第2話 勇者と魔王 2

 ううん、とヴァーレンハイトは身動ぎをした。

 身体が重い。

 寝起きとしては最悪の部類だ。

 なにかあったっけ。

 瞼も下ろしたまま、男は首を捻る。


(……そもそも、なんで寝てるんだっけ)


 背中が冷たくて痛い。路上か。

 そろそろ同行者兼相棒が怒鳴って蹴り起こしてきてもおかしくはないのだが。

 そろりと男は瞼を開ける。

 木漏れ日のような光が顔に差している。眩しくはない。


「……」

「……」


 誰かが男を見下ろしていた。

 金色の丸い目がきらきらと興味深そうに瞬いている。

 黒くて長い髪が遮光幕のように風に揺られているのが視界の端に見える。


「……おはよう、ございます?」


 疑問形になったのはなんとなくだ。

 金色の目の誰か――少年だ――はぎこちない様子でにこりと笑った。


「お、おは、よう!」


 嬉しそうに少年は手を叩いた。

 真っ黒な襤褸切れのようなローブ一枚を羽織っただけの恰好。足は裸足だ。

 髪はよくみればぼさぼさで、ずっと伸ばされるがままになっているようだ。

 男が起き上がると、少年はくるりと身を翻して距離を取る。

 見れば男のローブも外套も水に重たく濡れていた。


「……あ、川に落ちたのか」


 思い出した。

 魔物に驚いて橋から落ちたのだ。

 相棒は――助けてくれるはずもなく、路傍の糞を見るよりも冷たい目で見下ろされたのが最後の記憶だ。


(……うん、通常運転……)


 泳いで岸まで辿り着いたような、それとも途中で力尽きたような。

 ふと顔を上げると少年が首を傾げて男を見ていた。


「かわ、ひろった」


 少年が男を指差す。

 男は不作法を咎めず、そっか、と頷いた。


「助けてくれたのか。ありがとな」


 にーっと少年が笑う。

 下手くそな笑い方だった。

 外套を外して絞る。滝のような水が石造りの地面に水たまりを作った。

 同じようにローブも絞る。くしゃみが出た。


(ティアに会う前に風邪で死んだらどうしよ)


 それ以前に合流出来るのか。

 出来なかったら……。


(多分、そのまま捨て置かれるよなぁ)


 アーティアにとってヴァーレンハイトが稀有な同行者であると同時に、男にとってもアーティアというのは稀有な存在だった。

 男のような存在を後衛として置きたがる前衛など、男の知る限りこの国にはもういない。

 もう一つくしゃみを落として、男は周囲を見渡した。

 石で造られた古い人工物の中にいるようだ。

 崩れた壁には青い蔦が這い、ひび割れた床の隙間からは苔が顔を出している。

 少年はくるくると楽しそうに回っていた。

 天井は高く、階段が崩れているから上階には行けないが随分と高い建物だったようだ。


「とう、すんでる」


 少年が呟く。

 男が視線をやると、少年はそっと近付いてきて男を見上げた。

 きらきらとした金眼が木漏れ日のような光に照らされて星のように煌く。

 相棒と同じか、もう少しだけ大きいくらいの身長。

 背の高い男は首を傾げて見下ろすしかない。


「おれは――ヴァル。きみは?」


 きょとりと金眼が瞬く。


「……なまえ、ない」


 しょんぼりと少年が肩を落とした。

 そうかーと男は水で重たい靴を脱ぎながら答える。

 ひっくり返すとばしゃばしゃと音を立てて水が零れた。もう片方からは小さな魚まで出てきたのを見て、男は道理でむず痒いと思ったと頷く。


「……マオ、よぶ。まちのひと」

「うん? ……マオって呼ばれてるの」


 こくり、と少年が頷く。

 なんだ、名前あるじゃん。口に出さずに男は黙って頷いた。


「マオはどこに住んでんの?」

「ここ」

「一人で?」


 こくり、一つ頷く少年。

 そっかー、と男も頷いた。


「マオ、ゆめみるの。おんなのこ、いる」

「ふぅん?」

「なかよしする!」

「そっかー」


 少年の言葉遣いは幼い。まるで対話する相手が居なかったかのようだ。


(いやぁ……まっさかぁ)


 粗末な恰好と言葉遣い、世の汚れを知らない宝石のような目。


(どうするべきなんだろうなぁ)


 ほうと吐いた息は白く霧散した。



 +


 ぼくらが塔に着いたのは陽が天辺より少し傾いたときだ。

 モゥルは道中ぼくが教えたように、腰に差した剣がいつでも抜けるようにと右手を添えている。

 その間に彼女はずっと太陽のない場所で育ったと言っていた。


(ああ、これ、胸糞悪い案件だ……)


 そんなもの、少女と顔を合わせたときからわかっていたことだ。

 枝のように肉付きも発達も悪い身体、光に慣れていない目、白い肌。……挙げればキリがない。

 おそらく髪と同色の双眸が、彼の人間族には気味悪く映ったのだろう。

 ただわからないことといえば、何故わざわざ外に出して魔物退治などさせるのかということだ。

 殺したいのなら誰も知らない地下でも出来る。

 追放したいのなら何故、成功すれば戻ってこられる可能性を残した。


(いや……絶対に帰ってこれないと確信していた)


 塔に住む魔物――町長曰く魔王――は強いと聞く。ぼくにとってはどうかわからないけれど、少なくともなんの訓練もしていない、経験もない少女には倒せない。


(……殺したいのなら別に魔物退治なんてさせなくても……自分の手が汚れるのが嫌だった?)


 なんとなく、弱い気がする。

 納得のいかない気持ちを抱えたまま、塔を見上げた。

 ボロボロで随分と古いことがわかる建物だ。

 建築様式は町で見たものとそう変わらない。もしかしたら昔はこの辺りまであの町が続いていたのかもしれない。

 横を川が流れている。

 川は一度、塔の中に入って流れ出ているようだ。


(……そういえば川に落ちた馬鹿がいたんだっけ)


 そっと塔の入り口らしき扉に手をかける。

 背後で少女が深呼吸するのが聞こえた。

 ずっと表情もなく、じっと前を見つめるだけの瞳を伺う。……変わらずなにを考えているのかわからない、なにも映していないような瞳だった。

 それでも、緊張はするのか。

 ぼくが振り向いたのに気付いて、少女はぱちぱちと瞬きをする。


「……リヒャルト、さん?」

「……なんでもない。行こうか」


 こくりと少女が頷くのを見て、ぼくは手に力を入れる。

 石で出来た重たい扉は傾いていたが、ぼくの力の前ではなんの意味もなさない。

 ごりごりと石同士がぶつかる音を立てて、扉は外れた。


「…………壊したんじゃなくて、もとから壊れていた。いいね」

「……あ、はい……」


 中に入るとカツリとブーツの底が石造りの床を叩いた。ひび割れて足場は悪い。

 人の気配?

 ふと感じたそれに顔を上げるのと同時に、今までぼくの後ろを歩いていた少女が前に滑り出た。

 どうした、と問うと少女は表情も変えずに首を振る。


「…………ゆめで、ここにきたことが……ある、ような……」


 夢?

 少女はきょろきょろと辺りを見渡している。


「夢って?」

「……ゆめのなかで、わたし、男の子にあうんです。あって、あそぶんです。そのばしょに、にてる、きが、して……」


 そんなわけないのに、と声に出さず少女が呟く。

 ぼくの適当な相槌も聞いているのかいないのか、少女は一歩踏み出した。革靴がじゃりと石に擦れる小さな音すら隣で鳴っているかのようだ。


(……男の子……)


 なにか引っ掛かる。

 なんだろう。

 わからないが、その答えはすぐそこにありそうだ。


「いき、ます」

「うん」


 道中とは逆に、少女の背中を追いながら塔の奥へ進む。階段は崩れて上階には上がれないようだ。

 ならば魔物――魔王がいるのは、この階層。

 大きな扉の残骸をくぐる。

 開けた場所に出た。

 川の流れる音が聞こえて、長い年月の間に川が塔を侵食したのが見て取れた。

 その近くに見えるのは大小の二つの影。


「……あ?」

「……あ、」


 声を出したのは同時だった。

 足元に落ちていた拳大の石を拾ってそれに向かって投げる。

 綺麗に弧を描いた石は大きな方の影にぶつかる。

 あいたぁ、と情けない悲鳴が聞こえたのと大きな影が消えたのも同時だった。

 のっそりと大きい方の影が起き上がる。

 黒い外套に黒のローブ、赤銅の髪と目、丸耳の大男。――同行者兼馬鹿者がそこにいた。


「――あんた、生きてたの」

「……簡単に殺すなよー。少しは、無事でよかったーとか言えないのか?」

「あんな馬鹿みたいな戦線離脱した馬鹿、流石に初めて見た」

「馬鹿っていうなよー」


 ぷぅと頬を膨らませているが、とっくに成人を迎えた可愛くもない男がやっても腹が立つだけだ。

 ――と、再会を楽しんでいる場合ではない。いや、楽しんでいたわけでもないが。

 しゃりん、と剣を鞘から抜く音が聞こえて、そちらに目を向ける。

 少女が両手で剣を構えていた。

 対するのはぼさぼさの黒髪で顔が隠れた小さな影。


「……だぁれ」


 まだ幼いが、少年の声。小さな影の声か。

 少年が顔を上げる。――爛々とした金色の双眸が少女を見ていた。

 は、と息を飲む。


「……金色の、目……」


 あれは魔物ではない――魔族だ。

 魔族とは、時に悪魔とも呼ばれる種族の総称だ。下位存在は魔物とも呼ばれる人型を取らない生物だが、上位の存在ともなると知能が飛躍的に向上し人々に災禍をもたらすという。

 その美しい金色の双眸は魔族でも力のある、純血の証。

 少年は少女の真似をするように、襤褸切れのようなローブから両手を出し構えた。

 指先が伸び、両腕がミシミシと音を立てる。そして形成されたのは血色の刃。

 ひゅうと少女の喉が鳴った。

 横で男がなにかを言おうと踏み出したが、片手を上げて制する。

 先に地を蹴ったのは少女だった。

 ギィンと鋼のぶつかる音が石に反響する。


「……同じ、顔……」


 男が呟いた。

 向かい合う少女と少年。

 色彩こそ違うが、それは瓜二つ。

 それに二人も気付いたのか、目が見開かれる。

 どちらも素人じみた動きだ。

 慣れない剣を何度もぶつけ合う。

 ビシリと刃にヒビが入った。それでも二人は止まらない。

 どうしたらいいのかわからない顔で、殺し合う二人はぼくから見れば滑稽でしかなかった。

 だけど、止めない。

 止められないのだ。

 それは道中、約束したから。


(絶対、止めないで、か……)


 思わず拳を握りしめる。

 隣で男がなにか言いたそうにこちらを見下ろしていたが、無視だ。


「ぅおおおおおおおおおおおおっ」

「ぁぁぁああああああああああっ」


 二つの咆哮が重なり石を叩く。

 いつまでも続くかのような剣戟は、あっという間に終わった。

 隙を作ったのは少女。

 だが、その刃が貫いたのは――、


「――ぁ、」


 ああ、と嘆息が漏れる。

 誰のものだっただろうか。

 密着した二つの影は動かない。

 その足元にぽたりぽたりと滲みる、赤い水たまり。


「……あ、あぁ……ぁ、あ……」


 少女の手が柄から離れた。

 尾を引いて粘度のある赤いそれが滴る。

 ぴしり、


「……ぅ、あ……」


 少女の言葉にならない声。

 ああ、と少年が嘆息した。


「……ああ、まけちゃった……」


 ごぼ、少年の口から赤が零れる。

 胸を貫く両手剣を、五指を持つ両手に戻した白い手が引き抜く。

 ねちゃりと嫌な音がした。

 ひぅ、と少女の喉が鳴る。がくがくと身体が震えていた。

 少年は困った顔のまま、剣を放り投げる。

 ガランと石に投げだされたそれは、意外なほどあっけなく限界を迎え真っ二つに折れた。


「――きみ、だったんだね……ぼくのかたわれ……」


 少年が手を伸ばす。

 赤く染まった白い手は、灰色の髪に覆われた白い肌を撫でた。

 ぴしり、

 少女が頬を撫でるその感触にびくりと身体を震わせる。

 少年は最後ににこりと笑うとぱたりと倒れた。

 枯れ木が倒れたような、小さな音だった。

 ぴしり、


「あ……う、そ……? ……やだ……やだ、やだ、やだよ……」


 少女の目が見開かれる。

 かくり、と少女はその場に膝をついた。

 能面のようだった顔が不器用に歪む。

 ぴしり、なにかが割れる音がした。



 +


「……あの子、マオっていうんだけどさー、夢で女の子に会うんだって。んで遊ぶんだって。楽しいから、起きてるときにも会えたらいいのに、だってさ」

「ふぅん」


 濡れたままだったローブと外套などを風と火の魔術で乾かしながら男が言った。

 それにぼくは気のない言葉を返す。

 座ったまま眺める先では瞬きもせず天井を見上げる少女と、その足元に倒れた少年の姿。

 わかっていたのだ。二人を見たときから。

 同じ顔――双子だということ。

 この地方では双子は忌み嫌われること。

 忌み嫌われた双子は引き離して育てる風習があったこと。

 そのうえ、生まれた二人は普通の人間族と魔族だった。

 更に人間族の子どもは魔力の影響を受けて親に似ても似つかぬ容姿となっただろう。それがあの灰色の髪と瞳だ。

 気味悪がった親はどうするか。――捨てるだろう、きっと。

 人間族の子どもは地下に、魔族の子どもはこの塔に。

 町の人間族――子どもの親は焦っただろう。塔に捨てた子どもがまだ生き続けていることに。


(それで、成人の儀か……)


 胸糞悪い話だ。

 だが、


「……ぼくになにが出来たと思う?」


 気付いた時点で二人は止まらなかった。

 しかしただの戦闘素人だ。止めようと思えば止められた。

 でも、止めたところでどうする?


「……ぼくがなにかすべきだったと思う?」


 横で眠たそうに目をこする男を見上げる。

 いいや、と男は首を振った。


「二人を止めたとして、そのあとどうする気だよ。犬猫じゃないんだから、拾って育てるなんて出来ないだろ」

「そう。――ぼくに出来ることはない」


 だから、


「頼らないでほしいんだけど」


 少年を見る。

 ぴくり、と頭が動いた。


「……………………へ?」


 男の間抜けな声を無視して少年――マオと呼ばれた子どもに声をかける。


「死んでないんでしょ」


 ぴくり、再び少年の頭が動く。

 逆再生のように石を伝っていた赤い水たまりが少年の中に入っていく。

 ぐにゅぅ、と変な音が少年の喉から漏れた。

 ゆっくりと少年が身を起こす。

 今まさに起きたかのように、眠たそうに目をこすった。


「……ころされるのは、はじめて、だもん。からだが、ちょっと、びっくり、してたみたい。うごかないの」


 うわぁ、と男が声を零す。


「……生きて、る?」

「当たり前でしょ。この子、純血の魔族なんだから」


 そう、魔族は基本的に特別な祝福を受けた武器か、特殊な武器でないと殺せないのだ。

 いくら人間族から生まれたとはいえ、魔族の血がどこかで混じれば純血も生まれうる。

 でも、と少年はのっそりと立ち上がって正面に座ったままの少女を見る。


「しんでたのは、しんでた。勇者にはわるいこと、した」


 しょんぼりと肩を落とす様は、まるで悪魔と呼ばれる魔族には見えない。

 少女の頬をさらりと撫で、ぼくたちが来た方へ足を向ける。


「おかーさんは、ぼくらをみて、はっきょーしてしんじゃった」


 ぺたぺたと少年の足が石床を滑るように歩く。


「おとーさんはえらいひと。ぼくがうまれたのをかくしたの」


 あの胡散臭い笑顔の町長か。

 確かにこのくらいの年頃の子どもがいてもおかしくはない年齢ではあった。この魔族の子どもの正確な年齢は知らないが。


「ゆめでね、たんじょびにあのこがここにくるのをみた。ぼくをころせば、おとーさんのかぞくとして、むかえいれ? て、くれるんだって」


 魔族は様々な能力を持つ者がいる。この少年は夢を通じてあらゆる事柄を知ることが出来る能力を持っているということか。

 それにしてもあの中年男、よくもまぁ血の繋がった娘にそんな残酷なことをさせようと思ったものだ。

 いや、娘とすら思っていないからか。

 だとしても同族を狂いもせずに虐げる性根が理解出来ない。する気もないけど。

 うへぇ、と隣を歩く男が息を吐いた。


「男としても人間族としても理解が出来ない……」

「する必要、ある?」

「……ないけどさ」


 少年は大きな扉の前で足を止める。

 くるりと振り返り、ぼくらを見上げた。


「ふくしゅう、したいっていったら、とめる?」


 こてりと少年の首が傾く。

 黒いぼさぼさの髪から爛々とした金眼がぼくらを射抜いていた。


「……止めない」

「止めないよ。だって面倒くさいからね」


 ぼくらの答えに、少年はうふふと笑った。

 再び歩き出す。

 ぺたぺた、ぺたぺた。少年の足音が静かに石を叩く。

 もう一度、少年が止まったのはぼくが壊――いや、開けた塔の入り口、石扉の前だ。

 目を凝らせば遠くに町があるのが見える。

 少年が両手を突き出すように広げると、中空に円陣が描かれた。……少年の血だ。

 血で描かれた円陣は複雑な図形を孕み、魔法陣へと変貌する。

 少年が息を吸い込む。

 ぼくは黙って耳を塞いだ。

 隣で見ていた男も同じように耳を塞ぐ。


「――おまえなんか、だーいっきらいだーっ」


 少年の声に合わせて魔法陣が収縮し、光の帯を作り出す。それは真っ直ぐに、全てをなぎ倒していく。その行く末は――あの町。

 きゅぅん、と大気が震え、光柱が町のあった場所に立つ。


「……たーまやー」

「いや、それ違わない?」


 そんな馬鹿みたいなやり取りをしながら遅れてきた熱風を身に受ける。

 見に行かなくてもわかる。あの町は蒸発したのだろう。

 ふぅ、と少年が息を吐く。ばたばたと強く吹く熱風のせいで白くはならなかった。

 くるりと踵を返し、少年はもと来た道を戻る。

 それに再びついていきながら、ぼくは彼にこれからどうするの、と問うた。

 少年は大きな扉を跳ねるようにくぐり抜け、少女のそばに座り込んだ。


「しらないところへ、いきたいな。ぼくらをしらない、とおいところ」


 少年が少女の手を取って立ち上がる。

 少女は人形のようにされるがまま、立ち上がった。

 灰色の目は深いところを見ていて、なにも映していない。


「その子は」


 男が少年の頭に手を伸ばした。

 風がふわりとぼさぼさの髪を揺らし、少年がくすぐったそうに肩で笑う。


「わかんない」


 少年は困った顔で少女を見た。

 壊れた人形のように、かくりと頭が下を向いている。

 きっと、少女も少女で、悟ってしまったのだろう。


「ずっとこのまま、かな。わかんない。でも、いっしょに、いたい」


 ゆっくりと、労わるように少女の手を引いて少年が先導する。

 ぼくと相棒は黙ってそれについていく。なんだか馬鹿みたいだ。

 石扉を抜けると、そこはもう冷たい風が吹いていた。

 ほうと吐いた息が白くなる。

 さっきのとある町の惨劇などなかったかのようだ。


「……ここから川沿いに歩いていくと港町がある。五日くらいかかるけど」

「みなとまち」


 少年が繰り返す。

 あの港町は珍しい魔族の街へ行く船が出ていたはずだ。

 それを利用するかしないかは彼ら次第だが。


「じゃあ、そっちいこっかな」


 ねー、と少女の顔を覗き込みながら少年が笑う。当然、少女の反応はない。

 それでも少年は嬉しそうにうふふと笑った。


「おにーさんたち、ありがと。ばいばい」


 夕日が少年の白い頬を照らす。

 やはり金色の双眸はきらきらと輝いていた。


「……」

「……」


 二人黙って、少女の手を引く少年たちの背を見送る。

 ゆらり、影が揺れた。


「――よかったのかね、純血の魔族を世に放って」


 くつりと、いつの間に現れたせんせいが笑った。


「あれはまだ幼体だった。今のうちならばなんら脅威にはなるまい」


 相棒が変な顔でぼくを見下ろす。

 いいんだよ、とぼくは答えた。


「別にいいんだよ。誰にも依頼されてないんだから」


 せんせいが楽しそうに肩をすくめる。

 男は何故か長く息を吐いた。


「依頼といえば、後金は受け取れず終いだったね。よかったのかい」

「前金だけで勘弁してあげるよ。地獄まで取り立てに行くのは面倒だからね」

「……おれの知らない間に相棒が仕事請け負ってる……おれを探さずに……」


 男を見上げた。

 ハの字に曲がった眉が情けない。


「だって、あんたを探したところで一文にもならないでしょ」


 右目の眼帯を外す。

 久々の光が眩しかった。

 「ひっどい相棒だ」と男が独り言ちる。

 男の目には、金色の右目をしたぼくが映っていた。


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