぇ」

「釣れねぇこというなよ、相棒。仲間だろう?」

「オラはもうおめらの仲間じゃね! オラはもう誰も殺したくねぇんだ」


 そう言うなよ、とゴルジュがウティに歩み寄る。


「今更、抜けられると思うなよ、うちのエースだろ」


 戻って来いよ、とゴルジュはウティの顔を覗き込んだ。

 にまにまと笑うその顔が憎らしい。

 ウティはぐっと拳を握りしめる。

 ああ、ああ、全部自分のせいだった!

 エスイルは眠っているだけに見えるが、なにをされたかまではわからない。

 もし妙な薬物を使われていたら、もし暴力を振るわれていたら?

 すぐに眠らされたのかもわからない。ウティがここに来るまでにどれだけ時間がかかった。

 恐ろしい目にあったかもしれない。

 それを考えると身体がぶるぶると震えた。

 全部、ウティのせいだった!


「あの子に……なにしただか」

「いんや、まだなーんにもしてねぇよ。お前の答え次第だなぁ」


 にまりとゴルジュが笑う。

 ウティは拳を握りしめ、それを振り上げ――


「見つけた」


 ガシャァァァァァンッ、

 物置の天窓(ウティは今の今まで天窓があることすら気付かなかった)が勢いよく割れた。

 この声は――ティアと名乗った少女のものだ。


「なにかあったら使い魔に、って言ったでしょ」


 ウティははっとして肩を見た。鳥がいない。

 ピュォイと赤い鳥が正面から飛んできてゴルジュの顔を突く。

 ぎょっとしてウティは一歩下がった。


「警備ギルドが教えてくれたよ。ドワーフ中心の暗殺集団<黒の解放>、最近この辺りでご活躍らしいね」

「なんだ、ガキか……」


 鳥を退けたゴルジュが苛立たし気に呟く。

 その声は思いの外大きく、エスイルを守るように立ち上がった少女の耳にも届いた。

 少女の手にはその身長と同じくらい大きな剣が握られている。


「だ、れ、が、ガキだッ!」


 少女が姿勢を下げ、地を蹴った。白髪の三つ編みが尾を引いて流れる。

 左の赤目が細められ、ウティの横を射抜く。

 やっちまえ、と言ったのはゴルジュか、他の暗殺者たちか。

 少女が素早く腕を振ると、大剣が重さを感じさせない速度で薙ぎ払われた。

 ぎゃぁっと複数の悲鳴が重なる。

 あっという間にゴルジュの前に少女の顔があった。

 ひょうと鳴ったのはゴルジュの喉か。


「子どもだからって甘く見たね」


 無情にも少女の腕が振り下ろされる。


「待っ、」


 ゴッッッ、

 重たいものが落ちたような音。

 思わず目を瞑っていたウティはそっと目を開いた。

 目の前にはゴルジュの開きが――ない。

 ぺたりと座り込んだゴルジュの足元に大剣が刺さっている。

 少女は柄から手を離すとなんでもない仕草で目の前の男の顔面に拳を突き出した。

 ゴルジュは声もなく壁へと吹っ飛んでいく。


「……へ、」


 ウティはぱちくりと目を瞬かせた。


「ほら、いつまでぼーっとしてんの。エスイルのところに行ってあげなよ」


 少女に言われて我に返る。

 エスイル。

 そうだ、エスイルは。

 ウティはもつれる足を叱咤しながら倒れる美しい少女のもとへ走った。

 寝息は安定していて、それだけでまずほっとする。


「エスイル……エスイル、大丈夫だか」

「……う、ん……?」


 エスイルの肩を軽く揺さぶると簡単に意識を取り戻した。変な薬物のにおいもしない。

 そのことにまたほっとする。

 エスイルの無事を確かめたら、少女にちゃんとお礼を言わなければ。

 エスイルが起き上がるのを助けてやりながら、背中で両腕を縛られていることに気付いてそれをとってやる。

 白い肌に赤い縄の痕が痛々しかった。

 怒りを耐えながらウティが顔を上げたときだ。

 視界の端で黒い影が動く。


「そんなにその娘が心配か! お前がそれの母親を殺したくせに!」


 少女に倒されたはずのゴルジュの部下が飛び掛かる。

 間に合わない。

 思わず懐に手を入れたのは現役時代の隠しナイフがそこにあったから。

 はっと息を飲む。


「させねぇよ」


 衝撃。赤い火花が目の前で炸裂した。

 ぽかんとウティはエスイルを抱え込んだままそれを見下ろす。

 飛び掛かってきたはずのゴルジュの部下は小さな爆発に吹っ飛ばされて木材の山にぶつかった。

 あの少女かと思ったが、直前の声を思い出す。――ヴァルと名乗った若い男のものだ。

 顔を上げて物置の入り口を見た。

 ゴルジュを縄で縛りあげる少女と、その横に立つ眠そうな目をこする男。

 その男の目の前には力を失う寸前の魔法陣。

 やっとウティはゴルジュの部下が男の魔術によって倒されたのだと気付いた。

 腕の中でううんとエスイルが身動ぎする。


――そんなにその娘が心配か! お前がそれの母親を殺したくせに!


 はっとウティは手を離す。この美しいものに触れてはいけない。

 ウティは俯いてエスイルから距離を取った。

 エスイルのか細く白い手がそっとウティに伸ばされる。びくりと肩が震えた。


「……ママ……」


 ひょうと喉が鳴る。

 ダメだ、向き合わねば。

 あの美しい碧眼が己を憎んで睨み付けていると思うと心臓が重たかった。

 それでもウティは息を飲み、顔を上げる。

 エスイルは――眉を下げて微笑んでいた。


「……え、」


 知ってたよ、と幼い桃色の唇が動く。

 知ってた?


「知ってたよ。おじさんが、ママを……ころしたってこと」


 ああ、なんということだろう。

 ウティはかくりと膝をついて美しい少女を見上げた。

 その目の奥には悲しみ、そして慈愛。


「あぁ……そうだった、だか……」


 なんということだろう。

 今まで自分はなにをしてきたのだろう。

 母を殺されて傷心の娘をあちこちへ連れ回しただけでなく、仇と共にずっといたなんて。

 今までの日々が走馬灯のように脳裏を過る。

 ああ、当たり前だ。

 エスイルが笑えるわけがない。

 だって憎い仇がずっとそばにいたのだから!

 ウティはふらりと立ち上がり、少女と男の方へ歩く。

 待って、と幼い声が背中に投げられた。

 いいや、待てない。これ以上、彼女を傷付けるわけにはいかないのだから。

 不機嫌そうに顔をしかめた少女が進み出て、ウティの前に立ちはだかる。


「……退いてくれ」

「……あんたはどうしたいの」


 どうしたいかだって?

 そんなもの、決まっている。可愛いあの子から離れなければ――、


「――おじさん、置いて行かないで」


 はっと振り返る。

 エスイルがぎゅうとウティの髭を抱きしめた。


「――え、」

「許さないから」


 ああ、そうか。当たり前だ。

 ふるふるとエスイルが首を振る。


「ママみたいに、置いて行ったら、許さないから!」


 ぶわりとウティの瞳に膜が張った。

 この子は、ウティの天使は今、なんと言った?


「置いてかないで」


 ああ、ああ、と言葉にならない声がウティの口から漏れる。


「ああ、そうだな。置いてかねーだよ、もう」


 触れてもいいのだろうか。

 ウティはそっとエスイルの背中に手を伸ばす。

 温かかった。



 +


 どうやら一件落着したらしい。

 ぼくはほうと息を吐いて相棒を見た。

 男は首を回して「お腹減った……」などと呟いている。

 どちらかと言えば走り回ったのはぼくの方なのでは?

 まぁ、久々に頑張っていたようなのでなにも言わないでおく。

 目の前の道化師と少女はそろそろと離れると、ぼくらに向かって頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとう。エスイルも無傷だ」


 よかったと顔をほころばさせる男と一緒に頷く。

 あ、と少女が声を上げた。

 どうしたのかと見れば。ポケットからくしゃくしゃになった五輪の赤い花が出てきた。よく見れば花の汁で真っ白だったスカートも一部汚れている。


「あぁ……おはな……」

 

しょんぼりと少女が肩を落とす。

 そういえば、妖精族は草花を好む習性があるのだったか。

 少女の頭を撫でながら、道化師が笑う。


「また綺麗なのを探してあげるだぁよ」


 少女はふるふると首を横に振った。


「このおはながいい……」


 この赤い花は確か、手入れをこまめにしなければ咲かせるのが難しい品種か。園芸用として好まれるものなので、最近ではあまり野生を見かけない。

 しかしこれといって特別な花ではなかったはずだ。

 彼女にとって特別なのは、くれた人か。


(……ああ、花言葉なんてものもあったっけ)


 ぼくは興味ないが、母が好きだった。

 ふと思い出し、ぼくは唇を噛む。


「……貸してごらん」


 ふいに男が少女のそばにしゃがみ込んだ。

 大きな手を少女のそれに重ね、花を包み込む。


「ちょっとだけなら、いいよな……」


 小さな魔法陣が展開し、光を放つ。

 光が納まると、そこには綺麗に咲いたばかりの五輪の赤。


「わぁ……」


 少女が目を輝かせて頬をほころばせる。


「ありがとう、おにいちゃん」


 どういたしまして、と男は立ち上がる。

 ぐぅ、と男の腹が鳴った。

 格好つけられないやつだな。


「さ、宿に戻るべ」

「その前に、忘れ物」


 ぼくの懐から出てきたのは使い古された財布。

 あれ、と道化師は目を瞬かせる。


「報酬……」

「食事代で十分。夕食も奢ってくれるんでしょ」


 ああ、とかうう、とか言う道化師の頭に財布を乗せる。

 いいのか、と視線で問うてくる男は無視した。

 縛って放置している暗殺者たちは、警備ギルドの者が回収してくれる手筈になっている。

 随分と暗くなった人通りのない道を歩く。

 宿までは案外近い。


「……どうして、ずっと一緒にいられないことがわかってるのに、一緒にいようとするんだろう」


 妖精族の寿命は長い。一説にはその生に飽きたら死ぬとさえ言われているくらいだ。

 対して小人族の寿命は長くて二百年ほどと言われる。

 遅れて歩いてくる二人を肩越しに見やった。

 ぽんと頭に大きな手が乗る。

 温かいそれは眠たそうな相棒のものだ。


「ティアだって、おれと一緒にいるじゃん」

「……別に、ずっと一緒にいるつもりはないけどね」


 釣れないなぁ、と苦笑する男の手を跳ねのける。

 なんとなく右目の眼帯に触れる。

 宿はもうすぐそこだった。

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